寅の子文庫の、とらのこ日記

本が読みたいけど本が読めない備忘録

古本買い取りちょっと見合わせようかとー。

2009年03月30日 16時28分08秒 | 買い取りと配達の現場から
代替わりをすればいずれは処分される本たち。
行き場のない15年戦争の古本370冊を引き取った。




書庫は満杯、母屋の二階の寝室に新聞紙を敷いて年季の入った本たちを広げる。そろそろ古本買い取りも一時休止にしないと、置き場がなくて寝る場所まで侵食されそうだ。精一杯の値をつけても殆どただ同然、現物査定をご案内すれば丁寧なるお礼メールを頂戴した。梱包と発送の手間を思えば心が痛む。でも慈善事業では飯は食えぬ。今日、またひとつ商売の厳しさを知る。東京のTさん、お世話になりました、古書買い取りお声掛けを頂き有難うございます。

古本買い取りそろそろ置き場なし

2009年03月25日 11時23分06秒 | 買い取りと配達の現場から
商店街に店を構える同級生のS君から電話が入る。
乾物屋の増田屋さんが店を畳んで家財道具、蔵書古本の類を処分をしているから掘り出し物があるかもしれないという。取るものも取り敢えず駆けつければ、『どうぞご自由にお持ち下さい』とのこと。ならばと店先に並べてある蔵書の中から両手で抱えられる限界、約20冊ほどの古本を貰う。





画像は昨年末、師走22日の商店街メイン通り風景。
郊外のショッピングセンターへ人は流れて往時の賑わいを取り戻せない。増田屋名物お品書きもこれで見納め。次代へ残しておきたい老舗がまたひとつ姿を消した。

上り最後の寝台特急富士はやぶさ号を見送る

2009年03月14日 11時20分13秒 | 生活手帳
寝台特急富士号・はやぶさ号の上り最終列車を近所の踏み切りで見送った。
時刻表では沼津駅8時17分発になっていたが、未明の低気圧通過で風雨共に激しく運行ダイヤが遅れた模様。踏み切りの袂でグッショリ濡れながら定刻より1時間以上遅れて9時38分通過。運転手が二度三度と警笛を鳴らしてくれた。







◎東京駅より121,691Kmの地点/東海道本線原分踏切

寝台特急富士には過去2回乗った。
初めて乗ったのは修学旅行の時で学生帽を車内に忘れて叱られた思い出がある。二度目にして最後の乗車は新婚旅行に沼津駅から、鹿児島の南州墓地に西郷隆盛の墓を訪ねた。寝台特急さくらを沼津駅に見送ってから四年、皆の夢と希望を運んでくれた富士・はやぶさ号、長い間お疲れさまでした、ありがとう。そしていつの日か、オリエント急行のように夢の復活を願って止まない。

◎左側BOOK MARK
→[客車ドットコム]
→[客車列車の旅]
→[サウンドコレクション]
→[寝台特急富士]の順でクリックすると貴重な録音を再生できます。

◎サイト内関連記事
沼津発19:53 寝台特急さくらを送る、の記事(05年2月27日)

《追記3/20》
決して売らない本~

◎鉄道ジャーナル別冊33/列車追跡リバイバル/青い流れ星ブルートレイン

芹沢・井上文学館友の会会報最終号届く。

2009年03月09日 20時55分31秒 | オンライン古書店
芹沢・井上文学館友の会会報の最終号(210号)が届いた。
友の会は本年3月末日をもって解散・精算し、設立37年の永きに亘り続いた活動は終焉する。友の会には20数年在籍したが一度として読書会他のイベントに参加することはなかった。今思えば珠玉の出会いをフイにしたと残念でならない。また昨年3月更新時には、遂には年会費3,600円を滞納し本年度への継続入会は途切れていた。


今、手元に残る会報は105号(1988・10・1)から。
右は『朝なぎ夕なぎ三十年/芹沢・井上文学館友の会記念誌』B5判95ページ


●人間の運命・芹沢光治良/全7巻文庫判
初版本は昭和37年から43年まで新潮社から単行本全14巻として刊行された。
芹沢文学館は昨年12月から閉館している。3月29日(日)「偲ぶ会」=(事前要申込/40名・会費3000円)のみ会館予定。4月以降は沼津市へ寄贈されて新たにオープン予定。静岡新聞08年9月29日の記事によれば、07年中の来館者はわずかに1,800人と寂しい。郷土が誇る芹沢光治良、そして井上靖両作家の偉業を私達は友の会の意思を継いで顕彰しなくてはならぬ。

◎サイト内関連記事
芹沢光治良~「風に鳴る碑」遠景、の記事(05年1月11日)
芹沢光治良の『人間の運命』、の記事(05年1月11日)