寅の子文庫の、とらのこ日記

本が読みたいけど本が読めない備忘録

バアバのおしゃべりクッキング~イワシのすり身の天ぷら

2009年05月23日 06時30分27秒 | バアバの生活手帳
バアバが昔懐かしい鰯のすり身の天ぷらを揚げた。
こどもは嫌がって口にしないが青魚はDHAやEPAが豊富で栄養価も満点。




指先で頭と内臓を取り除いてすり身にする。小さい時分には擂り鉢でグリグリやるのが楽しくて手伝った記憶がある。味付けは味噌と砂糖とお酒を少々。人参・ごぼうの千切りを小麦粉で叩いて混ぜあわせれば、あとはハンバーグの形にして揚げるだけ。小麦粉で叩くのはすり身と千切りを接着させるため。コレだけ作って鰯一皿198円。家計にもやさしいかんたんメニュー、是非お試しあれ。

白内障の手術を終えて~バアバの視力は1,5

2007年09月27日 04時31分21秒 | バアバの生活手帳

白内障の手術から約一ヶ月、経過は良好。
バアバは8月22日・29日と片方ずつ手術を受けた。

其々手術前日、感染炎症を抑制するクラビット点眼薬を4回点眼。
当日、散瞳作用のミドリン点眼薬を朝6時30分から20分間隔で点眼(8時まで)
6時50分、自宅出発~途中時間を計りながらミドリンを継続点眼。
7時40分、順天堂伊豆長岡病院到着。
8時30分、パジャマに着替え、車椅子で手術室入室。
9時00分、手術開始~所要時間15分、術後30分安静。
9時50分、眼科外来で看護師の説明を受けた後、精算して帰宅。
手術翌日より紹介元の眼科医通院、眼内炎もなく経過を見ながら現在に至る。
術後一週間で入浴OK、洗顔・洗髪は大事をとって今月末まで不可。
常時ゴーグル(偏光)をかけて埃や汗が入らないよう注意。

手術費用は一回(片目)につき174,340円(348,680円)
但し保険適用にて本人一割負担17,430円(34,860円)
3万円強で視力が回復すれば眼鏡一本つくるのと金額は同じ。
その上、遠近ともによく見えて、当分の間は眼鏡も要らないとのこと。
白内障は老化現象の一つなので本人に自覚症状がなくとも
家族でよく注意して、おかしいと感じたら診察を受けたほうがよい。
ウチではコテツが指差すジェット機がバアバには見えなかったので気が付いた。
80歳の手術だったが、せめてもう5年早く気づいて上げられたらと後悔している。

今、うち中で一番眼がいいのはバアバだ。
両眼とも視力は1,5に回復した(手術前の検眼では0,15)
飛んでいる蚊を両手でパチンと潰してみせる。
自宅上空、豆つぶのようなジェット旅客機もよく見えている。

「さあ、これからはお部屋のお掃除が大変ですよ~」
笑顔で送ってくれた看護師さんの言葉の意味が解った。


好奇心も旺盛になったようだ~ノーマン・ロックウェル展にて/三島商工会議所

※追記(9/28)~昨日の診察では、遠くはよく見えているが手元で新聞を見るときなどピント調節がうまくいかないことがあり、視力はまだ安定していない。もう少し落ち着いてから(2~3ヶ月様子を見て)眼鏡をひとつ作ることになるかもしれないとのこと。

《サイト内関連記事》
白内障の手術を受けよう~バアバの決心。(07/6/13)
白内障と緑内障~中高年が気をつけたい目の病気。(07/5/16)

年金から天引き~高齢者医療制度が来春から変わる!

2007年09月22日 05時53分43秒 | バアバの生活手帳
役場から第3期分の国民健康保険の納税通知書と新しい保険証が届いた。
同封のチラシによると、来年4月から高齢者の医療制度が変更するらしい。
箇条書きで説明すると次のとおり~

『後期高齢者医療制度』
・すべての75歳以上の人
・自己負担率1割(現役並み所得者3割)

『前期高齢者医療制度』
・65~74歳の人
・自己負担率3割(65~69歳)
・自己負担率2割(70~74歳/現役並み所得者3割)
◎いずれの場合も、国保・健保から自動的に脱退、保険料は年金から天引きされる。

要するに75歳以上の人は、現在の医療制度(国保や健保)から強制的に脱退させられ、まったく新しい制度の枠組の中で医療を受けることになる。年金収入年額18万円以上では天引き、18万円未満では市町村窓口で納税が義務付けられる。これは昨年(2006年)6月の国会『医療制度改革法』で成立をみた。ウチの場合でもバアバは扶養家族の保険証がなくなり、「スズメの涙」ほどの年金から天引きされる。少子高齢化社会で財源不足とは言え、これでは弱い者いじめに等しいのではないか。格差社会は確実に年々そのスピードを増している。

《関連記事》
しんぶん赤旗日曜版、9月23日号
読売新聞の、医療制度改革法が成立の記事

白内障の手術を受けよう~バアバの決心。

2007年06月13日 07時11分55秒 | バアバの生活手帳


再検査の結果を受けて、バアバは元気なうちに白内障の手術をしたいという。
紹介状を持参して順天堂伊豆長岡病院の門を叩く。
施設の中は賑やかで明るく、病院という暗い?イメージは微塵もない。
診察の予約から会計まで全て機械操作、たった1枚のカードで済んでしまう。
しかし年寄りが独りで扱うには、かえって不便ではないだろうか。

手術の日取りは予約の順番で当分先になるが
身体に異常はないか、ひと通り検査を行う。

診察のなかで「オーダーメイド医療」という耳新しい話があった。
文部科学省の支援するプロジェクトで採血を7cc2本だけ余分に採り
遺伝子・蛋白質解析研究の為、東京大学ヒトゲノム解析センターへ送るという。
全国12の医療機関で協力し、来年3月まで実施しているとのこと。
この研究への参加=採血はまったくの自由意志であり、嫌なら断ればよい。
バアバは熱心に話を聞いたうえで、人の役に立てるならと快諾した。

病院を出る頃にはとうに昼時をすぎてしまったが
近所に橋本という伊豆長岡では有名な蕎麦屋があるので暖簾をくぐった。


《参考になったサイト》
個人の遺伝情報に応じた医療の実現プロジェクト
生そば 橋本

白内障と緑内障~中高年が気をつけたい目の病気。

2007年05月16日 07時04分16秒 | バアバの生活手帳


バアバはコテツが指差すほうを見上げても、飛んでいるジェット機が見えないという。

部屋の電気が暗くなったねえ。
暮れに蛍光灯を取り替えたばかりだよ・・・

案ずるより産むが易しで、眼科で診てもらえば白内障と診断される。
今では高齢者の約8割が普通にかかる目の病気。
来月の再検査の結果如何では手術にもなる。

最近、同じ保育所のお母さんが急性緑内障になった。
朝起きたら、片方の目の視野の半分が失われていた。
もう視力は戻らないそうだ。

普通にモノが見えることのありがたさ。
目が見えなくてはパソコンもできない。
オンライン古書店なんぞ忽ち閉店の憂き目にあう。
バアバに倣い、白内障・緑内障を含む一般的な目の検診を受けた。
幸いにして異常は無かったが、日々長時間パソコンに向かうので
定期的に検診を受けたほうがよいかもしれぬ。

世の中には光を失い、心の目が明く人も居る。
生きるうえで盲目はハンディではない。
艱難辛苦の末に日本へ辿りついた時、鑑真和上は既に失明していた。
身近な話では、目の癌で眼球摘出手術してからの、ピーコが好きだ。
【片目を失って見えてきたもの/ピーコ】文春文庫PLUS/2002年



盲目の旅芸人を瞽女(ごぜ)という。
越後瞽女の悲哀に忘れていた涙が溢れる。
ほんとうは彼女たちのほうが幸せなのかもしれない。

【瞽女~盲目の旅芸人/斎藤真一】日本放送出版協会/昭和47年


緑内障と白内障については以下のサイトが参考になります。
緑内障と症状
白内障治療(白内障の治療と予防で視力回復)
最近のブログより白内障の記事はこちら
スプール(糸巻き)の、「白内障手術」

母の供して伊東温泉一泊。

2007年03月15日 07時28分03秒 | バアバの生活手帳


膝の痛い母の供をして伊東温泉へ一泊、兄弟会の運転手を務める。
よく晴れたが、低気圧一過で伊豆の海は浪荒く
冷たい風にちぎれ雲が飛ばされていく。

保養施設に隣接して大きな老人ホームが建ち、景観が半減した。
身体を壊せばホームに入所しなければならぬ、
八十にして医者要らず、おいしいものを食べられる有り難さよ。
年々小さくなっていく母を背に負ぶう日がいつか来るやも知れぬ。


親思ふ心にまさる親ごころ、今日の音づれ何ときくらん/吉田松陰辞世

モクレンの花開く。

2007年03月07日 06時45分53秒 | バアバの生活手帳


親戚の家にあったモクレンを軽トラックで貰ってきて移植。
父が死んだ頃の話だから彼此12~13年は経つ。
例年この時期に開花、今年も暖冬の心配をよそに赤紫色の花をつけた。
『電話して、おじさんに見に来てもらおうか。』
そんな話をバアバとしていた矢先、
風呂場で心臓麻痺をおこしたとの電話が入った。
『虫が知らせたんだねえ。』
人の一生はわからない、
せめて一日一日を精一杯生きなければー。



※追記(3/7)
よく晴れて暖かな葬式だった。
愛鷹山の後ろに真っ白な富士山の頂きが見えた。


経本に白隠禅師和讃という教えが出ていた。
六道輪廻の因縁は己が愚痴の闇路なり等云々。
いつも人を頼みにしていては人生に好転はなく
他人のせいと愚痴をこぼせば幸せは遠ざかっていく。
ならば愚痴を祈りに変えて力強く自身から変わっていくしかない。

バアバのお見舞い

2006年12月15日 21時41分03秒 | バアバの生活手帳


母が伯母を見舞いに行きたいと言う。

ずいぶん世話になったからねえ、
ひと目、顔を見るだけで気が済むんだ、
先生がね、どこも悪いところはないんだって、
でも歳だからねえ、年内持つかどうか、
最後のお別れになるかも知れない・・・

そう言って近所の八百屋で苺とバナナを買い
冷たい雨の中、私は車を出した。
80歳の母が98歳の伯母を病院に訪ねる。

母は太平洋戦争の末期、自分の母親を亡くした。
私の祖母にあたる人だ。
昭和19年の夏を過ぎた頃から急に腰が痛いといって病み
沼津の海軍病院で診て貰ったときには原因は分からず、
明けて昭和20年4月、わずか40歳で還らぬ人となった。
その後、B29の沼津空襲で母は家と家財道具の全てを失う。

伯母は10人兄弟の上から2番目で、死んだ母親は長女だった。
長女を亡くす前後に三人の弟を戦争で失った。
一家三人国難の犠牲に殉じて、誉れ高き家と称えられた。
残った家族は昼を気丈に振る舞い、夜に人目を忍んで泣いた。
伯母は嫁いだ先がたまたま母の家の近所で
亭主の他に小舅が7人も居て、それは苦労を積んだらしい。
母は母親が死んでから18歳年長の伯母に助けられた。

私は最近、母のそんな遠い昔話を懐かしい響きで受けとめている。
授業の代わりに海軍工廠に旋盤要員で駆り出された、
戦争で亡くした若き伯父たちの眩しい横顔、
母親の看病で女学校の卒業式に出られなかったこと、
家を焼かれ、橋の下で泣いて一夜を明かしたこと、
戦後の復興で人に薦められて応募したコンテストでミス沼津になった。

楽しさ、辛さを天秤にかければどうであったかと問えば
もうちょっとお母ちゃんと一緒に暮らしたかった、
お母ちゃんにお料理をいっぱい教わりたかった、
お母ちゃんが元気で居たころが一番楽しかった、
あの時代はね、あれで仕方なかったんだよ、
誰が悪いんでもない・・・そう言って口をつぐんだ。

母は今、母親の倍の歳を生きている。
戦争中の体験や幼い頃の思い出をあれこれ聞いていると
病気で死んだ母親や戦争で死んでいった伯父たちが
母や伯母に自分たちの分まで生きなさいと
命を与えているような気がしてならない。

私は遠慮して階下の駐車場にいた。
伯母は母にニッコリ笑って、『またね』と頷いてみせたそうだ。
相が良いからじきにお母ちゃんが迎えにくるよ・・・

母も母親も伯母も精一杯自らの命をまっとうし
生死を越えてまた同じ来世に必ずや生まれ会えるだろう。

お彼岸に見た庚申塚

2006年10月01日 07時45分14秒 | バアバの生活手帳

病院からの帰り道、ちょっと車を止めてもらう。
庚申塚を囲んで彼岸花が咲き乱れていた。
不思議とお彼岸に合わせるようにこの花は咲く。
咲いて墓参りに行きなさいと教えてくれる。

石塔は庚申塚ではなく庚申檀と彫られていた。
いつもなら石肌に手をやり裏面の碑刻を読んで
造立の時代に思いを馳せるのだが
花を踏んでは悪いような気がして、黙礼してその場を離れた。


足が治ったら墓参に行きたいであろう母の供をしてやらねばならぬ。

朝7時半に来た猫が民話になるとき。

2006年07月03日 06時47分34秒 | バアバの生活手帳


バアバの話によれば、

朝7時半に来る猫
がもう10日も姿を見せないそうです。
毎日通い猫になってからは、名前も新たにクロちゃんと付けた矢先の事。
我が物顔で家中を物色し、シロちゃんの箱でお昼ねをして夕方、本宅へ帰ります。
そんな規則正しい生活が3ヶ月続いて、パタリと消息がなくなりました。

ウチ中で心配になって、昨日、本宅のGさんへ事情を伺いに行けば
6月16日夜半、雨の中をいつも通り2階のベランダから出て行ったまま戻らず
方々手を尽くしてみたが行方知れず、家出をする動機も見当たらないので、
何か事件に巻き込まれたのかもしれないとのことでした。

ウチのシロちゃんにしても、
あれだけ熱心だった夜中のミーティングに今は知らん顔。
どうも隣組ご近所の猫たちは何か様子がおかしいようです。


アメリカンに始まり一連の猫たち、についての話はこれでピリオド?
クロちゃんとアメリカンには最初から3ヶ月間だけの契約があったのでしょうか。
そしてウチのシロちゃんはクロちゃんの行き先を訊いているのでしょうか。
物語はハッピーエンドではなく、またいつか、この続きを書くかも知れませんが、

こんな話は巷に掃いて捨てるようにあるものだと思うし
しかし、他愛無いような飼い猫との応酬も
当事者にしてみれば掛け替えの無い日常生活のひとコマであり、
我が家の猫にまつわる話が現代民話考、の名も無き話の末端に埋もれながら
バアバの心から出て、私たちやちいさなこどもまで虜にしながら、
この先、たまには思い出して温かく語り継いでいけたらそれで本望です。


民話とは斯くも瞬間にして、こう云う形で生まれるものかと教わりました。


最後に、このさき我が家に伝わるであろうささやかな物語の猫たちを代表してー、
本名=トラ(通い猫名=クロちゃん)雄12歳
2006年6月17日消息不明

朝7時半に来るネコ。

2006年04月25日 21時38分26秒 | バアバの生活手帳
アメリカン、を見たのは後にも先にもあの日だけ。
たとえ言葉は分らなくても、バアバにはちゃんと通じているようです。
きっと、最後のお別れを言いに来たんだね。

不思議なもので今、毎朝7時半に来る猫がいます。
アメリカンそっくりで、首輪をしたご近所の飼い猫
皆でつけた名前は『ゴトッチ!』~ゴトウさんごめん!

シッポをピーンと立てて牛乳とフードのおねだりです。
バアバも早起きして玄関の椅子でちゃんと待っていますよ。
『これまで、一度だって寄りつきゃぁしなかったのにぃ・・・可笑しいモンだねぇー。』

きっと最後のミーティングで、バアバのこと心配だから・・・
アメリカンに頼まれたんだよ。

泥つきのタケノコを買いに。

2006年04月05日 17時08分46秒 | バアバの生活手帳


泥付きの筍が入ったよぉ。
朝、ご近所にある個人商店のおじさんが気さくに声をかけに来てくれた。
外反母趾の痛いバアバを乗せて車で買いに出掛ける。
一雨降れば、
もっと安くなるとは知りつつも
バアバは高値を承知で泥付の筍を3キロ買う。
いつもハクサイ・ダイコを配達して貰ってるからねぇ、
いいんだよ。
魚心あれば水心あり。
バアバは活きたお金の使い方を知っている。
ご近所ではもうたった1軒になってしまった個人商店。
安いスーパーへは行かず
毎日おじさんの店へ通います。

《ブログ内関連記事》
いつかやってくる日、の記事(2008/5/4)

猫について(猫の幸せ)

2006年02月25日 16時24分30秒 | バアバの生活手帳
『アメリカン』はその後、また行方知れず・・・
動物は自分の死ぬ姿は見せないと言う。
しかし、どうかまだ死なないで元気を取り戻してほしい。


シロは我が家の飼い猫、毎晩11時頃、決まって外に飛び出していく。
計ったように日付けが変わる頃ご帰還。玄関の外で戸を開けろと鳴く。

ご近所の猫たちとミーティングをしているらしい。
1年365日、毎日飽きずによく続くものだと感心している。
たまに出掛けない夜があると、そんなときにかぎって雨が降っているー。

シロとアメリカン~飼い猫と野良猫、本当に幸せなのはどちらだろう。
ミーティングの席で当人同士に訊いてみる以外にはわからない。

猫について。

2006年02月24日 01時43分23秒 | バアバの生活手帳
表の物置で野良猫が産みおとしたアメリカンショートヘアーのちび猫。
家族でつけた名前は、『アメリカン』。
あんまり可愛いのでフードを与え、暫く面倒を見ていたが
盛りがついてプイと飛び出したまま行方知れずとなる。
暫くしてから100メートルほど離れた猫好きの家に半居候で元気にしているとの便り。
そんなやりとりからもう6~7年が経っている。

今朝、軒先に骨と皮ばかりで震えている『アメリカン』を見た。
衰弱著しく、もう時間の問題か。
バアバが水をやり、牛乳を飲ませ、必死に世話をしている。
最後にお別れに来たのかねぇ、と涙を流した。

猫には猫の道があり、猫も言葉を話し、毎夜猫同士でミーティングがあると言う。
猫も昔から人間と一緒に生きてきた。家族の構成員の1匹として立派に数えられる。
松谷みよ子さんの【現代民話考第10巻~狼・山犬・猫/立風邪書房】には猫にまつわる伝承が興味深い。