ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔忘却からの帰還〕 【誇り―人間 張本勲】 山本 徹美 講談社

2011年12月09日 | 〔忘却からの帰還〕
【誇り―人間 張本勲】山本 徹美 講談社

 右手に障害を持ち、原爆手帳を持つプロ野球人・張本の半生を綴ったもの。
張勲(チャンフン)として在日韓国人の立場で生きてきたその素顔は、強烈な被差別感と球魂に向けた、すざまじい英気に漲っていた。
しかも、在日韓国人のまま活躍を続ける「誇り」にも包まれている。

 「弾をとるか、球をとるか」
1940年生まれの張本と戦後、焼け跡のなかのヒロシマ。
映画「仁義なき戦い」を産んだヒロシマ風土の中で少年は育っていく。
4歳のとき、焚き火の中に右手を突っ込んでしまい、大やけど。
右利きだった張本が、野球で左打ちなのは、やけどの後遺症が原因。
被爆体験を持つ彼は匕首を懐に喧嘩に明け暮れる少年時代も送っていた。
どの道に転んでも只者にはならなかった逞しい意力と天性の俊敏性が文中の紹介から感じられる。
学校転籍をめぐって断食を賭けて浪華商への志願を通した。

「兄さん」と慕った力道山が深夜の室内でボリュームを下げて朝鮮のレコードを聞く。
「堂々と聞けばよい」の張本のことばに激怒する力道山。
北朝鮮出身とわかれば日本の四角いマットのスターではいられないと諭す力道山。
在日朝鮮人の生き方を巡っての世代の違いが鮮明に現れて、このシーンは文中最も興味深い一章となった。

野球人として金田、王、張本らそれぞれの在日の生き方が戦後史の中で重なりあって一読の重みがさらに加わった一冊となった。
                  2002年 冬読了


出向した小伝馬町ビルの近くに雀荘があり、そこは力道山の身内の方がやっていた。
同僚たちがよくでかけ、マージャンをしない私も付き合わされたが酒でその席は
一緒にしていた。

「サンデーモーニング」は欠かさず見ている番組だが、大喝!の張本あっての面白い内容ともなって続いている。

背広がよく似合う球界のOB紳士から十代の猛者ぶりなど、いまや想像すらできにくい。





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