in the heart side・・ヒトツバタコ

いつもその時の出会いを大切に・・

お誕生日 partⅡ

2009-05-31 23:46:58 | Weblog
昨日、誕生日にまつわる話を書いた。

友人から、それでも”おめでとう!!”と言ってもらえる幸せを思う。

自分を丸ごと受け入れて、私の存在を認めてもらっているようで嬉しい。・・きっとそんなに大上段に構えて言っている者はいないかもしれないけど。

この年になって、誕生日なんて話題にする者の方がかわってる・・と、そんな声が聞こえてきそう。

でもあの時から私の誕生日は、また違う意味を持つ日になったのも事実。

また1年・・頑張るべ!!

声に出しても、出さなくても、私が今いることを”おめでとう!”と言ってくれる方み~んなに ありがとう!また1年よろしくね。
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誕生日

2009-05-30 14:44:56 | Weblog
今朝はどうもいけない・・

明日が誕生日と思うとナンカいらつく・・

心優しい夫が”誕生日はどうする?”と言ってくれる。ひねくれものの私は、心の中で嬉しくもなんともないっす。と言ってる。

私のパーキンソン病とのお付き合いは、13年前の誕生日から・・

”31日に所見をご連絡します。”と言われ、”きっと良いお誕生日プレゼントになるぞ。”と思っていた。

一本の電話から私の誕生日がホントにまたもう一つの誕生日になった。

人生80として(そんなに生きていたいと思わないけれど)40,40と区切ってみるのもいいかも・・

東京で働く息子が、昨夜”お誕生日おめでとう!”と電話をよこしてきた。

”電話よこすなら日にちまちがえるな!”と悪態つきつつ、息子の優しい気持ちが嬉しく、そのノー天気さに癒された。

そして、まだそんなところをウロウロしている自分に余計、なにかしら イラついてしまう。・・・まだまだでござりまする。
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自分の持ち物

2009-05-28 14:32:47 | Weblog
欲しい、欲しいと思って、どんなに頑張っても手が届かないときがある。
昔はそんなとき、大泣きして地団駄踏んだもの・・
そうすると、いつも誰か、小さい時は親が・・少し大きくなるとお友達やらが・・そしてもう少し大きくなると恋人が・・私が泣きやむ程度の代わりのものを持ってきてくれた。

そんなふうに年を重ねてきたように思う。

そんな私が、今度は地団駄踏む子供の相手をする立場になり、いろんな辛い思い繰り返した末にやっと欲しいものは、与えられるものでないことに気付いた。

頑張って手に入らないときは、縁がなかったものと思う。

私のものになるべきものでなかったと思うことにする。

私が欲しいと思い、そして私に必要なもの、私にお似合いのものは自然に身近にあったり、突然目の前に現れたりするような気がする。

そしてそうやって身につけたもの全てが、私という一個の人間。

出来たら安物でもいいから品の良いものに囲まれたいと思う・・でも、これって全部自己責任だよね・・?
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万物の霊長

2009-05-18 08:31:05 | Weblog
昨日は、義父の忌明けと納骨だった。

お骨は、骨壺ごとではお墓に入らないので、そのまま骨ごと入れるかあるいはさらしの布で簡単に袋を作り、その中に骨をいれて収めるのがいいと聞いた。

なぜにさらしかというと、綿で出来ているから骨と一緒に腐り、土に帰るからとう。ナルホド・・

そのまま墓の中にザーっとではちょっと抵抗が・・裁縫は得意でないが袋くらいれる。形はできあと紐を通すのにハタと考えた。体裁考え、綺麗な色の紐を通しただが素材は・・ポリエステルこれではダメだ。

つまり自然に帰るのだから自然のものでないといけないのである。
さらしを細く裂いて紐を作り完成です。

昨日はあいにくの天気だったので、法要終わるとすぐに骨壺から袋に骨を入れて堂からトコトコと墓まで歩いた。私の手の中にあるのは、かつて私と話をし、確かに泣いたり笑ったりしていたおじいちゃんの残骸である。

手の中にある”物”を見ながら人間の生きること、死んでからのことを思った。

万物の霊長である人間はやがて腐って土に帰るのだと・・・今健康であろうと、パーキンソン病で苦しんでいようと、金持ちであろうと、貧乏であろうと・・人格者であろうと、犯罪者であろうと・・

折しも、車中に神戸に住む長男から電話がはいった・・”新型インフルエンザが原因で一週間大学が休校になった”と。

政府あるいは、その関係者は、水際作戦とかで本当にウイルスを日本に持ち込ませずにいられると、考えたのだろうか・・だとしたら

人間は生物・・動物であることを忘れていけないと思う。
人間だけが生き延びられるはずがない。
ウイルスの感染を最小に留める努力は、必要だが無菌にするより雑菌と共生できるような免疫力をつけるべきなのでは・・

かく言う私もいつ、新型インフルエンザにやられちまうかわからないけど、この騒ぎが治まったらマスコミ総出で人間の生きる道を考え直した方がいいと思う。

万物の霊長なる人間様のあるべき姿・・そんなこんなを思った一日でした。


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忌明け・・ときがたつということ

2009-05-12 00:27:03 | Weblog
早いものでおじいちゃんが、あの世?というところに逝ってしまってからそろそろ49日を迎える。

私は宗教にも疎く、仏教用語にも疎いので「忌明け」を検索してみた。

・・・・・・・・・・・以下・・・・・・・・

「忌明け」は、喪の期間があけることを言い、一般的に死後49日後を「忌明け」とするところが多いようです。

49日後とするのは、お釈迦様が49日のあいだ瞑想を続けてさとりを開き、新しく生まれ変わったという仏教の教えに由来するものです。

また、このとき菩提樹の下で7日ごとに場所を変えて瞑想したことから、7日ごとに法要を行い、故人の冥福を祈るようになりました。

人も死後49日後に生まれ変わり、浄土へと旅立つとされることから、忌明けにあたる49日の法要は、特に大切なものとされています。

忌明けのことを「満中陰」とも言います。

人が死んでから新しく生まれ変わるまでは、この世の者でもなく、生まれ変わってもいない中間的なところにいるとされ、その間を「中陰」または「中有」といいます。そして、49日後に生まれ変わりの日を迎えるので、中陰が満ちる=満中陰となるのです。

故人が善い世界へ生まれ変わることを祈り、供養するのが忌明け(満中陰)の供養です。遺族、親族、友人等が集まり、僧侶の読経、喪主から順に全員が焼香をした後、喪主が会食の席を設けるのが一般的です。

・・・・・・・・以上・・・・・・・・・・・

ということらしい。

何だか少し由来がわかったようなきがする。
でもそれとは別に、本当に私の感覚的なもので”49日"というのは絶妙なタイミングのような気がする。

葬儀を終え、何だかポッカリ穴が開いたようになり、そのうち雑事に追われ日々の暮らしにも追われ・・段々自分達優先の生活に移行していく。気がつくと、1ヶ月ほど過ぎている。

49日までは、おじいちゃんが居心地よいようにと、お花をいっぱい飾ってあげることを心に決めていた。・・長くもなく短くもない私自身も納得できるくらいの期間だ。

今度の日曜に豊川稲荷で”忌明け”の法要をすることになっている。

”とき”というものは、凄い"力”持つものだと思う。
大概のことは、”とき”が解決してくれる。

昔の人は、49日くらいすぎると何だか心も落ち着いてきて、お骨をどこか他の場所におさめることもできるようになることを知っていたのだろうと思う。それが、お釈迦様の教えということになっているのではないだろうか・・?

あれやこれやと拙い頭で考えても仕方ないことばかりだけれど、”時間”の流れの中にフワフワしている自分を思うときがある。
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医師と患者

2009-05-09 06:13:18 | Weblog
昨日は、通院日。

思うところあり、思い切って病院を変えようかとずっと思っていた。
意を決して話してみた・・すると、”ああ、いいですよ。紹介状かきましょう”と・・

私・・”あのう、もう少し引き止められるというか、不愉快というか、そんな顔されるのでないかと思ってきたのですけど”。
先生・・”大学病院は言われる通り、小回り利かないことよくわかるし、僕だけでなく違う医師の見立てを聞くのもとても良いことと思うから”と。

ここまでなら”ふ~ん、とってもものがよくわかった先生で人間が出来てる”という話だが・・

どこの病院へ移るか聞かれ答えると、”いいんじゃないの”のあとに本音がボロボロと・・中でも気になったのが、"あそこの病院は、薬の種類をたくさん出す傾向にあるからなぁ””この病気の薬は飲んでみて初めて分かるから僕たちでも、「これでいいんだ」と言われると反論できないよ””数多くの患者さんを診ているのは認めるけどやりすぎ"・・云々。”薬の考え方は僕とは、ずいぶん違う。僕の経験から薬の種類、量はできるだけ基本となるものは少なめにしたほうがいいし、多い人ほど厄介な症状でているように思う。あそこの病院から流れてきた人の飲んでいる薬の量にはびっくりする。”

ここまで言われると私も返す言葉なく、”また戻ってきたら診ていただけますか?”と思わず言ってしまっていた。

名医とは、どんな医者を言うのだろう?

まだまだ病院通いが続く身・・・この先どうなるんだろ?

こちらが賢い患者になる方が、名医にめぐり会う機会待つより何だか早いような気もしたりした日だった。
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