in the heart side・・ヒトツバタコ

いつもその時の出会いを大切に・・

おじいちゃんのこと

2009-03-06 09:06:56 | 日記
家のおじいちゃんを見ていると、つくづく人というのは、それぞれに持つ寿命を全うするように何かしらの”力”が働いているように思えてくる。

肺炎起こし、”いつ何があってもおかしくない状態です”と、言われ息子達にすぐ会いにくるように伝え、夫の兄弟にも今までの確執を水に流し会いにきてもらった。けれど明後日に退院するほどに持ち直しすことができた。先日、お会いしたご住職が”用意周到の間は大丈夫なものです。”と言われたがホントにそのとおりかも・・
おじいちゃんの生命力に、生きているかぎり”生きなきゃいけない”とまた教えられたようだ。

娘が余程可愛いのだろう・・”試験が終わったから、会いにきたよ。試験頑張ったよ”と娘が声かけるとおいおい泣きながら”。。ちゃん、万歳!”とまたわけのわからぬこと言いながら喜んでくれ、持って行ったアンパンまで食べた。

細い腕に点滴しずめなために手の甲は、黒ずみ血がにじんでいる。
身体は本当に硬くなり海老のように曲がって、首は後ろにそってしまって・・

それでも”辛い”とか聞いたことがない。
正直、私はパーキンソン病という厄介な病背負い少し死生観が変わってきた。
おじいちゃんを見ていて、自分にだぶり”神様というものがホントにおられるのならもう勘弁してあげてください。”と思う時がある。もう十分頑張った人生だとほんとにそう、思う。

おじいちゃんのことを、”かわいそうだ”と言われるたびにむかっ腹がたち、”そんな言い方しないで。"と誰構わず言ってしまう。

かわいそう・・気の毒な様・・気の毒とはどういうことだ。
文字通り気の毒になる人はいっぱいいる。けれど、一生懸命に生きて今まだ、懸命に生きる人に対して使う言葉でないと思う。

人は一人では生きてはいけない。
最後に残るのは、キザなようだけど”無償の愛”ではないだろうか・・
それってやはり無償のものを与えた者にもどってくるような気がする。

今、おじいちゃんに私達いや、私ができることは何もなくただ心を寄せることくらい。

おじいちゃんは、出会ったころから今に至っても本当にいろんなことを私に教え続けていてくれる。
コメント
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