寅の子文庫の、とらのこ日記

本が読みたいけど本が読めない備忘録

カブトムシを捕りに~未踏の原野を目指して・・・

2007年07月23日 06時37分36秒 | ちいさな生き物たち

これから夏本番、親子野外授業でこどもも親もぐんと成長する。
梅雨明けまで待てないコテツに押し切られて、
親子二人カブトムシを捕りに未踏の原野を目指した。

山菜取りが、親しい友人にもその場所を教えないように
カブトムシやクワガタ捕りも決して場所を明かしたりはしない。
これは意地悪ではない、人に言うと口伝いに広がり
根こそぎ乱獲されて、その場所で種の絶滅が起こるからだ。
山菜も甲虫も必要最低限だけとれば良い。


アタマの中がカブトムシのことでいっぱいのコテツ、黙々とクヌギ林を目指す。
(・・・逞しくなったな、)
こんな山の中へ来ても、虫の居場所がそれとなく分かるみたいだ。


さあ月光天文台まで走って、お昼にしよう。



見当つけて飛び込んだ林の中で、幸先良くカブトムシの雄雌をゲット。
1本のクヌギの根元に開いたウロの奥深く潜っていた。
気をよくしたコテツはそのあと急に採集に身が入らず、あえなくこれでジエンド。


さあ、オラッチェで白いバターと低温殺菌牛乳を買って帰ろう。


父さんはカブトムシ・クワガタの昆虫採集に、過去の経験から掟をつくった。
一、同じ場所で同じ種類の虫を一度に2匹以上捕らない。
一、一週間飼ったら、捕った元の場所で逃がしてやる。
一、ショッピングセンターなどで虫は絶対に買わない。


《サイト内関連記事》
ムシキング現る~その結末、の記事(06/8/6)
夏の終わりに~カブトムシ、クワガタムシを飼ってみて、の記事(05/9/4)

《夏休みの親子連れに紹介したいサイト》
月光天文台

いざ、というときのラジオとアマチュア無線

2007年07月20日 07時31分56秒 | ラジオとアマチュア無線

16日の新潟・中越沖地震の当日は家族で知多半島を走っていた。
カーラジオの周波数が合わなかったので終日ニュースは耳に入らず、こともあろうに翌朝、自ら配る朝刊の一面で大惨事を知る。

いざという時には携帯よりアマチュア無線が信頼できる。FM波のハンディ機(145/430Mhz)を常時携行していれば必ず役に立つ。画像にあるのはケンウッドの[TH79]FMハンディ機で10年使ってまだ壊れない。シガーソケットから電源を供給して5Wの送信出力がある。アンテナ端子に別売りの簡易アンテナを繋いで車の屋根にマグネットで立てればロケーション次第では数十キロ離れても交信できる。

この日も430(ヨンサンマル)のメインチャンネル(433,00Mhz)で待機していたがさすがにFM波では地震に関するQSO(交信)はワッチできなかった。旅先では980円のAMラジオが1台でもあれば、何かと便利かもしれない。



愛知県知多市、名鉄常滑線古見駅付近@かあさんは高校時代のともだちに会う

※補足
[10万分の一、リンクルミリオン中部道路地図/1999]を見ると知多半島は平坦地ばかりで山地もなく随所に小さな湖沼?が目につく。【旺文社図説学習/日本の地理5中部地方】S53年版から知多半島を調べてみた。要約すると昔より干害に苦しみ瀬戸内地方と並び、ため池の多い地域、昭和36年には5年間の突貫工事の末、木曽川から水を引く愛知用水が完成した。しかし水田より畑地灌漑重視と負担金の重さから農民の受益返上があいつぎ、いっぽうでは高度成長に伴う工業の発展から農業用水としてよりも工業・水道用水としての貢献が高いとあった。

《紹介したいサイト》
アマチュア無線7LC4CWの、無線と非常通信のページ
水土里ネット愛知用水/愛知用水土地改良区

二度と通らない旅人

2007年07月15日 07時01分07秒 | 生活手帳
20年ぶりとなる再会を念じて愛知県一宮市へ。
初めての街をカーナビが案内する。
住所を入れれば何百キロ離れていようが、玄関先まで誘導してくれる。
インターネットのように接続料金も要らずタダで見られる、
世の中にはなんて便利なものがあるんだろう。

脈絡はないが、ふと、小川未明の『二度と通らない旅人』を思いだした。
次はいつになるか分からぬ、この道も二度と通らないかもしれない、
そう思うと助手席でウトウト居眠りなどして居れぬ。
家々の建ち居並びや通りを往来する人の姿までこの目に焼き付ける。
持参した道路地図に4色ボールペンでひたすら今日の足跡を記した。

不意の訪問に20年越しの再会は果たせなかったけれど
縁側でお母様にお目にかかれて嬉しい。
帰り際に名刺を渡せば東名三好付近で携帯が鳴った。
きっとまた会いに行くからー。


台風4号近づく昨日、一宮市今伊勢町馬寄交差点付近にて

思いはとめどなく溢れ流れて

2007年07月13日 15時18分21秒 | オンライン古書店


朝5時、新聞配達の空が風雲急を告げている。
雨の合間を縫って自転車を走らす。
清清しい朝焼けの空も好きだが
寒冷前線のいたずらで疾風が吹いたり
にわか雨がパラパラ落ちてくるような雨空も好きだ。
この分厚い乳房雲の上にも陽光は燦燦と降り注いでいるだろう。

いつもの配達先で、毎日同じように
その向かいのお宅の犬と顔を鉢合わせる。
年老いてか、小屋の中でブルブルと身体を震わせながらこちらを見ている。
元気だせよー。
口には出さずとも、そんな思いでじっと見つめ返してやる。
それが犬小屋の外で、背を向けたまま身体を横にしていた。
翌日見ると犬の姿はなく、犬小屋にコップ一杯の水が置いてあった。
臨終の時は人間にも犬にも平等に必ず訪れる。

田んぼからすくってきたホウネンエビはいつか死に絶えて
水槽の中では手足の生えたおたまじゃくしが溺れていた。
えら呼吸から肺呼吸に変わる変体の不思議。
すぐに石コロで浅瀬を作る。
この時期なら水槽の外でも雨で大丈夫だが
梅雨が明けたら到底生きられぬ。
子供たちの観察には手軽で便利だけど
生きものの観察は本来、自然の中へ出掛けてしたほうが良い。

先週、一週間で返す約束で捕ってきた[コクワ]と[ノコギリ]も
今度の日曜、コテツは潔く返してくれるかなぁ。

最近NHKの受信料を払った。
これで当分の間は大威張りでテレビが見れる。
井上靖の原作とはまるでかけ離れているが『風林火山』が面白い。
大河ドラマを見るのは『利家とまつ』以来だ。
利家とまつにはアルゴリズム体操をと、ひそかに期待していたー・・・
ピタゴラスイッチで勘助と由姫と板垣の息のあったコンビを見てみたい。

五島列島のKさんから5度目の注文があった。
九州方面の長雨による被害を教えて頂く。
冊子小包を乗せた連絡船は無事に着いただろうか。

定本柳田國男集の初版本36巻に注文が入る。
しかし荷造りの途中でキャンセルになった。
初版本は全巻通じて漢字が[旧字体]表現だがそれでは読めないという。
新装版の[新字体]もいいが初版本の昔の字体には独特の味わいがある。
漢和辞典をめくりながらでも初版本をお薦めしたい。

出版社で裁断処分を免れたトラック一杯分もの買い取り打診があった。
お金も場所もないし、お声掛けの謝意に10冊だけならお付き合いと申し出れば
逆に10冊ならばお金は要らぬと無料で送って貰う。

サラリーマンを辞めてから携帯はほとんど受け身になった。
余った基本使用料はかあさんの携帯が全部食ってしまう。
およそかかってくる処は全部登録していて
たまに知らない番号をぶっきらぼうに出れば
買い取りの依頼で慌てる。

朝から晩まで一日中、古本屋のことを考えて飽きない。
刻一刻と世の中が変化していくように
お店の姿形も買い手のニーズに合わせて変化を求められている。
寅の子文庫も生き残るために変わるかもしれない。
この2週間新着の手を休んでそんな思いに耽る。

昨日、一昨日とそんな思いを他店の方とメールで話してみた。
普段相互リンクでお世話になってもなかなか連携はできない。
誰も其々に真剣な面持ちで(画面を通してそう解る)、お店の構築に余念がない。
たまにはこんな情報交換も楽しい、大いに励みになった。

一昨日の買い取り査定の返事が済んだ。
夕べの注文分をようやく梱包、
今からコンビニのクロネコメール便に出しに行こう。
ポストを見れば宛名不明で大阪から返却が一件ある。

一日一日がどんどん過ぎていく。
思いはとめどなく溢れては流れ、忘れられていく。

オンライン古書店たるもの
新着本の毎日UPと本1冊注文への感謝を忘れないこと。
まだまだ修行が足りぬ足りぬ。

岩波新書184【原爆に夫を奪われて】が売れて。

2007年07月08日 17時24分37秒 | 15年戦争
矛盾しているが《15年戦争の本棚》には手元に残しておきたい本が多い。
岩波新書184【原爆に夫を奪われて】もその中の1冊。
今、これから荷造りをする前に、今一度ページをめくりメモを取る。

【原爆に夫を奪われて~広島の農婦たちの証言/神田三亀男編】
岩波新書184/初版1982/2/22

*まえがき
*本文19編
・番外の夫婦じゃったが 《西本セツコ》明治34年4月10日生まれ
・苦しみの煮つまった死 《門前ツルヨ》〃38年4月20日
・大水害と原爆と 《道原シナヨ》〃43年11月22日
・出てきた遺言状 《両祖フジヱ》〃43年1月7日
・遺体と寝た母 《藤岡キヨノ》〃30年2月7日
・薬指の棺桶 《桃木タマノ》〃39年10月27日
・乳飲み子にも放射能が 《横丸露子》〃43年
・生きて戻ったが 《野村マサ子》大正9年10月7日
・呉服屋から百姓へ転進 《住居治子》明治45年3月27日
・戦争が狂わせた一代 《松田ヲチカ》〃34年5月28日
・ピカ後家になって 《切戸ヤヱ》〃43年2月28日
・島へ、主人をさがしに 《辰本サダ》〃27年10月21日
・病身の私を残して 《両祖シズコ》〃32年9月6日
・乳飲み子を背負うて 《蓼キヌヨ》〃40年1月25日
・励まし合うて生きてきた 《高崎ハル》〃35年2月17日
・今も寝られん夜がある 《松本みどり》〃31年4月8日
・主人と子供二人の死 《横地トシコ》〃39年12月1日
・はてしのない思い 《下桶カズ》〃29年7月5日
・死んで戻った主人 《杉田チヨコ》〃37年8月15日
*証言の記録を終えて/神田三亀男

本書は原爆で夫や家族を奪われた名もなき農婦たちの聞き書きをまとめたもので、
編者まえがきによれば、1981年3月から10月まで『日本農業新聞』広島版に「土と年輪~原爆に主人を奪われた農婦たちの36年」と題して計53回にわたり連載した記事に、更に4人の聞き書きを加えて1冊にまとめられている。取材地は広島市安佐南区佐東町(旧安佐郡川内村)にて、この町には「原爆未亡人村」といわれる川内温井(かわうちぬくい)地区がある。B29・エノラゲイ号から投下された原子爆弾はこの日、広島市内で作業中であった旧川内村より選抜構成された「川内国民義勇隊」191名の頭上で炸裂し、義勇隊は全員死亡した。そしてその日、川内温井地区には同時に原爆未亡人が75世帯もできた。その日から本書取材に至るまで26人の未亡人が現存し、その中から19人の声を1冊の本にまとめた。編者である神田三亀男さんの取材は録音機を要せず、全てご自身の丹念なメモに拠った。本書に声を残した方の何人が今もご存命だろうか。戦争の現実と悲惨、原爆未亡人と呼ばれた農婦人たちの叫びを風化させてはならない。
広島のTさん、すみません、明日発送します。



《紹介したいサイト》
広島ぶらり散歩の義勇隊の碑の、ページ

《サイト内関連記事》
岩波新書530【あの人は帰ってこなかった】を読む、の記事(05/8/22)
古本寅の子文庫の、15年戦争の本棚

伊東温泉小さな旅。

2007年07月03日 07時33分08秒 | 生活手帳
恒例の伊東温泉一泊、兄弟会も今年に入り三度目を数えた。
何をするでもない、ただお湯に浸かり、料理をつついて、
またお湯に浸かり、市街の夜景を肴にどうでもよいお喋りをして眠る。

夕食後、部屋でじっとしておれないコテツに、虫カゴを持たせて散策に出た。
夜の帳がたちまち後を追いかけてくる。
急傾斜地に拓いたみかん畑の小路をすり抜け、
ケヤキの大木がうっそうと生い茂る鹿島神社の長い石段を
背後にモノの気配を感じながら、二人手を繋いで転がるように駆け下りた。
気がつけばもう伊東線のガード下まで来ている。
このまま100mも歩けば海岸に出てしまう。


国道135号線の旧道に出て右折、次の信号をまた右折して
伊東駅まで戻って来たときには、辺りはすっかり夜になってしまった。

小さな旅の楽しみはその街の匂いを嗅ぐことだ。
通りを歩きながら、家々に灯る明かりに何気なく目を遣る。
テレビの野球中継が点いていたり、
台所からトントンと包丁の音が聞こえていたり・・・
他人の街に、共有できる暮らしの営みを見つけて何故か安堵する。
こんな他愛もないことで、明日からまた前向きになろうと元気が涌く。


《サイト内関連記事~伊東温泉》
母の供をして伊東温泉一泊の記事(07/3/15)