寅の子文庫の、とらのこ日記

本が読みたいけど本が読めない備忘録

八丈島から本のご注文がありました。

2006年02月28日 21時24分31秒 | オンライン古書店
八丈島から本のご注文がありました。
八丈町 のNさん、ご入金ありがとうございました。
領収証を添えて【沖縄海中生物図鑑第9巻/10巻】、冊子小包郵便で送りました。

八丈島は竹芝桟橋から東海汽船の、さるびあ丸 で行く伊豆七島南端のリゾートですが、かって江戸時代には鳥も通わぬ、と怖れられた絶海の孤島にして罪人たちの流刑の島。慶長11年(1606)から明治4年に至るまで延べ1865人が配流され、赦免された者(死後赦免含む)489人、抜船(ぬけふね/脱島)を企てた者が12人あったと伝えられています。当初八丈流人は士分以上の政治犯・思想犯が多く島民に【国人(クンヌ】と呼ばれて尊敬されていました。流人の妻帯はご法度でしたが妻帯することで心和らげるならばと【機織女】【水汲み女】と称し黙認されていました。数ある流人の中でも周知の二人について、小石房子さんの【流人100話/立風書房/ISBN4-651-75017-6】から書き留めておきます。

【宇喜多秀家/1573-1655】
八丈島流人第一号。豊家五大老の一人、備前・美作57万石の太守で関が原の戦いに破れて以後、死一等を減ぜられて慶長11年(1606)八丈配流。島で一族は、『浮田流人』と呼ばれ他の流人とは区別をされ機織女を娶って子孫は繁栄し、赦免された明治2年(1869)には二十家にもなっていました。この浮田流人の存続には加賀前田家の美談が伝えられています。前田家は秀家の妻、お豪の実家という縁で秀家遠島以後、隔年ごとに白米70俵、金子35両、その他衣類雑貨から薬品に至るまでを見届物として延々250年間にわたって送り続けたそうです。三代家光の頃、前田利常の使いが来て、徳川さまのご配下になるつもりがあれば小国のひとつでも賜るように願ってみますが、との申し伝えに、厚意を謝しながらも固辞して使者を返したそうです。島にあって幕府の崩壊を待ち望んだ秀家は在島50年、待てど暮らせど徳川家は揺るがず、明暦元年(1655)配所でついに83歳でその生涯を終えた時、将軍は4代家綱まで替わっていたのです。秀家には辞世が残っています~
*み菩提の 種や植えけん この寺へ みどりの松の あらん限りは

【近藤富蔵/1805-1887】
千島・択捉等蝦夷地の探検で有名な近藤重蔵の子で、文政9年(1826)隣地との地所争いの末、百姓家斬殺(狼藉者打ち捨ての罪)により八丈遠島(重蔵は滋賀配流)となりました。富蔵は在島60年の生活で、八丈実記 と言う大著を残しています。そこには島の歴史から地理、風俗習慣、自然、伝記、詩歌など八丈島の全てをつぶさに書きとめてあり、膨大な資料は実に69冊にも及んでいます。明治20年、その中の29冊を東京都が買い上げ、近年7冊に編纂、出版されました。
富蔵は63才のとき八丈詩会を主宰して、八丈八景 を選び、68才(明治5)で三根村川平夕学校の開校に尽力し督学となりました。明治13年の赦免で父重蔵の墓に詣で、2年後再び八丈に戻りました。もはや富蔵の住むべき場所は八丈島をおいて他にはなかったのです。帰島後、三根村の大悲閣尾端観音堂の堂守となり5年後の明治20年(1887)83才で天寿を全うしました。今、三根村共同墓地には島の有志による自然石の墓石が建ち、その傍らには島で娶った水汲み女、【逸】の墓が寄り添うように建っています。小石さんは流人であっても、富蔵以上に八丈島を愛した人がいただろうか、富蔵は流人の随一であると同時に島民の随一であると結んでいます。

猫について(猫の幸せ)

2006年02月25日 16時24分30秒 | バアバの生活手帳
『アメリカン』はその後、また行方知れず・・・
動物は自分の死ぬ姿は見せないと言う。
しかし、どうかまだ死なないで元気を取り戻してほしい。


シロは我が家の飼い猫、毎晩11時頃、決まって外に飛び出していく。
計ったように日付けが変わる頃ご帰還。玄関の外で戸を開けろと鳴く。

ご近所の猫たちとミーティングをしているらしい。
1年365日、毎日飽きずによく続くものだと感心している。
たまに出掛けない夜があると、そんなときにかぎって雨が降っているー。

シロとアメリカン~飼い猫と野良猫、本当に幸せなのはどちらだろう。
ミーティングの席で当人同士に訊いてみる以外にはわからない。

猫について。

2006年02月24日 01時43分23秒 | バアバの生活手帳
表の物置で野良猫が産みおとしたアメリカンショートヘアーのちび猫。
家族でつけた名前は、『アメリカン』。
あんまり可愛いのでフードを与え、暫く面倒を見ていたが
盛りがついてプイと飛び出したまま行方知れずとなる。
暫くしてから100メートルほど離れた猫好きの家に半居候で元気にしているとの便り。
そんなやりとりからもう6~7年が経っている。

今朝、軒先に骨と皮ばかりで震えている『アメリカン』を見た。
衰弱著しく、もう時間の問題か。
バアバが水をやり、牛乳を飲ませ、必死に世話をしている。
最後にお別れに来たのかねぇ、と涙を流した。

猫には猫の道があり、猫も言葉を話し、毎夜猫同士でミーティングがあると言う。
猫も昔から人間と一緒に生きてきた。家族の構成員の1匹として立派に数えられる。
松谷みよ子さんの【現代民話考第10巻~狼・山犬・猫/立風邪書房】には猫にまつわる伝承が興味深い。

今もずうっと、夢見るBCL少年~海外日本語放送を聴く

2006年02月18日 21時04分06秒 | ラジオとアマチュア無線
この一週間、体調が思わしくないので日付が変わる前に就寝した。
オンライン古書店など身体に良い稼業ではない。オリンピックなど、とても起きてはいられない。枕元に昔買ったワールドバンドレシーバー(ソニーICF-SW55)を置いて専ら短波放送で海外日本語放送をおやすみタイマーをかけて聴いていた。

BCLラジオと言えばソニーのスカイセンサーとナショナルのクーガ。もう周波数は忘れてしまったが手探りにアンデスの声を入感したときは思わずバンザイをした!9760KHzと言えばラジオオーストラリアのワルティングマチルダが今も耳の奥で聞えている。しかしどちらももう局を閉鎖、【短波】という雑誌もいつしか消えてしまった。【CQハムラジオ誌2006年1月号】付録によると海外の日本語放送局はわずかに17カ国のみ。こんなところからも日本の世界における信頼度を窺がい知ることができる。

【ワールドバンドレシーバーICF-SW55/ソニー】スペック
AM:150-29999KHz
FM:76.0-90.0MHz
TV:103.0-108.0MHz(1-3Ch)
実用最大出力:400mW
メモリー:1ページ5局X25ページ、計75局
おやすみタイマー:15・30・45・60分選択
おはようタイマー/液晶バックライト10秒
電源:単3X4本またはDC6V
寸法:約194X127X39mm/重さ900g(電池含む)
・AM受信時周波数ステップ:1KHz(SLOW/FAST)
・SSB受信モード:AM・USB・LSB(WIDE/NARR)
購入年月日1995/6/10
一目で分る世界の昼と夜の液晶画面が便利、まだまだ現役です。

*詳しい周波数は、BCL、海外日本語放送リスニングのホームページをどうぞ。

懐かしい風景~生活の橋、続き

2006年02月10日 22時32分50秒 | 懐かしい風景
藤枝宿、葉梨川に架かる橋、の続き~
八幡橋の上流250メートルに架かる、おりと橋は昭和12年竣工の橋。
石造りの手摺の上、さらに金網のフェンスが取り付けられている。
歩行者専用と思ったら軽トラックも渡っていた。


おりと橋からさらに250メートル上ってこちらは、渡御(とぎょ)橋、昭和36年8月竣工とある。
写真の奥、向こう岸、橋の袂には一対の常夜灯が建ち、
さらに先へ80メ-トル、旧東海道と交差する場所には銅板で巻いた鳥居が建っている。
10000分の1の道路地図(スーパーマップル/昭文社)で確認すると、
橋は写真後ろ約300メートルに位置する青山八幡宮へ続いている。
時間の都合、それ以上の何事も見聞きすることはできなかった。

いずれの橋も、妙に懐かしいような気持ちで迎えてくれた。



懐かしい風景~生活の橋

2006年02月10日 00時51分50秒 | 懐かしい風景
懐かしい風景に出会う。
東海道藤枝の宿、葉梨川(はなしがわ)を斜めに架かる八幡橋。
石造りの手摺、親柱には昭和36年3月竣工と彫られていた。


八幡橋から遠く見えるのは、おりと橋で昭和12年9月竣工、戦争を経験した橋。
どちらの橋も、車も人も野良犬も皆一緒になって渡っている。



グラフィックレポート~二つの日本・八月十五日

2006年02月08日 20時45分07秒 | 岩波写真文庫

終戦後11年、岩波写真文庫は8月15日をテーマに写真を公募した。
日本列島の隅々から総数千六百余枚の応募があり、編集部は厳選した172枚を掲載して一冊の写真文庫が発刊された~No209【日本~一九五六年八月十五日】



【グラフィックレポート/二つの日本・8月15日】

本書では前半に【日本~一九五六年八月十五日】を復刻、30年を隔てた1986年8月15日の列島模様を後半に収めている。いずれの日本も8月15日は焼けつくように暑く蝉の声が耳の奥に響いている。そして最後の頁には読者も参加せよと写真を1枚貼るセレモニーが用意されていた。読者自身が貼ることで写真集は封印され平和の祈りを込めたタイムカプセルとなる。




グラフィックレポートの本棚から~日本人のふるさと

2006年02月07日 00時54分20秒 | 岩波写真文庫

岩波写真文庫は1958年(昭和33年)12月20日、
No286【風土と生活形態】を最後にシリーズを終了した。グラフックレポート【日本人のふるさと】は37年の空白を受け、286冊の写真文庫の中から選りすぐりの写真を174頁の紙面に余すことなく掲載して写真文庫のフィナーレを飾った。編著者であり社会地理学の権威であった、故竹内啓一氏の言葉を借りれば、『本書の趣旨は1950年代の写真を提供して、1950年代の風景を読んでいただくことであった』と言う。1950年代の風景に庶民の暮らし向きは見事なまでに溶け込んでいる。父母たちが額に汗して懸命に働いた後姿を忘れてはならない。今宵暫く、あの時代を懐かしむと同時に、それら写真の1枚1枚が日本人の今後歩むべき道に警鐘を鳴らしていることに私たちは気がつかねばならない。


日本人のふるさと―高度成長以前の原風景 グラフィック・レポート
クリエーター情報なし
岩波書店


岩波書店のグラフィックレポート本棚できました。

2006年02月05日 20時41分40秒 | 岩波写真文庫

【昭和史の消せない真実】を読んだ。
・731細菌戦部隊
・使い捨てられた労働者の墓標=万人坑
・血都の都=南京大虐殺
・枕木は見ていた=泰緬鉄道

自衛隊の海外派遣、国際協力は世界第2位の経済大国からすれば当たり前かもしれない。
しかし戦争中、日本軍がアジア諸国で1700万人の犠牲者を出させた史実はどうなるのか。
その国の人たちから見れば再び軍備された日本の海外派遣は脅威のほか、何ものでもない。
学校で、教科書で教えられなかった戦争の傷痕がここにある。
15年戦争の歴史を今、もう一度正面から見据えなくてはならない。

岩波書店から二つの写真集~
【グラフィックレポート】と【ビジュアルブック】の本棚作りました。

オンライン古書店 古本寅の子文庫





山川出版社の本棚新設しました。

2006年02月01日 19時09分14秒 | オンライン古書店

歴史と民俗の本に、【山川出版社の全国歴史散歩シリーズ】の本棚を新設しました。
今回の入荷本はどれもきれいで良好な状態です。

文庫判平均248頁、豊富な写真と図版で郷土の歴史文化、史跡等懇切丁寧に解説しています。
旅先でポケットに1冊忍ばせれば、ちょっとした歴史観光ガイドに早変わりです。

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