『素晴らしき日曜日』、観ました。
戦後まもないころのある日曜日、貧しいサラリーマンの雄造は、恋人の昌子と
デートするが、お互いのポケットの中は合わせて35円しかない。その後も憂鬱な
出来事ばかりが続き、すっかりふさぎこんでしまった2人だが、日比谷公会堂で
『未完成交響楽』のコンサートがあることを知り……。
三船敏郎のいない黒澤映画なんて…、志村喬のいない黒澤映画なんて…、だけど、
観れば、そんな先入観もたちまち吹っ飛んでしまう。いかにも黒澤監督らしい
人物の内面を抉(えぐ)り出すような“演出の極み”。それから、1つの台詞が
10の言葉の意味を持ち、戦後の貧困から自分への憤(いきどお)り、不条理な
社会への不満とやり場のない怒り‥、主人公の隠された100の感情を表現する
“脚本の巧み”。いや、それにも増して、作品全体から放出される“カリスマ”
とでもいうのかな。映画の何処のどういう場面を切り取っても絵画のように
完璧な構図と、鋭く研ぎ澄まされた映像は、観客が一度観たら目に焼き付いて
離れない。それらはすでに完成され、“後(のち)の巨匠クロサワの誕生”を
予感させる。それにしても、若き日の黒澤明が、こんなにメルヘンチックで
ハートウォーミングな恋愛映画を撮ってたなんて‥‥。勿論、物語が動き出す
過程において、主人公の若い男女が味わう“戦後の貧困”と、厳しい現実の前で
脆くも崩れ去る“愛のか弱さ”も交互に描かれているのだけど、そんな2人が
映画の最後で手にする“小さくても確かな希望”に心温まる。今回、オイラは
黒澤映画には珍しく涙がボロボロ、数箇所に渡って胸にグッと来るものが
ありました。特に、映画終盤に訪れる夜の野外音楽場の場面。木枯らしが吹き、
枯れ葉が舞う…、ヒロインが誰も居ない観客席に向けてする哀願は、まるで画面の
こちら側でみている我々に訴えかけているような迫力を感じた。結局、若い2人が
その“素晴らしき日曜日”によって得たものがひとつ。真にミジメな生き方とは、
お金が無く、物が買えない事じゃない。自ら“夢”を見るための瞳を閉ざし、
未来へ生きるための“希望”を捨て去ることなんだよ。ラストシーン、きっと
主人公男性が踏みつけた煙草の吸殻は、昨日までの“ミジメな自分との決別”を
意味しているんだろう。今、一点の曇りもない晴れやかな気持ち…、観終わって
こんな気持ちになった黒澤作品もまた珍しい。