寅の子文庫の、とらのこ日記

本が読みたいけど本が読めない備忘録

日曜日の小さな旅(赤野観音堂を見た。)

2005年07月22日 00時57分13秒 | 石塔石仏~埋もれていく風景
沼津市の発展に必要な提案をして実現しよう、では市の活性の為、ユニークな提案を集めている。
ハイキングコースの整備には微力ながら応援をしたい! と、言う訳で本当はそっとしておきたい文化財があるのですが、ほんのちょっと、紹介してみます(最後までうまくいきますように)。


17日の日曜日、2年振りで柳沢の赤野(あけの)観音堂を見に行ってきました。
柳沢の集落、桃沢神社を左手に見て過ぎ、東名高速の架橋をくぐり、すぐの分岐を左にS字を描くように登ります。途中、両側切り通しのような薄暗い山道を登るとほどなく行き当たります。愛鷹山(あしたかやま)南麓に位置する観音堂で、木造・茅葺・寄棟造り・平屋建てにして内陣は唐様式の鏡天井張り、外陣外回り軒裏には化粧天井を纏い、江戸中期の建築様式をそのままに伝える市指定の重要文化財です。本尊は十一面観世音菩薩立像です。境内には2本の天然記念物、カヤ(写真左)とナギの老木があります。ともに樹齢600~700年を数える雌木の巨木です。カヤ(イチイ科)は目通り3,9m、樹高23m、樹勢は北側へ10,5mと良く伸び、枝も地面すれすれまで垂れ下がっています。ナギ(マキ科)は目通り3,7m、高さ13m、立て札によれば暖地に自生する常緑樹で伊勢湾台風の時、主幹が折れたがかえって樹姿は良くなり樹勢は旺盛、県内でも珍しい大木とのことです。


観音堂を挟んで正面左側にカヤ、右側にナギ(写真)が、ちょうど左右対称に鎮座しています。あたり一面は『愛鷹茶』のお茶畑が広がっていますが、山道で不便な為、日中でも畑に通うお百姓さん以外には滅多に路往く人とすれ違うことはありません。



今回、赤野観音堂まで出掛けたのはこの2本の老木に会いたかったからです。観音堂の北側をかすめるようにして今、第2東名の工事が着々と進んでいます。付近の環境が変化することにより、何百年も生き長らえてきた2本の木の健康がとても心配です。素人目にはまだまだ要らぬ心配という感じに見て取れましたが、同じ愛鷹山南麓、沼津市宮本にあったクロマツの老齢独立樹『ヌタバの松』は東海大学が建って敷地に取り込まれてからも良く管理されていましたが、ついには枯れてしまいました。行く先を思うと心が痛みます。


観音堂を元来た道に下ります。途中、頭の黒い大きなヤマカガシが車の前をシュルシュルと横切リました。根方(ねがた)街道を渡ったあたりで車を休めました。この付近は水田の稲穂の緑が風に揺れて心地良いです。あちらこちらに井戸が掘り抜かれて清水が湧いています。顔を洗ってひと休み、とらのこも小さな手のひらに冷たい水をいっぱいすくいました。近くのセブンイレブンで仕入れてきたアイスクリームで束の間の涼を取りました。

家を出発してから1時間足らずの小さな旅となりました。果たして『沼津市の発展に必要な』ハイキングコースとして提案にに沿えるかどうか・・・。(私が胸に持っている天秤量りでは新しい高速道路よりも観音堂と境内の老木のほうが重たいのです)

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2 コメント

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ハイキングコースのご提案に感謝します (千本太郎)
2005-07-22 10:29:59
早速のご提案有難う御座います、以前私も四季の愛鷹山が好きで山野草の写真を撮りに行きました。

話は変わりますが中東のイランで信仰されていたゾロアスター教(拝火教)は東の果てで止まり止まった先が愛鷹山だと聞いた事があり、また愛鷹山には野生の馬が生息していたとも聞きました。

私がこのブログを開設した理由は沼津の知名度向上と沼津市民に誇りと自信を持って貰いたいと考えたからです、私の大先輩で尊敬する社長が「お前はある時期になったら生まれ育った沼津に感謝をしなさい」と私に言いました、

リタイヤした現在その言葉に従い無責任が提案をしているのです。

まずはご提案のお礼まで。
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愛鷹山の放牧について。 (寅の子文庫)
2005-07-23 06:46:07
コメント有難うございました。つい大きな富士山ばかりを見て、手前の愛鷹山が忘れられてしまいそうになりますね。私も愛鷹山が大好きです。愛鷹山の放牧、野馬の話は文献が多く残っています。古くは中世まで遡るそうです。その後、一時は廃れましたが江戸時代にはまた復活して現在の石川、鳥谷、岡宮の北側山麓に各々『霞野牧』、『元野牧』、『尾上牧』という牧場があり栄えていたそうです。【愛鷹組合史】によれば明治初年までに累計で3800頭の馬を捉えて幕府の放牧事業は幕を閉じ、その後明治4年の調べでは父馬20頭、母馬300頭、他300頭の仔馬が居ましたが大方は払い下げられて、残った馬は狼や野犬に荒らされついには根絶したそうです。土地宝典図にも沼津高専の近く、大岡北小林には『馬放し窪』という小字名が残っています。今、昔の跡も無く、このあたりだろうと思う丘陵地はすべて茶畑となっています。私事ですが、岡一色に馬を飼っている遠い親戚がありました。子供の時分には父に手を引かれて見に出掛けたことがありました。今は世代が代わり往来が絶えてしまったので馬の消息は分かりませんが、、。 愛鷹山麓には古来より人の気配があります。山に神を祀りながら上手に自然と共存してきた歴史があります。私たちの暮らしもその延長線から外れることなく、さきの第2東名の工事など、考えさせられることが多い今日この頃です!
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