インドへの道20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパンこのアイテムの詳細を見る |
『インドへの道』、観ました。
イギリスから婚約者の待つインドへやって来た女性アデラ。ふとした誤解から、
案内をしてくれた現地人のアジド医師が彼女に暴行したという容疑をかけられ、
反英運動の渦に巻き込まれていく‥‥。
好き嫌いは別にして、ボクが思う“史上最強監督”はこの人、、デビッド・
リーン。これはその遺作となった作品ですが、実はボクが唯一リアルタイムの
映画館で観た映画なのだ。‥‥とは言っても当時のボクは真新しい学ラン着た
高校一年生、、勿論そんなボクにこれが“紛れもない巨匠の作品”だとは
分かっても、作品の持つ繊細で深い意味までは理解出来る筈などありゃしない。
何となく分かったようなフリして映画館から出たのを 覚えてる(笑)。しかし
今、本作を観直して改めてその“完成度の高さ”に驚いた。やはりデビッド・
リーンは、最後の最後まで《天才》だった‥‥。
映画は、イギリス植民地時代のインドが舞台。主人公のヒロインは“東洋の
神秘”に強い憧れを持ちながらも、イギリス・インド両国の“絶対的な主従
関係”に戸惑いを隠せない。今回、リーンはその狭間で揺れる女性心理に
スポットを当て、抑制されつつも圧倒的な演出力で観る者すべてに問いかける。
例えば、ヒロインが一人自転車に乗って街外れで仏像を見付け、突然のサルの
大群に襲われ逃げ帰る場面‥‥つまり、これが意味するものは、自分だけは
インド人の“良き理解者”であると自負していた英国人ヒロインが、インドの
文化に触れようとした途端に拒絶され、己も“肌の白い英国人”であることを
思い知らされるわけだ。
加えて、物語終盤に用意された「暗く狭い洞窟」はヒロインの“心の闇”を
象徴し、こちらから手を差し伸べている時は大丈夫でも、いざ相手(インド人)が
自分のテリトリーに入ってくるやいなや“隠れていた不安”が溢れだし、逃げ出す
彼女の“偽善”を抉(えぐ)り出す。結局、この映画で描かれていることは、
そのまま現在の先進国と展途上国との関係にも通ずるわけで、相手の文化など
分かろうとしないで“己の価値観”だけを押しつける先進国、、「助けてやってん
だから感謝しろ」と言わんばかりの傲慢(ごうまん)さ。それは立ち塞がる「支配」と
「被支配」の関係か‥‥、2つの民族間に“空いた溝”は簡単には埋めることは
出来ないんだね、哀しいけれど‥‥(涙)。
映画ラストは雨、雨、雨‥‥、インドの“乾いた大地”に雨が降る。そして、
ボクは願ってる。その雨が“汚れた過去”を洗い流し、きっと次に晴れ間が
射す時には“新しい未来”が鮮やかに広がっていることを‥‥。