肯定的映画評論室・新館

一刀両断!コラムで映画を三枚おろし。

『素晴らしき日曜日』、観ました。

2006-06-23 20:52:23 | 映画(さ行)

素晴らしき日曜日 ◆20%OFF!

 『素晴らしき日曜日』、観ました。
戦後まもないころのある日曜日、貧しいサラリーマンの雄造は、恋人の昌子と
デートするが、お互いのポケットの中は合わせて35円しかない。その後も憂鬱な
出来事ばかりが続き、すっかりふさぎこんでしまった2人だが、日比谷公会堂で
『未完成交響楽』のコンサートがあることを知り……。
 三船敏郎のいない黒澤映画なんて…、志村喬のいない黒澤映画なんて…、だけど、
観れば、そんな先入観もたちまち吹っ飛んでしまう。いかにも黒澤監督らしい
人物の内面を抉(えぐ)り出すような“演出の極み”。それから、1つの台詞が
10の言葉の意味を持ち、戦後の貧困から自分への憤(いきどお)り、不条理な
社会への不満とやり場のない怒り‥、主人公の隠された100の感情を表現する
“脚本の巧み”。いや、それにも増して、作品全体から放出される“カリスマ”
とでもいうのかな。映画の何処のどういう場面を切り取っても絵画のように
完璧な構図と、鋭く研ぎ澄まされた映像は、観客が一度観たら目に焼き付いて
離れない。それらはすでに完成され、“後(のち)の巨匠クロサワの誕生”を
予感させる。それにしても、若き日の黒澤明が、こんなにメルヘンチックで
ハートウォーミングな恋愛映画を撮ってたなんて‥‥。勿論、物語が動き出す
過程において、主人公の若い男女が味わう“戦後の貧困”と、厳しい現実の前で
脆くも崩れ去る“愛のか弱さ”も交互に描かれているのだけど、そんな2人が
映画の最後で手にする“小さくても確かな希望”に心温まる。今回、オイラは
黒澤映画には珍しく涙がボロボロ、数箇所に渡って胸にグッと来るものが
ありました。特に、映画終盤に訪れる夜の野外音楽場の場面。木枯らしが吹き、
枯れ葉が舞う…、ヒロインが誰も居ない観客席に向けてする哀願は、まるで画面の
こちら側でみている我々に訴えかけているような迫力を感じた。結局、若い2人が
その“素晴らしき日曜日”によって得たものがひとつ。真にミジメな生き方とは、
お金が無く、物が買えない事じゃない。自ら“夢”を見るための瞳を閉ざし、
未来へ生きるための“希望”を捨て去ることなんだよ。ラストシーン、きっと
主人公男性が踏みつけた煙草の吸殻は、昨日までの“ミジメな自分との決別”を
意味しているんだろう。今、一点の曇りもない晴れやかな気持ち…、観終わって
こんな気持ちになった黒澤作品もまた珍しい。

 


『未完成交響楽』、観ました。

2006-06-23 14:36:50 | 映画(ま行)

未完成交響楽(トールケース仕様)

 『未完成交響楽』、観ました。
19世紀初頭のウィーン。小学校教師で売れない作曲家の若きシューベルトが、
公爵夫人主催の演奏会でデビューする。そこで出会った美しい伯爵令嬢
カロリーネと恋に落ちる。しかし、それを快く思わない伯爵は、二人を
引き裂こうとするが‥‥。
 “黒澤明が選んだ100本の映画”に入っていたからっていうのもあるけれど、
やっぱり“タイトルのミステリアス”に惹かれて借りてみた。映画は、
シューベルトが残した(いや、正確には“完成した形”では残せず放置したと
いうべきか…)「未完成交響曲」に秘められた真実を、独自の視点からロマンス
たっぷりに描いていく。でもって、観終わった直後のボクは、映画的な
出来過ぎ感が拭いきれずに“半信半疑”。しかし、その後この映画の信憑性を
確かめるべく調べてみたら、あながち全てが作り話という事ではないらしい。
専門家がいくつか唱える説の一つのようだ。うん、そう思えば、改めて聴く
シューベルトの「未完成交響曲」は何と切なく、ロマンティックに感じられる??
ならば、“愛”のために作られた曲は“夢”のある物語だと…、この映画が
真実であるように、ボクはそう信じたい。
 さて、本作の制作は1933年、上映時間は僅か88分間。言わずもがな古くて
短い映画なんだけど、この(重厚な)内容を、この(短い)時間に上手くまとめ
上げたのはさすが。例えば、自分が精魂込めて書いた曲を、自分の思い描いた
通りに歌ってくれた時の喜び、その女性と“恋に落ちる瞬間”もよく分かったし、
更には、鍵盤の上で触れ合う手と手に顔を赤らめ、酒場にて魅惑的に踊る
彼女に自分の感情を抑えられなくなる描写など、二人が“音楽を通して”
惹かれあっていく過程が丁寧に描かれている。多分、人によっては(かつての
恋人を捨てた)シューベルトの行為を“薄情”だと感じるかもしれないが、
その大部分が「義理」や「恩義」で結び付いていた元恋人との関係とは違い、
カロリーネとの絆はもっと崇高で神聖な「尊敬」や「憧れ」だったんだろう。
もはや“理性”などがそこに割って入ることができない、シューベルトは
実直であり過ぎたからこそ、自分の気持ちに嘘を付けなかったんだ。