ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔09 七五の読後〕 【占いの謎】板橋 作美 文春新書

2009年10月10日 | 〔09 七五の読後〕
【占いの謎】板橋 作美 文春新書

 私のこの先の人生に幸運、不運のどちらが待っているのか。
人は気になった時に、おみくじや占いに頼る。
 「占星術は天文学の愚かな娘だが、その娘の娼婦稼業で天文学は養われている」
文中にケプラーの言葉が引かれていて、思わず笑ってしまった。
上手いことを言う。
でも占星術も易の思想も天体観測といっしょに発展してきたひとつの秩序ある世界観を持っている。
著者は、日本の迷信(俗信)を文化人類学の見地からとらえなおしている東京医科歯科大学教授。

●ウロコがあるのに魚じゃない 移動するにゃお脚がない
ウロコがあるのに魚でない 
移動するにゃお脚がない 
泳ぎも得意で木へ登る 
家の中にも入ってくる
 今日のテレビで松戸市の「すぐやる課」が取上げられ、職員がお年寄りのトイレに入ってきた青大将を捕まえたシーンを見た。
だが、蛇が家にいるということはあながち悪いことではないのだ。
以前、岩槻に住んでいた時、懇意にしていた農家では時々、梁からこの青大将がドサリと落ちてくるとの話しを聞いたことがあり、それを家の守り神だと言っていた。
またその頃、近所の奥さんに頼まれて物置の蛇の抜け殻を引き取ったことがある。
蛇の抜け殻は金が溜まるということで、それをいただき、いまでも箱に入れ、仕舞ってあるのだが、あれから40年。
おカネは、あまり溜まらなかった。
蛇とオカネは日本では結びつけて考えられるが、西欧の夢判断では蛇が出てくると、それは性的抑圧からの願望とフロイト流の分析学が幅を利かすらしい。
それぞれの国の文化と社会から切り離せないところに「占い」のあれこれがあるようだ。

● 枕という敷居またげば夢世界
「近所の火事の夢をみたんだが、正夢にならなければいいがと心配する。」
そして1か月後、正夢は外れ隣の町で火事が実際にあった。
「そうか、あれは逆夢だったんだ」と解釈し直しても、それはそれで話は成り立つ。
正夢、逆夢での解釈のずれは、その反対を考えてみて当ってるという自在性があるのも占いのよいところ。
若い頃、フロイトの夢判断に関連する本を夢中で読んだことがあったが、夢の中に隠された心理、特に「性」の表現をめぐっての夢の暗示と占いの意味づけは、ほぼ同じようなものだったのではないかという気がする。

★ ミョウガには赤い花が咲いてケツ
めったに咲かない花が咲く。
そのことに驚く。
茗荷に赤い花が咲くと凶作、飢饉が起こりやすいとする伝えが、山形・温海町の民俗にある。
 この本には、こうした花の色や動植物の異常と近未来をつなげた俗信を全国各地から幅広く採録してあって興味をひく。

● 箒星消えて桜田門外変
井伊大老襲撃。
江戸の桜田門に雪が降ってそれが血で赤く染まった頃、滋賀県最高峰の山・伊吹山には大きなほうき星が現われたという。(岐阜「養父町史」通史篇 下巻)
そういえば、あれはあの時のことなんだと、大老井伊の首が刎ねられたことと箒星を重ねてその意味を探る。
日暈は別名白虹ともいうが、古代中国では、白虹が太陽を貫くことは、兵乱の兆しとされた。
大阪朝日新聞が大正デモクラシー高揚時期の記事でこの故事から「白虹日を貫けり」と書き右翼などから狙われた事件もあった。
太陽、月、虹、太陽などの形や色の異常性を予兆、前兆という「兆し」として捉え、その印を解釈する。
これも占いの世界につながってきた重要な要素だ。

● 易者どの 高層ビルから占断し
1970年代までは、千住の下町などの一角に易者が机を出して座っていた。
当時、浅草などへ行くと、易者が小さな白いテントを使って手相などを見て、まわりにはぐるりと見物人が囲んで感心して聞いていた。 時は移る。
流行っている易者さんは今、高層ビルの一角で人の行く末を占っているらしく街頭では見かけなくなった。
以前、易経 上・下 (岩波文庫)を読んだことがきっかけで、易の八卦にかなり興味を持って独学した時期がある。
また筮竹を用いずに擲銭法で卦を立てる占法もあることを知り、10円玉5枚と100円玉一枚を混ぜてそれを実践した。
八卦には八象がある。
八卦のそれぞれが象徴するもの。乾は天、坤は地、坎は水、離は火、艮は山 兌は沢、巽は風、震は雷を表す。(広辞苑より)
この八に八を掛けた六十四卦の組み合わせ内容をほぼ暗記した。 いまでも娘やカミさんから「占って」などと頼まれ、失せ物などでやってみるのだが、「当る!」と言われ、評判は悪くは無いようだ。
昭和40年代頃は職場の競馬ファンがこっそり夜電話してきて「明日のレースで気になる馬がいる。その運勢を教えてくれ」なんていうこともあった。
卦象に「山沢損」とか「風雷益」があるが、損益などの語源は易経
にあった。
また、「霜を踏んで堅氷に至る」とか「窮すれば則ち変じ、変ずれば則ち通ず」などの名言がちりばめられていて読み応えもあった。
占いは的中することもあるし、外れることもある。
当たるも八卦当たらぬも八卦というが、悪いことが起こらなかったら、それはあなたが頑張ったからだと説明はつく。
裏(外れ)が無いから「裏無い」と占いが皮肉られることもある。

● 幾星霜 占いだけは愛されて
国会図書館での著者の「占い本」献本検索結果。
1950年代  11冊   
  60     42
  70    167
  80    323
  90    564
2000年
        60
2001   101
2002    81
2003   172
1990年代に、占い本が突出しているのはなぜだろう。

● 血の流れ B明るくてA暗く
昭和48年、長男が1歳のとき「血液型入門学」能美正比古が出版された。
これは一大ブームにもなった本だったが、私もよく読んだ。
日本人に最も多い血液型は、A型だがこのAは顔で笑って心で泣く暗くて消極的なタイプで、Bは気分屋、本音人間で明るいなどと説明される。
私のO型などは、進取、積極的で建前と現実を上手く使い分けるとか、AB型は合理的だが睡眠不足に弱いなども書いてあったと思う。
当時の田中角栄は金権B型で、三木武夫は清貧A型など著名人の血液型も調べてあった。
血液型で相性を見るとか、血液型と占いを結ぶ方法を考えたり占いとは相関不離の関係にある。
問題はABといった具合に二者択一で考えるとなんとなく説得力が出てくる点だ。
これは占いの陰と陽の世界にも通じる。
五行や干支・九星などに配して相性をみたり、相克の不和、災難などを考える。
二項対立、二分法、二元論、プラスとマイナスなどの原理が占いに多いところに著者は注目している。

この本は易やトランプ占いなどの偶然性からはじまって必然への向い方、無から有への読み解き、意味のあとづけの占いの世界を紹介した。
全国に散らばっている俗信のあれこれの多くを採録してあるのも面白かった。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿