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寅の子文庫の、とらのこ日記

本が読みたいけど本が読めない備忘録

チカラにかえて・消臭力のCD~島谷ひとみと戦艦伊勢と音戸町

2012年09月17日 11時02分27秒 | 15年戦争
継続はチカラと云うが、この夏の暑さは尋常ではなかった。まったく以て胆力が出ない。一夏、とうとう何も書かず過ぎてしまった。しかしただ漫然としていた訳でもなく、五拾の手習いで若い人の間に交じり新しいことにもトライをした(何れ書く時があるかもしれない)・・・放置ぎみの日記もまた再開してみる。日常の生活的メモでよい・・・肩肘張らずにー。


●丸スペシャルNo12戦艦伊勢1977年5月号 ●毎日グラフ臨時増刊/続日本の戦歴/S40年11月25日号
古本寅の子文庫の15年戦争の本棚にその昔、蒐集した「丸スペシャル」を放出したところポツリポツリと注文がある。先日には一番贔屓の「No12『戦艦伊勢』1977年5月号」が売れたばかり。『伊勢』は昭和20年7月末の呉大空襲の折、燃料切れの帝国海軍残存艦艇の一艦として呉港外、倉橋島の音戸町坪井の海岸沖約50mの浅瀬に係留中、米軍機の攻撃を受けた。7月24日、朝からの空襲で直撃弾5発、うち一弾は右舷艦橋で炸裂、牟田口艦長以下、20数名の命を一瞬で奪った。更に28日の空襲で11発の直撃弾、至近弾多数を浴び、両日で190名の戦死者を出し、遂には4万トンの巨体も大破着底して不遇な「航空戦艦『伊勢』」はその生涯を終えた。米軍機が去り、「打ち方止め」の号令が発せられた時『伊勢』の36センチ二番主砲塔右砲には装填弾がそのまま残り、抜弾は困難な為、右舷90度仰角30度で発砲したが、主砲塔が正位置まで旋回し終えたところで動力源である水圧がゼロとなり砲身は高く天を睨んだまま停止した。この『伊勢』が発砲した最後の主砲弾(三式弾)こそ、連合艦隊最後の戦艦の主砲発砲であり、それは同時に戦争に敗れた帝国海軍への弔砲となった。『伊勢』の解体作業は上部構造が(株)播磨造船所呉船橋渠(現石川島播磨重工業)でS21年10月9日~22年7月4日、下部構造は飯野サルベージが昭和25年夏から27年7月30日迄かけて解体した。


話はガラリ変わって、最近、こどもたちが見ているテレビから耳によく付く歌がある。『チカラにかえて』という歌で、エステーの消臭力のCMソングとしてほぼ毎日ように聴いている。見れば贔屓の島谷ひとみが西川貴教とミゲル君のお母さんのようないでたちで、雰囲気が良く出ている。また、偶然にも見たBSが、島谷ひとみの生い立ちを旅する番組で彼女の出身地は呉の音戸町と知って驚いた。


●昨日届いたばかりの『チカラにかえて』1000円/UNIVERSAL MUSIC LLC
島谷ひとみが、音戸町の出身でなければ果たしてこのCDは買ったか否か。

大袈裟なようだが、人生50年生きてきて「音戸町」に三回出会った。それは、不遇な航空戦艦『伊勢』終焉の場所であり、島谷ひとみの生まれ故郷であり、更には遠い記憶の中、小学生の時分に姉の買った小学生社会科副教材「わたしたちの地理/日本編No5中国編」に出ていた巻頭見開き頁「音戸大橋」のカラー写真だった。この何とも斬新な幾何学的模様の道路が面白くて(音戸瀬戸の渦巻きを模したのか?)想像を膨らませ、ワクワクしながら帳面に自分なりの道路を書いて遊んだ記憶がある。


●わたしたちの地理No5中国編/S38年12月25日/定価200円
音戸大橋は1961年12月4日開通、倉橋島は本土と陸続きとなった。1974年無料開放(当時普通自動車120円、歩行者5円)/Wikipediaより。 音戸町はかって、広島県安芸郡音戸町であったが平成5年3月20日に呉市に編入されている。


●Google Earthで現在の音戸大橋を見ると、海を挟んで画像上側の、螺旋状道路のあるほうが倉橋島であることが分かった・・・「わたしたちの地理」の写真には位置関係の説明がなかったので、倉橋島が下側だと思い込んでいた。

●鳥瞰図にして戦艦『伊勢』が係留されていた位置を入れてみた。

例のごとくで、どうでもよい事をズラズラと書いてみたが、50年かかって『音戸町』が自身の中で純粋培養されて今、確かに意識の上に留まった。こういう他愛ないようなことの積み重ねでも、人生はささやかではあるが静かに満たされていく。秋の夜長に精々読書を楽しみたいところだが、どっこいボランティアの新聞配達で4時起床とはなんともやるせない。

寅の子文庫の『15年戦争の本棚』

チカラにかえて
T.M.H.R.(西川貴教、ミゲル、島谷ひとみ),ミゲル,鹿毛康司,西嶋真紀,福井洋介,小笠原肇
ユニバーサル ミュージック クラシック

備忘録~太平洋戦争被雷艦艇史

2011年09月04日 17時19分34秒 | 15年戦争
駒宮真七郎氏の『太平洋戦争被雷艦船史』については連合国軍潜水艦(米英蘭)による日本軍艦艇への攻撃戦果(被雷沈没)を潜水艦別に分類整理してある。本書は既に売り切れ済みだが、備忘録として概略列記した。喪失艦艇は主なもののみ掲載した。

◎被雷喪失艦艇
■戦艦1(金剛)
■航空母艦8(大鳳・信濃・雲鷹・翔鶴・大鷹・雲龍・蒼龍・沖鷹)
■巡洋艦15(▽軽巡/天龍・夕張・長良・大井・名取・龍田・多摩・阿賀野・五十鈴、
      ・球磨/▽重巡/加古・摩耶・愛宕・足柄・高雄)
■特務艦34
■駆逐艦43(大潮・漣・早苗・時雨・霜月・雷・刈萱・岸波・沼風・敷波・羽風・海風、
・電・風雲・秋月・桃・狭霧・水無月・早波・谷風・朝風・芙蓉・峯風・山風・玉波、
・帆風・夕凪・秋風・野風・朝凪・秋雲・呉竹・夏潮・涼風・薄雲・浦風・磯波・白雲、
・松風・子ノ日・沖風・五月雨・霰)
■潜水艦16
■輸送艦9
■哨戒艇4
■掃海艇13
■〃特務艇1
■駆潜艇7
■水雷艇5
■特設艦艇62
■船舶1,042
-------------
◎合計1,312隻

●米国潜水艦(艦別)による被雷戦果(沈没喪失)
001アルバコア(ALBACORE)8隻 戦果48,070t→主な喪失艦艇:軽巡天竜・空母大鳳
002アンバージャック(AMBERJACK)2隻 5,733t
003アングレア(ANGLER)3隻 5,401t
004アポゴン(APOGON)3隻 7,575t
005アーチャーフィッシュ(ARCHERFISH)2隻62,7410t/空母信濃
006アスプロ(ASPRO)5隻 21,870t
007アテュール(ATULE)6隻 33,367t
008バラオ(BALAO)6隻 31,924t
009バング(BANG)8隻 20,182t
010バーブ(BARB)17隻 91,420t/護国丸
011バーベル(BARBEL)6隻 15,263t
012バーベロ(BARBERO)3隻 9,126t
013バシャウ(BASHAW)3隻 19,270t
014バットフィッシュ(BATFISH)4隻 7,404t
015バヤ(BAYA)4隻 9,194t
016ベクナ(BECUNA)1隻 1,949t
017バーガル(BERGALL)3隻 15,4543t
018ベスゴ(BESUGO)3隻 11,600t
019ビルフィッシュ(BILLFISH)3隻 4,302t
020ブラックフィッシュ(BLACKFISH)1隻 2,087t

021ブラックヒン(BLACHFIN)2隻 4,430t
022ブレニイ(BLENNY)6隻 17,562t
023ブルージャック(BLUEJACK)266t
024ブルーフィッシュ(BLUEFISH)12隻 62,913t/給油艦速水
025ブルーギル(BLUEGILL)10隻 45,457t
026ボアーフィッシュ(BOARFISH)1隻 6,968t
027ボーンフィッシュ(BONEFISH)11隻 60,283t
028ボウフィン(BOWFIN)15隻65,075t
029ブレーム(BREAM)1隻 5,704t
030バンパー(BUNPER)1隻 1,182t
031ケイブゾン(CABEZON)1隻 1,631t
032カブリラ(CABRILLA)7隻 38,767t
033ケープリン(CAPELIN)1隻 3,127t
034カバラ(CAVALLA)4隻 24,581t/空母翔鶴
035シーロー(CERO)5隻 27,020t
036チャブ(CHUB)1隻 648t
037コビア(COBIA)5隻 16,010t
038コッド(COD)8隻 27,090t
039クレバリ(CREVALLE)9隻 51,810t/安芸丸(日本郵船)日新丸(西大洋漁業)
040クローカー(CROAKER)6隻 19,160t/軽巡長良

041デイス(DACE)6隻 29,184t/重巡摩耶
042ダーター(DARTER)3隻 19,829t/重巡愛宕
043ドラム(DRUM)14隻 79,822t/水上機母艦瑞穂
044フィンバック(FINBACK)11隻 50,439t
045フラシャー(FLASHER)17隻 91,216t
046フライアー(FLIER)1隻 10,380t/白山丸(日本郵船)
047フロアンダー(FLOUNDER)1隻/2,681t
048フライングフィッシュ(FLYINGFISH)15隻58,336t
049ガビラン(GABILAN)2隻 862t
050ガー(GAR)8隻 20,396t
051ガトー(GATO)9隻 26,033t
052グランパス(GRAMPUS)1隻 8,632t/海城丸(日東汽船)
053グレイバック(GRAYBACK)13隻 61,578t/栗田丸(日本郵船)
054グレイリング(GRAYLING)4隻 10,813t
055グリーンリング(GREENLING)13隻 54,573t/ぶらじる丸(大阪商船)
056グレナダ(GRENADIER)1隻 14,453t/大洋丸(日本郵船)
057グロウパー(GROUPER)4隻 17,983t/りすぼん丸(日本郵船)
058グロウラー(GROWLER)10隻 29,495t
059グラニオン(GRUNION)2隻 876t
060ガードフィッシュ(GUARDFISH)17隻 64,966t

061ガビナ(GUAVINA)6隻 24,366t/永洋丸(日本油槽船)大暁丸(大阪商船)
062ガジョン(GUDGEON)9隻 61,234t/東邦丸(飯野海運)すまとら丸(大阪商船)
063ギタロ(GUITARRO)7隻 22,379t
064ガネル(GUNNEL)6隻 24,747t/水雷艇ひよどり
065ガーナード(GURNARD)10隻 57,665t
066ハッド(HADDO)8隻 20,030t
067ハッドドック(HADDOCK)7隻 31,927t/サイパン丸(日本郵船)
068ヘイク(HAKE)7隻 38,081t
069ハリバット(HALIBUT)11隻 39,242t/駆逐艦秋月
070ハンマーヘッド(HAMMERHEAD)10隻 34,710t第84海防艦
071ハーダー(HARDER)16隻 53,766t/相良丸・松江丸(日本郵船)海防艦日振
072ハードヘッド(HARDHEAD)8隻 18,573t/軽巡名取・第38号海防艦
073ホークビル(HAWKBILL)3隻 7,831t/駆逐艦桃・敷設艦初鷹
074ハーリング(HERRING)6隻 19,960t/海防艦石垣
075ハウ(HOE)3隻 14,044t/日章丸(昭和タンカー)
076アイスフィッシュ(ICEFISH)2隻 8,404t/泰洋丸(東海汽船)
077ジャック(JACK)15隻 74,452t/さんぺどろ丸(三菱汽船)
078ジャラオ(JALLAO)1隻 5,794t/帝北丸(帝国船舶)
079ケイト(KETE)3隻 6,859t
080キングフィッシュ(KINGFISH)13隻 43,602t高千穂丸(大阪商船)

081ラガート(LAGARTO)1隻 880t/辰桃丸(辰馬汽船)
082ラポン(LAPON)11隻 53,486t/豊国丸(日本製鉄)
083リザードフィッシュ(LIZARDFISH)1隻 130t/第37号駆潜特務艇
084ミンゴ(MINGO)2隻 11,563t/駆逐艦玉波・まにら丸(大阪商船)
085マスカランジ(MUSKALLUNGE)1隻 7,163t/だあばん丸(日本郵船)
086ナーワール(NARWHAL)5隻 11,294t/北昭丸(大阪商船)砲艦唐津
087ノーチラス(NAUTILUS)6隻 21,246t/駆逐艦山嵐・あめりか丸(大阪商船)
088パッドル(PADDLE)5隻 18,829t/安宅丸(帝国船舶)水戸丸(日郵)駆逐艦帆風
089パンパニト(PAMPANITO)5隻 27,254t/勝鬨丸(拿捕船)
090パーチュ(PARCHE)8隻 31,680t/大翼丸(大阪商船)第3号掃海艇
091パーゴ(PARGO)9隻 27,904t/万寿丸(岡田商船)急設網艦蒼鷹・駆逐艦野風
092パーミット(PERMIT)3隻 5,342t/昭和丸(甲南汽船)
093ペト(PETO)7隻 29,122t/金華山丸・逢阪山丸(三井船舶)
094ピカール(PICKEREL)5隻 8,654t/第13号駆潜艇
095ピクダ(PICUDA)12隻 49,356t/砲艦橋立・駆逐艦夕凪・摩耶山丸(三井船舶)
096ピケ(PIKE)1隻 1,992t/昌寿丸(川崎汽船)
097ピンタド(PINTADO)7隻 42,061t/東豊丸(大連汽船)駆逐艦秋風
098パイプフィッシュ(PIPEFISH)2隻1,758t/第64号海防艦
099ピランパ(PIRANHA)2隻 12,276t/日蘭丸(南洋海運)志あとる丸(大阪商船)
100プレイス(PLAICE)3隻 2,583t/百福丸(尾崎汽船)第10号海防艦

101プランジャー(PLUNGER)11隻 45,056t/遼海丸(日本水産)君島丸(飯野海運)
102ポギー(POGY)16隻/62,460t/最上川丸(東洋)駆逐艦峯風 まるた丸(日本海運)伊183
103ポラック(POLLACK)11隻 30,398t/帝安丸(帝国船舶)第54号駆潜艇 駆逐艦朝凪
104ポンフレット(POMFRET)4隻 20,936t/津山丸(日郵)あとらす丸・はんぶるぐ丸(阪商)
105ポンパノ(POMPANO)4隻 17,397t/東京丸(成宮)熱田丸(日郵)あかま丸(産業設備営団)
106ポンポン(POMPON)3隻 8,772t/ていむず丸(川崎汽船)
107ポアポイズ(PORPOISE)3隻 9,742t/運山丸(宮地汽船)興亜丸(極洋捕鯨)
108パファー(PUFFER)8隻 44,081t/駆逐艦芙蓉・隆洋丸(山本)特務艦足摺〃高崎・第42号海防艦
109クィーンフィッシュ(QUEENFISH)8隻 40,415t/千代田丸(日郵)豊岡丸(鏑木)満州丸(日本海)・阿波丸(日郵)
110ラシャー(RASHER)17隻 105,718t/紀洋丸(浅野)特務艦塩屋・帝洋丸(日東)空母大鷹
111レイトン(RATON)13隻 45,516t/尾上丸(日郵)北光丸(山下汽船)百合丸(大阪商船)へいわ丸(三井船舶)特務艦鞍崎
112レイ(RAY)12隻 48,789t/じゃんび丸(三菱汽船)光州丸(朝鮮郵船)南星丸(拿捕船)第7号海防艦
113レザーパック(RAZORBACK)1隻 820t/駆逐艦呉竹
114レッドフィン(REDFIN)5隻19,279t/駆逐艦秋雲・山形丸(日郵)あさなぎ丸(日本海運)
115レッドフィッシュ(REDFISH)5隻 41,474t/ばとぱは丸(石原汽船)鳳山丸(南日本汽船)瑞穂丸(大阪商船)空母雲龍
116ロック(ROCK)1隻 834t/♯7高砂丸(蓬莱タンカー)
117ロンキル(RONQUIL)2隻 10,615t/♯3吉田丸(山下汽船)福嶺丸(東亜海運)
118ランナー(RUNNER)2隻 6,273t/盛南丸(南洋貿易)神龍丸(内外汽船)
119ランナーⅡ(RUNNERⅡ)1隻 648t/第27号掃海艇
120S-28号(S-28)1隻 1,368t/桂丸(丸辰海運)

121S-30号(S-30)1隻 5,236t/神武丸(日魯漁業)
122S-31号(S-31)1隻 2,730t/啓山丸(山本汽船)
123S-35号(S-35)1隻 5,490t/♯7播州丸(西大洋漁業)
124S-37号(S-37)2隻 4,775t/駆逐艦夏潮・天山丸(大連汽船)
125S-38号(S-38)2隻 11,072t/巴洋丸(東洋汽船)明陽丸(明治海運) 
126S-39号(S-39)1隻 15,400t/特務艦襟裳
127S-41号(S-41)1隻 1,036t/正気丸(日魯漁業)
128S-42号(S-42)1隻 4,470t/敷設艦沖島
129S-44号(S-44)3隻 16,970t/松栄丸(松岡汽船)京城丸(朝鮮郵船)重巡加古
130セールフィッシュ(SAILFISH)7隻 42,177t/加茂川丸(東洋海運)いぶり丸(北海道炭鉱汽船)空母沖鷹
131サーモン(SALMON)4隻 27,875t/特務艦朝日・がんじす丸(阪商)おれごん丸(川崎汽船)
132サンドランス(SANDLANCE)10隻 37,298t/軽巡龍田・復興丸(太洋海運)
133サーゴ(SARGO)7隻 32,788t/多賀丸(日之出汽船)打出丸(太平汽船)和山丸(大東商船)
134サウリー(SAURY)4隻 26,547t/関東丸(原田汽船)あかつき丸(日本海運)松江丸(大連汽船)
135ソウフィッシュ(SAWFISH)敷設艇平島・伊29・橘丸(日本油槽船)
136スカッバードフィッシュ(SCABBARDFISH)2隻 2,315t/如月丸(日本製鉄)伊365
137スカンプ(SCAMP)5隻 33,324t/神川丸(川崎汽)伊68・関西丸(原田汽)日本丸(山下汽船)
138スコーピオン(SCORPION)4隻 18,316t/勇山丸(山本汽船)黒龍丸(大連汽船)
139スカルピン(SCULPIN)3隻 9,835t/波上丸(大阪商船)
140シーデビル(SEADEVIL)7隻 28,379t/伊364・はわい丸(南洋海運)

141シードッグ(SEADOG)9隻 16,548t/特務艦室戸・東光丸(日本近海汽船)佐川丸(三井船舶)弘安丸(藤山海運)
142シーアウル(SEAOWL)1隻 745t/第41号海防艦
143シーロビン(SEAROBIN)6隻 12,479t/たらかん丸(三菱汽船)昭裕丸(東和汽船)
144シードラゴン(SEADRAGON)10隻 46,370t/多摩川丸(東洋海運)神陽丸(大同海運)函館丸(日郵)伊4・大寿丸(大阪商船)
145シーホース(SEAHORSE)千早丸(拿捕船)うめ丸(栃木汽船)やすくに丸(浜根汽船)新玉丸(玉井商船)第21号海防艦
146シール(SEAL)7隻 27,744t/早隆丸(阿波国協同)さんくれめんて丸(三菱汽船)東征丸(金森商船)昭南丸(神戸桟橋)
147シーライオンⅡ(SEALION2)10隻 76,758t/♯2大安丸(正福汽船)特務艦白鷹・戦艦金剛・駆逐艦浦風・特務艦間宮
148シーラベン(SEARAVEN)4隻 21,428t/白羽丸(辰馬汽船)東亜丸(飯野海運)利山丸(宮地汽船)
149シーウルフ(SEAWOLF)18隻 72,706t/相模丸(日郵)海平丸(嶋谷汽船)第39号哨戒艇・飛鳥丸(日郵)弥彦丸(板谷汽船)
150セグンド(SEGUNDO)1隻 3,083t/勝利丸(拿捕船)*1945/8/29伊401捕獲
151セネット(SENNET)7隻 17,287t/はがね丸(大阪商船)
152シャド(SHAD)2隻 3,896t/海防艦五百島・梓丸(丸辰海運)
153シャーク(SHARK)4隻 21,672t/勝川丸(川崎汽船)高岡丸(日郵)たまひめ丸(浜根汽船)
154シルバーサイズ(SILVERSIDES)19隻 75,896t日慶丸(日産汽船)東栄丸(日東汽船)すらばや丸(大阪商船)明宇丸(明治海運)
155スケート(SKATE)照川丸(五洋商船)軽巡阿賀野・駆逐艦薄雲・三穂丸(東邦水産)益山丸(巴組汽船)伊122
156スキップジャック(SKIPJACK)6隻 27,980t/太山丸(興国汽船)春風丸(大阪商船)興津丸(日郵)駆逐艦涼風
157スナッパー(SNAPPER)海防艦六連・乾隆丸(乾汽船)盛安丸(川崎汽船)敷設艇網代
158スヌーク(SNOOK)17隻 75,483t/東生丸(木原商船)幸喜丸(橋本汽船)りぱぷうる丸(国際汽船)桂浜丸(土佐商船)日徳丸(中村汽船)
159スペードフィッシュ(SPADEFISH)19隻 69,076t/玉津丸(大阪商船)♯2八紘丸(日本油槽船)海防艦久米・讃岐丸(日郵)
160スペアーフィッシュ(SPEARFISH)2隻 6,070t/玉島丸(飯野海運)豊浦丸(日郵)

161スパイクフィッシュ(SPIKEFISH)1隻 1,660t/伊373
162スポット(SPOT)1隻 3,005t/南京丸(大阪商船)
163スプリンガー(SPRINGER)4隻 3,623t/第18号輸送艦・第17号駆潜艇・海防艦男鹿・第25号海防艦
164スチールヘッド(STEELHEAD)3隻 22,164t/山彦丸(山下汽船)だかあ丸(日郵)扶桑丸(大阪商船)
1654ステアレッド(STERLET)4隻 15,544t/仁栄丸(日東汽船)立山丸(西日本汽船)
166スティングレイ(STINGRAY)4隻 18,558t/はるぴん丸(日本海汽船)多聞丸(八馬汽船)いくしま丸(浜根汽船)
167スタジェオン(STURGEON)8隻 40,599t/もんてびでお丸(大阪商船)えりい丸(南洋海運)富山丸(西大洋漁業)
168サンフィッシュ(SUNFISH)15隻 56,187t/江戸丸(広南汽船)新夕張丸(北海道炭鉱汽船)江戸川丸(日郵)第73号海防艦
169ソードフィッシュ(SWORDFISH)11隻 47,184t/熱田山丸(三井船舶)山国丸(山下汽船)でりい丸(大阪商船)駆逐艦松風
170タンボア(TAMBOR)10隻 32,337t/ありあけ丸(日本海運)五洋丸(五洋商船)
171タング(TANG)24隻 87,957t/福山丸・玉鉾丸(会陽汽船)日錦丸(日産汽船)山岡丸(山下汽船)江原丸・松本丸(日郵)
172ターボン(TARPON)2隻 27,910t/伏見丸・龍田丸(日郵)
173トウトグ(TAUTOG)23隻 66,981t/伊28・おはいお丸(白洋汽船)駆逐艦磯波・〃白雲・伏見丸(内外汽船)第15号輸送艦
174テンチ(TENCH)4隻 5,069t/三上山丸(三井船舶)神鹿丸(栗林商船)♯6昌栄丸(共栄タンカー)
175スレッドフィン(THREADFIN)3隻 3,452t一星丸(山下汽船)海防艦御蔵・第39号掃海艇
176スレッシャー(THRESHER)15隻 57,935t/サド号(拿捕船)神祥丸(栗林商船)龍野丸(日郵)東宝丸(北海船舶)暁空丸(拿捕船)
177タイルフィッシュ(TILEFISH)2隻 1,297t/水雷艇千鳥・第15号掃海艇
178チノサ(TINOSA)16隻 64,641t/木曾丸(三光汽船)神威丸(岸本汽船)吾妻丸(日郵)広進丸(広海商事)加茂丸(日郵)若玉丸(玉井商船)
179タイラント(TIRANTE)8隻 15,863t/富士丸(関西汽船)日光丸(東亜海運)海防艦能美・第31号海防艦
180トースク(TORSK)3隻 2,376t/第47号海防艦・第13号海防艦

181トレパン(TREPANG)11隻 23,907t/拓南丸(台湾海運)第105号輸送艦・第146号輸送艦・第20号掃海艇
182トリッガー(TRIGGER)17隻 93,800t/和蘭丸(川崎汽船)昭洋丸(日東鉱業)駆逐艦沖風・でらごあ丸・靖国丸・三池丸(日郵)特務艇大立
183トライトン(TRITON)10隻 30,602t/昭久丸・大栄丸(東和汽船)伊164・駆逐艦子ノ日・♯1あまかす丸(甘粕汽船)近江丸(日郵)
184トロウト(TROUT)10隻 34,198t/中和丸(日東鉱業)五十鈴丸(日之出汽船)両徳丸(大塚商事)
185タリビー(TULLIBEE)3隻 10,572t/志かご丸(大阪商船)博丸(九州郵船)
186トゥナ(TUNA)3隻 10,986t/黒姫丸(黒姫汽船)
187トゥニー(TUNNY)楠山丸(山下汽船)♯2東洋丸(沢山汽船)厚生丸(日本水産)伊42・日和丸(日産汽船)
188ワフー(WAHOO)17隻 50,961t/高雄山丸(三井船舶)皐月丸(図南汽船)高雄丸(川崎汽船)♯2正木丸(日下部汽船)崑崙丸(鉄道省)
189ホエール(WHALE)9隻 57,714t/平洋丸(日郵)松安丸(松岡汽船)勝泳丸(大和汽船)鳴門丸(日郵)あかね丸(石原汽船)


●英国潜水艦による被雷喪失
001クライド(CLYDE)1隻 233t/喜久丸(日本水産)
002ポーポーイズ(PORPOISE)5隻 3,840t/第8号駆潜艇
003シーラバー(SEAROVER)2隻 3,370t/昭武丸(三井船舶)
004シェークスピア(SHAKESPEARE)1隻 2515t/雲龍丸(拿捕船)
005シャリマー(SHALIMAR)1隻 163t/♯7長雲丸(西海汽船)
006ステーツマン(STATESMAN)1隻 1,983t/♯5杉丸(拿捕船)
007ストイック(STOIC)2隻 3,116t/開南丸(岡田汽船)昌栄丸(三井船舶)
008ストーンヘング(STONEHENGE)1隻/長江丸(三光汽船)
009ストーム(STPRM)2隻 3,641t/第7号掃海艇・永興丸(大阪商船)
010ストラタゲム(STRATAGEM)1隻 1,945t/日南丸(大洋興業)
011ストロングボウ(STRONGBOW)2隻 1,477t/♯1東曹丸(元山運輸)万陵丸(拿捕船)
012タリーホー(TALLY-HO)6隻 11,231t/木曽川丸(東洋海運)軽巡球磨
013タンタルス(TANTALUS)2隻 3,651t/天城丸(日郵)日吉丸(拿捕船)
014タンチビー(TANTIVY)2隻 1,997t/知床丸(山下汽船)鳳丸(宗像商会)
015トラウス(TAURUS)3隻 3,727t/伊34・北安丸(東洋サルベージ)
016テレマカス(TELEMACHUS)1隻 1,575t/伊166
017テラピン(TERRAPIN)2隻 1,472t/熊野丸(三共海運)第5号掃海艇
018チプト(TIPTOE)1隻 993t/鳶丸(拿捕船)
019トレードワインド(TRADEWIND)3隻 7,016t/順陽丸(馬場商事)♯19南進丸(南方油槽船)高砂丸(蓬莱タンカー)
020トレンチャント(TRENCHANT)4隻 12,027t/スマトラ丸(拿捕船)宝山丸1号(日本油槽船)第105号掃海特務艇・重巡足柄
021トルアント(TRUANT)3隻 14,748t八重丸(国際汽船)春晴丸(大同海運)♯1多聞丸(八馬汽船)
022トルクレント(TRUCULENT) 2隻 4,950t/安島丸(飯野海運)治菊丸(拿捕船)
023トラスティ(TRUSTY)1隻 7,031t/豊橋丸(日郵)


●和蘭潜水艦による喪失
001K-14 2隻 14,792t/香取丸(日郵)日吉丸(北日本汽船)
002K-16 1隻 1,680t/駆逐艦狭霧
003K-17 1隻 1,938t/塔路丸(北日本汽船)
004K-18 1隻 6,988t/敦賀丸(日郵)
005O-19 2隻 1,630t/新興丸(図南汽船)豊成丸(拿捕船)
006O-21 2隻 10,592t/春日丸(内外汽船)山里丸(山下汽船)
007O-23 1隻 6,441t/善洋丸(東洋汽船)
008O-24 1隻 2,538t /長沙丸(東亜海運)
009ツワーデビッシュ(ZWAARDVISCH)1隻 1,970t/特務艦厳島

秘録北満永久要塞~関東軍の最後を読む。

2010年08月15日 18時36分54秒 | 15年戦争
今日は65回目の終戦記念日。
日本は昭和20年8月15日、連合国に無条件降伏して太平洋戦争は終った。
しかし満州の東北端、ソ満国境に構築された永久要塞=虎頭要塞では今まさに死闘が展開されていた。2個師団2万人のソ連機械化兵団を相手に2週間以上持ち堪えた満州第15国境守備隊1500名は逐次玉砕して果て、8月26日難攻不落の要塞もついには陥落した。8月15日に戦争は終結した筈なのに、国境守備隊と辺境の開拓団は捨石となり多くの尊い命が無駄に失われたのだ。筆者である岡崎哲夫氏は昭和18年学徒出陣、同20年虎頭要塞に配属、生存者僅か数十名という激しい戦闘を生き延び要塞脱出に成功したが、8月30日ハバロフスクで捕捉され、3年間の抑留生活を経た後、昭和23年復員している。私たちは北満辺境の地に、彼の独仏国境のマジノ線にも劣らぬ堅牢な一大地下要塞が存在していたことも、終戦後なお二週間に亘り激戦が続いたことも知らない。氏は虎頭要塞の内部を平面・断面図で実に詳しく描いている。通称「丸一」と呼ばれた大口径砲は戦艦に搭載する40cm砲を陸揚げして榴弾200発、炸薬400本を装備、常時シベリア鉄道イマン鉄橋に照準を合わせていた。そしてその大口径砲台も最後の戦闘で百数十発討って砲身が内部より炸裂して木端微塵となる。本書には随所に凄惨な描写があり胸がつかえて繰り返し読むことができない。氏は文中の登場人物を殆ど実名で書いた。それは苦難の運命に倒れた人々の名を永く留めようという祈りからだと結んだ。


●秘録北満要塞~関東軍の最後/岡崎哲夫/秋田書店サンデー新書S39年
岡崎氏は昭和30年、森永ドライミルク中毒事件で長女が被災、全国被災者同盟協議会の委員長に選出されている。

秘録北満永久要塞―関東軍の最期 (1964年) (サンデー新書)
岡崎 哲夫
秋田書店

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満ソ殉難記 (1980年)

満ソ殉難者慰霊顕彰会

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墓標なき八万の死者―満蒙開拓団の壊滅 (中公文庫 M 14-2)
角田 房子
中央公論新社

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1982チチハル・チャムス・牡丹江 (1982年) (満州の旅)
北小路 健,渡部 まなぶ
国書刊行会

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15年戦争の記録を3D的に読む。

2010年06月22日 15時15分13秒 | 15年戦争
昭和万葉集(講談社)・巻三の月報で、市瀬潤子さんという方の投降に目が止まった。市瀬さんによれば、戦争の最中に作られた歌と、戦後に当時を偲んで作った歌とでは、その差が明らかであると云う。戦争を知らない人が読んだらその区別はつかないで、むしろ戦後作られた歌のほうが(戦争体験を濃く煎じ詰め、言葉も選んであるから)感動するかもしれないが、市瀬さんには、戦時中のその生活体験の場で作られた歌のほうにこそ、その時でしか感じえない真実を汲み取れるし、さりげない言葉に共鳴して涙を誘われるという。

『昭和万葉集(全20巻+別巻)』には庶民の自由な心が生きている。思想統制の戦時下において、出征兵をお国のためと見送る提灯行列や万歳を振る日章小旗の影で其其の母は涙を堪えて泣いた。『朝日新聞に見る日本の歩み(全25冊/大正~昭和45年)』は当時の紙面を縮小版ながら有りのままつぶさに読むことができる。そして『昭和二万日の全記録/講談社』はその年、一年365日の主要都市の天気と気温、社会の出来事を日めくりで把握している。大変回り道のようだが、15年戦争の戦記や戦史を読む上で、これ等書籍は時代を立体的に捉える役割を担うべく大変重要なソースを提供している。


◎昭和万葉集(全20巻+別巻)
◎昭和二万日の全記録(全19巻)
◎朝日新聞に見る日本の歩み(全25巻)
講談社は目立たないが良い本を出してくれる。

1億人の昭和史シリーズUPしました。

2010年02月03日 18時17分58秒 | 15年戦争
昨年末に駆け込みで買い取り依頼のあった「1億人の昭和史」シリーズ70冊を自分に課した予定より一ヶ月遅れて、寅の子文庫の『15年戦争の本棚』と『おちゃのこネット』の両方へ新着UP。遠くて暗い15年戦争の昭和史をくぐり抜けてみれば、1億総日本人は戦後の焼け野原から立ち上がり、目覚しい高度成長を迎えるまでに至る。このシリーズも庶民の暮らしに密着したタイトルが続いて明るさを取り戻している。


◎別冊1億人の昭和史~日本のジャズ/1982年4月5日発行
ちょうど時同じ頃、渡辺貞夫(ナベサダ)に感化されて、御茶の水の下倉楽器でプリマヤナギサワのエリモナ80というアルトサックスを二ヶ月分の給料を叩いて買ったことがあった。しかしレッスン料をケチって独学で習得しようとハリキッてはみたものの、案の定挫折した。

マイ・ディア・ライフ~音楽生活50周年記念ベスト
渡辺貞夫,Toquinho,Jeff Pescetto,William Eaton,Ralph McDonald,Brenda Russell,Richard Bona,Sadao Watanabe,Kaoru Fujisawa,Marcio M.Moreira,William Salter
ユニバーサル ミュージック クラシック

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続小さな戦史/陸軍歩兵第219連隊第2中隊/河南会S60年

2010年01月25日 16時16分05秒 | 15年戦争
かって速読なるものに興味を持ち、その類の実用書を買いあさったことがあったが、どれも三日坊主で果たしてその術は未だ身についていない。しかし冷静に見つめてみれば其れら一連の読み物には結構眉唾なモノも多かったのではないかと振り返る。そしてまた、読みたい本は売れ、右から左へ我が前を通り過ぎていくのだ。


◎続小さな戦史~陸軍歩兵第219連隊第2中隊/河南会S60年非売品
個々の戦争体験を一篇でも多く読みたい。風化され今はもう埋もれていくだけの真実の声に耳を傾けたい。

兵役を拒否した日本人~灯台社の戦時下抵抗/岩波新書828を読む

2009年11月05日 07時56分09秒 | 15年戦争
兵役を逃れようと徴兵検査で醤油を飲んで身体を壊す者は居ても、軍隊という特殊な集団生活の場において、銃を返上してまで兵役を拒否する者は居ない。しかし15年戦争の最中、三人の兵士がほぼ時を同じくして上官に対し兵役拒否を申し出ている。即ち、明石真人と村本一生は、東京青山にある第一師団の軍法会議にかけられ、其々三年と二年の懲役刑を言い渡され、即日陸軍刑務所の独房へ入った。もう一人、三浦忠治は香川県善通寺の第11師団にあって懲役二年の刑に処せられている。彼らはともにキリスト教(タッチタワー:米国無教会キリスト者集団)灯台社の社員(信者)であった。以後、灯台社は過酷な弾圧に遭い、主幹明石順三は治安維持法違反の罪で懲役十年、妻の静栄も三年六ヶ月の二審結審を受ける。戦時下に非戦の抵抗を貫き投獄された明石と村本の師弟は戦後、出獄し再会を果たす。二人は手を取り合い、明石が「おもしろかったね」と言うと村本は「そうでしたね」とにっこり返した。やがて灯台社はアメリカのタッチタワー総本部と袂を分かち伝道の実践活動から離れていく。


◎兵役を拒否した日本人~灯台社の戦時下抵抗/稲垣真実著/岩波新書1972年


兵役を拒否した日本人―灯台社の戦時下抵抗 (1972年) (岩波新書)
稲垣 真美
岩波書店

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『原爆ゆるすまじ』 と 『生かされている命』

2009年10月07日 17時55分48秒 | 15年戦争
『原爆ゆるすまじ』には14篇の被爆手記が収録してある。
・あれから二十年/大江恵美
・弟の日記/四国五郎
・空中に被爆して/一被爆者
・太陽のない朝/はやみちかこ
・差別の壁をこえて/金崎是
・父母を失って/大倉和子
・たたかいの二十年/福田須磨子
・七歳の証言/山中みち子
・死中に生を得て~広島長崎での二重被爆記/山口彊●
・原爆とその後/~短歌と日記/山下寛治
・過去の広島商人として/温品道義
・医師として/杉原芳夫
・まともな目/志永禎吉
・たたかいの中で/吉岡幸雄

[死中に生を得て]の手記を寄せた山口彊(つとむ)さんは戦時中、三菱長崎造船所に勤務、命ぜられた出張先の広島造船所に滞在中、明日は長崎に戻るという日の朝被爆。その三日後には半身包帯に身を包み、命からがら戻った長崎の職場で再度被爆した。山口さんは終戦も知らず防空壕の中で昏々と眠り続けたという。その後、人員削減で造船所を解雇されたが独学で学んだ英語が身を扶け、米軍労務省、長崎港外高島炭鉱の中学校教諭などを経て1955年、三菱長崎造船所へ復職した。


◎原爆ゆるすまじ/広島県被爆者の手記編集委員会編
新日本新書9/1982年9刷(初版1965年)

被爆したとき生まれた捷利さんを平成17年、ガンで60歳の若さで亡くす。永年連れ添った妻は「あなたはどなたですか。何の御用ですか」と認知症になり昨年亡くした。平成18年、90歳を越えて出演したドキュメンタリー映画『二重被爆』を携えニューヨークに渡り国連本部で上映、反核スピーチをして『Aii for one,one for all(みながひとりのために、ひとりがみなのために)』と訴えた。平成11年8月、第37回原爆忌文芸大会で長崎県知事賞を受賞。著作には短歌歌集『人間筏(いかだ)』/あすなろ社がある。


◎生かされている命/山口彊(つとむ)/講談社2007年7月25日初版

山口さんのような「二重被爆者」は全国に165人程度いるというがその消息は定かではない。山口さんは最後にこう結んでいる「・・・一見、正しそうにみえる言葉に、どうか心を乱されないでほしい。良心に照らし、かき消されがちでも、確かに聞こえる心の声に耳を傾けてほしいと思う。そのことが人の世を信じられる原動力になると思う。」

山口彊さんのウィキペディア検索
生かされている命 - 広島・長崎 「二重被爆者」、90歳からの証言
山口 彊
講談社

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幻の声NHK広島8月6日(ラジオの青春1975年3月22日放送)

2009年05月14日 20時42分52秒 | 15年戦争
煩雑になりつつある15年戦争の売場本棚を整理して目に止まる。
パラパラめくるうちに一気に読んでしまう。
真実の叫びほど心を打つものはない。



1975年3月22日、『ラジオの青春』というラジオ放送50周年記念番組の最後に一視聴者からの投書が紹介された。昭和二十年八月六日、爆心地からわずか1kmに位置した広島中央放送局は被爆直後、死傷者多数を出し壊滅、放送も停止した・はずであった。統計ではこの1km円内における即日死亡率59%、その後の総死亡率90%という数字を出している。当時女学校1年生だった田辺澄子さんは原爆投下直後、放送停止した・はずの広島中央放送局から大阪局へ応援を求める女性の声を三次市近くの自宅のラジオで聞いた。その悲痛な叫びは息も絶え絶えに30分ほど続きやがてプツンと途切れたという。著者の白井久夫氏は自らが手がけたその『ラジオの青春』の一投書を手掛かりに『幻の声』の主を追い求める17年にも及ぶ取材を続けた。そして1992年、岩波新書新赤版No236『幻の声NHK広島8月6日』として日の目を見る。白井氏は最後にこう結んでいる~「ヒロシマの死者の心は、生者のヒロシマ体験の中に、なおも流れ続けていくといえよう。」

◎追記5/24
ブログ記事をお読みくださり本日売り切れ、オンライン古書店冥利に尽きる。

幻の声―NHK広島8月6日 (岩波新書)
白井 久夫
岩波書店

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『山本重爆撃隊の栄光/陸軍航空戦記』粕谷俊夫著

2008年01月21日 04時47分36秒 | 15年戦争
15年戦争の本棚には行き場のない故人の蔵書処分で買い取りに出した(売りに出した)と思われる本が不思議とよく集まる。予めその趣旨をメールで話してくださる方もいれば届いた梱包を解いた瞬間、鼻をつく経年独特の古本臭さでそれと気付くときもある。初めの頃は一冊一冊、何処の何方から買い取りした本などと丹念に記帳もしたが今ではそれも詮無いこと、いずれの本たちも売場本棚からまた何処かへ引き取られていく・・・


《山本重爆撃隊の栄光・陸軍航空戦記/粕谷俊夫著/二見書房昭和45年12月12日初版》

本書は陸軍飛行第十二戦隊(九七式二型重爆撃機)の戦記だが航空機(この場合爆撃機)の用法・操縦が随所に詳しい。また貴重な爆撃時の証拠写真(高高度撮影航空写真)が掲載してある。
・S16/12/08 スンゲイパタニ飛行場攻撃/高度3,500m
・S16/12/11 ペナン島埠頭攻撃/高度不詳
・S17/02/11 シンガポール港付近船舶攻撃/高度7,000m
・S17/04/28 ロイウイン東飛行場攻撃/高度4,500m
・S17/04/29 シウエボ市街攻撃/高度4,400m
・S17/05/05 保山市街攻撃/高度5,200m
・S17/05/09 チタゴン飛行場攻撃/高度5,000m
・S17/05/10 インパール市街攻撃/高度5,500m
・S18/04/11 敵艦船攻撃/高度3,000m
・S18/05/15 昆明在支米空軍施設攻撃/高度7,200m
・S19/不詳  アキヤブ飛行場攻撃/高度6,500m

著者の粕谷俊夫氏は大正4年東京生まれ。早大国文科卒、昭和15年3月入営、翌16年飛行第64戦隊(加藤隼戦闘隊)付となり終戦まで所属、階級は陸軍少尉。本人あとがきによれば、本書は収録テープ「飛行第十二戦隊の懐古」及び昭和38年8月から44年9月まで発行された部隊機関誌ともいうべき『無題の便り』22冊に因るところが多いとしている。またその当時には毎年建国の日(2月11日)に東京市ヶ谷駅裏手の偕行社に有志が集うとあった。在隊戦没者や在隊者の所在にはまだ消息不明が多く、本書巻末付録にある16頁、計318名の同隊戦死者名簿(S13/9~S22/1)についてもその整備を急ぎたいとして、本文中に実名登場している新阜洲賀夫氏(西宮市笠屋町17-30/当時住所)を連絡先に読者諸兄のご協力を賜りたいとあった。さらにはビルマ在隊戦没者山口文治少佐以下50柱が茨城県土浦市乙戸町の仏照寺釈迦堂に祭ってあるから最寄の方はお詣り願いたいと記している。あとがき日付けは昭和45年12月12日、月日は経ても戦友への思いは強い。ご存命であれば粕谷氏は今年94歳になる。襟を正して今日この良書を発送する。

『太平洋戦争沈没艦船遺体調査大鑑』池田貞枝著

2008年01月18日 04時36分12秒 | 15年戦争
年が明けて初めての新着UPは15年戦争の本棚から~
『太平洋戦争沈没艦船遺体調査大鑑/池田貞枝著/戦没遺体収揚委員会』は昭和52年7月10日、限定3000部で刊行された。著者の池田貞枝氏は元戦艦武蔵航海長にして海軍大佐、エリート軍人でありながら何の栄誉も求めず戦後30年の余生を只実直に戦時遭難した沈没艦船の記録収集に努められたが惜しい哉、出版を目前に昭和50年10月3日病没した。本書には戦艦大和以下連合艦隊戦闘艦艇688隻、商船等戦時徴用船舶2,956隻、合計3,644隻の沈没経緯(沈没年月日/原因/沈没位置)が収録してある。徴用船等については100トン以上の船を精査したが、海軍徴用船で100トン未満であっても最前線で稼動したものについては、わずか10数トンの雑用船舶に至るまで取り上げている。軍艦・徴用船の分け隔てなく一冊に収められたことに本書の価値は大きい。正にこれは戦争で沈んだ艦船たちの忠霊録に他ならない。


A4(296X210)判上製本ホローバック、表紙は豪華クロス巻きで本文は全て上級厚紙を使い534頁、重さ4kgにもなる。付属として沈没艦船の位置精密図が別途函入りで5枚付いている。


◎精密位置図は次のとおり
・捷一号海戦図(560X420)
・ガ島北、彼我艦隊沈没位置図(560X420)
・海軍艦艇の沈没位置精密図(1060X740)
・日本商船隊沈没位置精密図(1060X740)
・終戦時の各地戦力数および戦没者数(1060X740)

◎沈没艦艇種類と隻数
【一】艦艇
(1)軍艦
・戦艦 12隻(478,900t)
・航空母艦 22隻(445,710t)
・一等巡洋艦(主砲口径15,5糎を越えるもの)20隻(165,200t)
・二等巡洋艦(〃15,5糎以下)22隻(118,455t)
・水上機母艦 3隻(26,950t)
・潜水母艦 2隻(6,290t)
・練習巡洋艦 2隻(11,800t)
(2)駆逐艦
・一等駆逐艦(基準排水量1,000t以上)133隻
・二等駆逐艦(〃1,000t未満)9隻
(3)潜水艦
・一等潜水艦(基準排水量1,000t以上)98隻
・二等潜水艦(〃1,000t未満)47隻
(4)砲艦 6隻(3,985t)
(5)海防艦 88隻(70,225t)
(6)輸送艦 
・一等輸送艦(基準排水量1,000t以上)16隻
・二等輸送艦(〃1,000t未満)30隻
(7)水雷艇 10隻(5,790t)
(8)掃海艇 31隻(20,500t)
(9)駆潜艇 49隻(19,050t)
(10)敷設艇 20隻(11,921t)
(11)哨戒艇 16隻(16,043t)
※以上小計 644隻(2,051,425t)

【二】特務艦艇
(1)特務艦
*工作艦 2隻(20,440t)
*運送艦
・給油艦 17隻(217,530t)
・給炭艦 2隻(16,430t)
・給炭油艦 1隻(14,050t)
・給兵艦 1隻(10,360t)
・給糧艦 5隻(29,320t)
*砕氷艦 0隻
*測量艦 2隻(2,940t)
*標的艦 2隻(23,210t)
*練習特務艦 2隻(16,260t)
(2)特務艇
*敷設特務艇 4隻(1,570t)
*哨戒特務艇 0隻
*駆潜特務艇 0隻
*掃海特務艇 10隻(2,035t)
*電纜敷設艇 3隻(4,692t)
(3)雑役船   0隻
※合計 688隻(2,409,765t)
 
◎商船隊沈没(輸送船他)2,956隻(8,864,150t)は全て次の種別に分類される。
*陸軍徴用船
*海軍徴用船
・自営船
・貨物船
・貨客船
・敷設船
・特設監視艇
・漁船
・特設巡洋艦
・特設水上機母艦
・特設航空母艦
・特設潜水艦母艦
・海底電線敷設船
・特設兵器運搬船
・貨物運搬用雑役船
・潜水艦捕獲網運搬船
・救難船
・掃海船
・水雷兵器運搬船

海上で戦死戦没した者には墓標は立たない。今なお広大な太平洋の海原深く数千隻の大小船舶艦艇が傷ついた姿で横たわり、幾十万の英霊は収揚も叶わぬままその船内に閉じ込められている。池田氏はこうした英霊に対し沈没艦船の所在を突き止めることで哀悼の意を表し、それが戦争で死ななかった職業軍人としての責務であると考えていた。「若い世代の人々が戦没した父や兄の終焉の地をこの書により知得できれば本書刊行の大半の意義は達することになる」と氏は結んでいる。戦後60余年を経て戦争の記憶は風化の一途を辿る。本書を頼りに一体でも多くの遺骨収揚が望まれてならない。

寅の子文庫の、15年戦争の本棚から

『海なお深く~太平洋戦争 船員の体験手記』

2007年10月22日 06時56分46秒 | 15年戦争
太平洋戦争中、軍部陸海軍に徴用され、戦争海難に遭い沈没した商船は100総トン以上で2,394隻、実に800万トンを越えるという。その沈没原因は雷撃によるもの56,5%、以下、空爆30,8%、触雷6,7%、他普通海難事故による沈没4,9%と続く。船員たちも軍人に倣い「特攻戦士」としてドラム缶をデザインした特攻マークを付け、死の海へ送り込まれた。わずか数10トンの木造カツオ鮪漁船が特設監視艇に艤装され、元より火器小銃もなく双眼鏡すら持たされず監視任務に就いた。それは同時に敵を発見したとき、自らの死を意味していた。


【海なお深く~太平洋戦争 船員の体験手記】
・全日本海員組合編/新人物往来社/初版1986/A4上製393頁
本書は第一章から第6章までに42話の手記が掲載されている。
軍部に徴用されて死の海を彷徨った船員たちの魂の叫び。

・巻頭8ページ写真15枚
・巻末解説
「表1~開戦後の船舶徴用計画見積り(総トン)」
「表2~日本商船隊喪失推移(500総トン以上)」
「表3~船員関係諸統計」
・参考文献(42点中抜粋)
「日本商船隊戦時遭難史/海上労働協会/1962」
「日本商船隊の崩壊/妹尾正彦/損害保険事業研究所/1949」
「船舶太平洋戦争/三岡健次郎/原書房/1983」
「武器なき海/海上の友編集部編/海上労働協会/1961」
「護衛なき輸送船団/神波賀人/戦誌刊行会/1984」
「船舶砲兵/駒宮真七郎/出版共同社/1977」
「続船舶砲兵/駒宮真七郎/出版共同社/1981」
「最後の輸送船/竹内いさむ/成山堂/1982」
「炎の海/見崎平三/自費出版/1985」
「戦没船員の碑/日本殉職船員顕彰会/1981」
「偽装病院船事件/御田重宝/現代史出版会/1977」
「作戦日誌で綴る大東亜戦争/井本熊男/芙蓉書房/1979」
「大本営発表/海軍篇/富永謙吾/青潮社/1952」
「海防艦戦記/海防艦顕彰会/1957」
「日本郵船戦時船史/日本郵船/1971」
「殉職者追悼録/山下新日本汽船/1982」
「内航船首の航跡/全日本内航船首海運組合/1981」
「船舶運営会会史/船舶運営会/1947」
「あゝ学童疎開船対馬丸/対馬丸遭難者遺族会/1978」
「海運業と海軍/寺谷武明/日本経済新聞社1981」
「海上護衛戦/防衛庁防衛研究所戦史室/朝雲新聞社/1971」
「太平洋戦争沈没艦船遺体調査大鑑/池田貞枝/戦没遺体収揚委員会/1977」

掲載手記(42話中抜粋)
・防空船ありぞな丸の死闘(増田禮二)
・補給船団コタバル沖に沈む(当摩誠一)
・冷凍船秩父丸の最後(高松一男)
・砕氷船高島丸沈没のあとで(小田芳太)
・千島に眠る少年海員の霊に(沖之悠)
・悪夢の南アジア補給路(須藤順)
●特攻輸送「ヒ87A船団」全滅す(高橋清三郎)・↓補足
・バジー海峡鎮魂(木村利三雄)
・弾薬輸送船安国丸の彷徨(土江春夫)
・知られざる漁労部隊の悲劇(山本真次)
・"特殊漁船"トロール船の徴用(川崎正市)
・敵前に捨てられた撤収船隊(江田敏男)
・死臭の船第六雲洋丸(後藤隆)
・身代わりとして散った漁船員の霊に(千葉次郎)
・天南丸の航跡を追って(泉谷迪)
・妻として語る海からの遺志(真崎ナミ子)
・父とブラジル丸(石井糸子)
・"父の海”この胸に(尾島恵津子)
・ガダルカナルの空へ行け(平野洋子)

また1冊、15年戦争の本棚から手元に残したい本が売れた。
備忘録を日記に留めて、千葉のTさん今日送ります。

《参考になったサイト》
『海事博物館ボランティアのあれこれ』より、太平洋戦争と日本商船動向(70)の記事
リンク先記事中に「ヒ88船団/昭南(シンガポール)→門司/昭和20年2月4日発」とあるが大暁丸は、ヒ86船団ではないだろうか)」の、大暁丸の消息が出ていた。海事博物館ボランティアのあれこれには15年戦争を通して軍が徴用した民間船舶の記事が詳しい。

『海なお深く』にはその往路にあたる「ヒ87A船団/門司→昭南/昭和19年12月31発」の一隻「さらわく丸」に乗船した高橋清三郎さんの手記が載っている。日本の命運を託された最後の高速タンカー10隻によるヒ87A船団は、「さらわく丸」を残して全滅、新たに復路「ヒ88J船団/昭南→門司/3月20日出港か)」に再編成された7隻で「さらわく丸」は昭南(シンガポール)を出港、本土を目指すが、わずか数時間で磁気機雷に触れ翌3月21日沈没、船団も仏印沖で米軍機及び潜水艦の攻撃を受け3月29日には全滅した。昭和19年6月以降、サイパン陥落、マリアナ沖海戦の惨敗と続き、米軍にレイテ湾の上陸を許した頃、日本軍には制海権も制空権もなく、本土への海上補給路は完全に絶たれた。


《追記》


海南島(Hainan)から門司(Moji)を目指した「ホモ03船団」を護衛した第1号海防艦。同艦は「ヒ88J船団」の護衛任務に従事、生きながらえたが昭和20年4月6日、アモイ南方洋上で米陸軍第345爆撃隊の攻撃を受け沈没。艦腹や海面上にはまだ多くの乗員が見えているが機銃掃射は依然として加えられている。乗組員179名は全員戦死した。
*丸スペシャルNo28/海防艦/1978年、真実の艦艇史2/学研2005年引用


《追記・その2》~11/11

『真実の艦艇史2』には乗員179名全員戦死と出ていたが、『海防艦戦記/海防艦顕彰会編集』原書房刊/昭和57年によると、第1号海防艦の戦績と乗員名簿が掲載されており、この資料が正しいとした場合には昭和20年4月6日、敵機攻撃沈没による戦死は155名と数えられる。他後日病院病舎病没20名、昭和19年9月21日戦死4名、合計してはじめて乗員179名となるので、同書(真実の艦艇史2)解説にはやや説明不足の感がある。
第1号海防艦の断末魔の状況を思い、御霊(みたま)安かれと祈りを捧げ、『海防艦戦記』より乗員戦死者氏名を転記した。

*昭和20年4月6日、南支那海方面に於いて敵機の攻撃により戦死と推定する者。
海軍中佐 有馬國男(兵庫)
海軍少佐 尾上登(広島)
〃    各務白一(岐阜)
海軍大尉 藤津守(山口)
〃    長谷川昇(大阪)
海軍中尉 龝秋枝米一(山口)
〃    昆善三郎(岩手)
〃    川野辺國男(山形)
海軍主計中尉 竹内貞(東京)
海軍少尉 渡邊源市(岡山)
〃    田邊猛(徳島)
〃    山崎信義(島根)
海軍兵曹長 大宮茂(愛知)
〃    山本定男(愛知)
〃    三原圓重(島根)
〃    山本國夫(岡山)
〃    片山儀一(山口)
〃    木田亀次郎(大阪)
〃    大西孝幸(広島)
海軍上等兵長 道遊清登(広島)
〃    森山孝(兵庫)
〃    武田貢(兵庫)
〃    岸本貞造(鳥取)
〃    山下長光(鳥取)
〃    西山勘一(鳥取)
〃    藤本康壽(山口)
〃    杉山好夫(岡山)
〃    大槻誠治(兵庫)
〃    北村信太(兵庫)
〃    尾崎清水(愛知)
海軍一等兵曹 沖本正司(広島)
〃    三鼓清三(岡山)
〃    駒田恒男(三重)
〃    齊藤三二(愛知)
〃    久保清隆(愛知)
〃    高見秋進(鳥取)
〃    山内晶吾(島根)
〃    大倉優(岐阜)
〃    丸毛静雄(岐阜)
〃    藤田清(兵庫)
海軍二等兵曹 大川廣治(三重)
〃    加藤保生(三重)
〃    野田勝(三重)
〃    宮嶋清(岐阜)
〃    長瀬要(岐阜)
〃    脇田武男(愛知)
〃    丹羽正(愛知)
〃    伊東政義(愛知)
〃    田中長二郎(大阪)
〃    豊田正二(大阪)
〃    小野政茂(大阪)
〃    深田茂雄(広島)
〃    佐藤康(広島)
〃    木下忠士(広島)
〃    宅見慶次郎(兵庫)
〃    難波澄次(岡山)
〃    川本雅男(山口)
〃    三村清(徳島)
〃    長谷川積(鳥取)
〃    近藤延充(鳥取)
〃    岡本敏美(鳥取)
〃    横田義人(島根)
〃    曾田嘉治吉(島根)
海軍水兵長 塚本昭二(愛知)
〃    加藤久夫(愛知)
〃    葛島金平(愛知)
〃    加藤賢二(愛知)
〃    渡瀬房夫(兵庫)
〃    清水文次郎(兵庫)
〃    大石義夫(広島)
〃    長塚茂(広島)
〃    藤井肇(広島)
〃    石井信(広島)
〃    谷川正吉(和歌山)
〃    大東春男(大阪)
〃    荒子藤吉(大阪)
〃    山村一夫(岡山)
〃    高山基彦(岡山)
〃    瀬尾次郎(三重)
〃    野中辰郎(三重)
〃    岡田恭二(三重)
〃    森下友衛(鳥取)
〃    山中昇(岐阜)
〃    堀清(岐阜)
〃    三次光久(山口)
〃    田中利夫(山口)
〃    山田次郎(山口)
〃    水野久富(山口)
〃    尾崎好正(山口)
〃    今岡泰隆(島根)
〃    土江芳(島根)
〃    川添茂(高知)
〃    荒木幸年(高知)
〃    小西一芳(岡山)
海軍上等水兵 森川金次(岡山)
〃    鈴木藤一(愛知)
〃    中野敬二郎(愛知)
〃    奥村等(岐阜)
〃    武藤宗一(岐阜)
〃    吉村要三(岐阜)
〃    近澤秀次郎(三重)
〃    足立太嘉治(兵庫)
〃    白銀正美(兵庫)
〃    松原好男(広島)
〃    山崎幸男(広島)
〃    松井登(岡山)
〃    坂田禎治郎(滋賀)
〃    宮本貞雄(山口)
〃    窪内冨士男(高知)
〃    岩井伊太郎(和歌山)
〃    吉川清(愛知)
〃    南正男(大阪)
〃    小谷正一(大阪)
〃    井辺留市(和歌山)
〃    古川二郎(鳥取)
〃    酒井泰治(秋田)
海軍機関兵曹長 池尻和男(兵庫)
〃    馬場満喜治(大阪)
〃    徳納勲(広島)
〃    上市博(岡山)
〃    隈部恭壽(熊本)
海軍上等機関兵曹 東楠吉(和歌山)
〃    高畠長平(兵庫)
〃    冨尾嘉市(島根)
海軍一等機関兵曹 林清(愛知)
〃    市田薫(岐阜)
〃    山本重信(三重)
〃    古川恒春(兵庫)
〃    秋山鶴次(広島)
〃    田鶴新一(広島)
〃    石井淳(岡山)
〃    樋口六次郎(大阪)
〃    沖本満徳(島根)
海軍二等機関兵曹 生駒秀男(和歌山)
〃    坂口敏明(大阪)
〃    沖浩太郎(兵庫)
〃    小巻正雄(兵庫)
〃    田中梅忠(山口)
〃    白井敏夫(山口)
海軍機関兵長 水上音次郎(三重)
〃    山本茂人(島根)
海軍上等機関兵 土井喜代治(兵庫)
〃    杉田年男(広島)
海軍二等工作兵曹 朝倉孝信(福岡)
海軍上等工作兵 松村浩(大阪)
海軍上等主計兵曹 鎌田伸也(広島)
海軍一等主計兵曹 慶野節夫(大阪)
海軍二等主計兵曹 樋口邦典(和歌山)
〃    桑原博三(広島)
〃    中原梅弘(山口)
〃    新田一登(島根)
海軍主計兵長 枡楽實(島根)
〃    細川章(広島)
〃    小林一市(岡山)
海軍上等衛生兵曹 山本秋三(大阪)
計155名

◎以下、昭和20年5月2日別府病院に於いて戦傷死
海軍少尉 松尾仙次(山口)

◎以下、昭和20年5月25日香港海軍病舎に於いて戦傷死
海軍一等兵曹 大崎武士(岡山)
〃    山田進太郎(岐阜)
〃    富士埜原茂(広島)
〃    三浦武士(山口)
〃海軍二等兵曹 村上正雄(岐阜)
〃    茅野啓三(岩手)
〃    木地主竹(兵庫)
〃    安倉志之太(岡山)戸し
海軍水兵長 宮島金男(愛知)
海軍上等水兵 溝端三男(兵庫)
〃    堀本利幸(広島)
海軍機関兵曹長 山村好松(山口)
〃    箕岡秋造(広島)
海軍一等機関兵曹 千葉直雄(宮城)
海軍二等機関兵曹 宮島辰夫(岐阜)
〃    角田桂石(岡山)
〃    高本昌(島根)
〃    小林七郎(兵庫)
〃    近松安太郎(奈良)
計20名

◎昭和19年9月21日比島方面に於いて戦死した者4名
海軍大尉 尾崎義雄(広島)
海軍二等兵曹 吉川清敏(兵庫)
海軍上等水兵 足立梅吉(兵庫)
〃    加島一誠(愛知)
計4名
----------------
上記全合計179名 

 
《追記・その3》~12/12
※上記『大暁丸』の船団が判明した
→ヒ88D船団(戦時輸送船団史/駒宮真七郎)


《追記・その4》~2008/7/3

今既に手元に初版本はなく、アマゾンで1冊買い求めてみた。
初版は新人物往来社から出ていたが現在新刊で入手できるのは中央公論事業出版から2004年8月15日に刊行された復刻版のみ。その復刻あとがきには1986年の初版と第二版で7000部を発行したが在庫が底をつく、全日本海員福祉センターと全日本海員組合は2005年の創立60周年の佳節に記念事業の一環として共同で本書復刻刊行の経緯があった。本書は戦争を知らない世代に読んでほしいとの思いから全国の高等学校5400校の図書館に寄贈他、計7000部を発行するとしていた。

武井武雄の、『戦中気侭(きまま)画帳』

2007年10月17日 20時10分30秒 | 15年戦争
死んだ父の名代として親戚縁者の葬式に出る機会が多い。
通夜振舞いや精進落しの席ともなると、必ずや戦時中の苦労話が出る。それを聞くことが何より故人の供養でもあり、以前には相槌を打って軽く聞き流していたようなときもあったが、この頃では貴重な戦争体験の証言として、一言一句聞き漏らすまいと全神経を集中させている。


【ジュニア版太平洋戦争史第3巻死闘編/悲風の大決戦/初版S37年】
この本を小学校の時分に父親に買って貰い、夢中で読んだ記憶がある。もう手放して久しかったが最近、同じ本をオークションで競り落とした。この1冊に端を発して以降、戦争の本に傾倒していく・・・良いも悪いも。戦艦大和や零戦など兵器本に没頭した時期もあったが今は更生している。近年では、戦時下を生きる庶民の暮らしをテーマに巷に埋もれている戦争体験をコツコツと拾い集めている。


【戦中気侭(きまま)画帳/武井武雄/筑摩書房S48年上製B6横192頁函入】
童画の大家、武井武雄といえば、日本幼年やコドモノクニがすぐ浮かぶ。その武井さんが戦時下の東京池袋で自らの空襲体験を絵日記に綴られていた。


全ての頁(画)に日付と添え書きがあり、それが貴重な空襲記録でもある。童話で見慣れた挿画とイメージを異にしているが、普段ペンばかり使っていたので毛筆の稽古という塩梅で書いたと言う。この絵日記は昭和12年頃から始められ、戦後24年11月まで続けられた。戦争という暗い時代を振り返るとき、武井さんの絵日記に庶民の逞しさをみて不思議と何か救われる思いが涌いてくる。

《参考になったサイト》
武井武雄の世界
武井武雄の世界 イルフ童画館

岩波新書184【原爆に夫を奪われて】が売れて。

2007年07月08日 17時24分37秒 | 15年戦争
矛盾しているが《15年戦争の本棚》には手元に残しておきたい本が多い。
岩波新書184【原爆に夫を奪われて】もその中の1冊。
今、これから荷造りをする前に、今一度ページをめくりメモを取る。

【原爆に夫を奪われて~広島の農婦たちの証言/神田三亀男編】
岩波新書184/初版1982/2/22

*まえがき
*本文19編
・番外の夫婦じゃったが 《西本セツコ》明治34年4月10日生まれ
・苦しみの煮つまった死 《門前ツルヨ》〃38年4月20日
・大水害と原爆と 《道原シナヨ》〃43年11月22日
・出てきた遺言状 《両祖フジヱ》〃43年1月7日
・遺体と寝た母 《藤岡キヨノ》〃30年2月7日
・薬指の棺桶 《桃木タマノ》〃39年10月27日
・乳飲み子にも放射能が 《横丸露子》〃43年
・生きて戻ったが 《野村マサ子》大正9年10月7日
・呉服屋から百姓へ転進 《住居治子》明治45年3月27日
・戦争が狂わせた一代 《松田ヲチカ》〃34年5月28日
・ピカ後家になって 《切戸ヤヱ》〃43年2月28日
・島へ、主人をさがしに 《辰本サダ》〃27年10月21日
・病身の私を残して 《両祖シズコ》〃32年9月6日
・乳飲み子を背負うて 《蓼キヌヨ》〃40年1月25日
・励まし合うて生きてきた 《高崎ハル》〃35年2月17日
・今も寝られん夜がある 《松本みどり》〃31年4月8日
・主人と子供二人の死 《横地トシコ》〃39年12月1日
・はてしのない思い 《下桶カズ》〃29年7月5日
・死んで戻った主人 《杉田チヨコ》〃37年8月15日
*証言の記録を終えて/神田三亀男

本書は原爆で夫や家族を奪われた名もなき農婦たちの聞き書きをまとめたもので、
編者まえがきによれば、1981年3月から10月まで『日本農業新聞』広島版に「土と年輪~原爆に主人を奪われた農婦たちの36年」と題して計53回にわたり連載した記事に、更に4人の聞き書きを加えて1冊にまとめられている。取材地は広島市安佐南区佐東町(旧安佐郡川内村)にて、この町には「原爆未亡人村」といわれる川内温井(かわうちぬくい)地区がある。B29・エノラゲイ号から投下された原子爆弾はこの日、広島市内で作業中であった旧川内村より選抜構成された「川内国民義勇隊」191名の頭上で炸裂し、義勇隊は全員死亡した。そしてその日、川内温井地区には同時に原爆未亡人が75世帯もできた。その日から本書取材に至るまで26人の未亡人が現存し、その中から19人の声を1冊の本にまとめた。編者である神田三亀男さんの取材は録音機を要せず、全てご自身の丹念なメモに拠った。本書に声を残した方の何人が今もご存命だろうか。戦争の現実と悲惨、原爆未亡人と呼ばれた農婦人たちの叫びを風化させてはならない。
広島のTさん、すみません、明日発送します。



《紹介したいサイト》
広島ぶらり散歩の義勇隊の碑の、ページ

《サイト内関連記事》
岩波新書530【あの人は帰ってこなかった】を読む、の記事(05/8/22)
古本寅の子文庫の、15年戦争の本棚

沖縄慰霊の日に。

2007年06月24日 11時36分08秒 | 15年戦争
昭和20年6月23日、
第32軍司令官牛島満中将は未明に自決を遂げ、この時を以って沖縄における日本軍守備隊の組織的抵抗は終息した。沖縄県では条例で毎年この6月23日を沖縄慰霊の日と定め公休日としている。沖縄方面の日本南西総軍が嘉手納基地において降伏文書に正式調印したのは終戦の日(8月15日)よりまだ3週間以上先の昭和20年9月7日のことだった。6月23日以降も非戦闘員の住民のなお多くが戦争の犠牲となったが軍司令官自決の日を何故、慰霊の日と定めたのか疑問に思う。

沖縄戦末期、日本軍守備隊は首里を捨て島尻(本島南部)に撤退した。米軍の掃討作戦に巻き込まれて南部喜屋武半島の村々では一家全滅した屋敷跡が今も点在しているという。米須(旧摩文仁村米須)では実に全戸数215戸のうち63戸が死に絶えた。現在、ひめゆり平和祈念資料館にほど近い米須小学校の道一本隔てた向かいの地には忠霊之塔が建立され碑銘には一家全滅した63戸159名の名前が刻まれている。

追い詰められて摩文仁の海岸洞穴には軍民入り乱れ今は最後の時を待った。降伏しなければ米軍に正面から火炎放射器で焼かれ、降伏して出ていけば裏切り者として日本軍に背後から撃たれた。6月22日の朝日天声人語は先月「嘉手納基地」一周17,5kmを手をつないで包囲する「人間の鎖」という反戦デモが参加者不足のため1987年以来4度目にしてついに途切れたと論じた。

高校の歴史の教科書が来年から変わる・・・文部科学省の検定意見により沖縄戦における住民の集団自決に軍が関与したとする記述が削除される。少しずつ15年戦争の記憶、反省と教訓が失われていく。62年前の今日もきっとこんな蒸し暑い梅雨晴れの空であったかと思う。


【ひめゆり/女師・一高女沿革史】1987年/A4判上製布表紙ホローバック769頁


《紹介したいサイト》
ひめゆり平和祈念資料館
ある旅人の○×な日々の、読書録「沖縄の島守」の記事

《参考・引用した本》
高文研の、観光コースでない沖縄