in the heart side・・ヒトツバタコ

いつもその時の出会いを大切に・・

忘れられない言葉

2008-09-25 20:23:44 | Weblog
ここ2,3日自分でも呆れているが、どうしても検索に拘る自身がいる。

何やってんの?と聞くもう一人の私がいる。
知ってどうするの?という自分もいる。

・・・でも気になってしまう。

福岡の小1の男子殺害事件である。

母親の病は何だったのだろう?

気にする私に夫が”それがパーキンソン病であったとしてなんだというのか・・?もしそうであってもそれだけのことだ。”と言う。

夫にも子供にも厄介な病気を抱えたことに負い目がある。
優しくされるほどに切なくなる。
そんな自分が嫌でたまらなくなるときがある。

愚痴っぽい人間は嫌いだった。誰かと友達になりたいと思うのは、その人と時間持つと楽しかったり、勇気づけられたり、癒されたりするからだろう・・
人の悪口や愚痴ばっか聞かされた日にゃ、嫌にもなるだろう・・

けれど、人間それほどにいつも強くはいられない。

とても痛ましい事件である。

人は、ほんとに勝手なことを言う。
"トイレにもいけない人が、子を殺め、隠ぺいできるのか?勝手のいい病気持ちだ”
”たかが子供の言うことにキレるなんて馬鹿親だ”
"周りの人は何をしていたんだ?”
”どうして相談しなかったんだ?”

こういう言葉を聞くとメッチャ腹が立つ。

”わかったふうなこというんじゃねえよ!!

トイレに介助必要とする人の気持ちわかってるのか?

それも小1の息子に頼まなくてはいけない者の気持ちが・・”

自分に自信がなくて、子に負担を強いることに罪悪感感じ、ましてや自分を他人にさらすほどの強さもなく孤立無援をいつも思う人の孤独感はどんなものだろう?

この事件に、言及できるのは、この家族だけだ。

自分も含めて自分以外の人の苦しみを分かち合う、分かち合おうとする人間かどうかをこの手のこと言う人に聞いてみたいものだ。

この事件を私は自分自身の教訓にできたらと思う。

この母親の抱えた病気は私の病ときっと、似たり寄ったりだろう。
私の病気が、子供たちや周りの人の不幸の原因になりたくないと真に思う。

私は、どうすればいいのだろう?

今、改めて思いだす言葉がある。
もう2年以上前になる・・文字通りパーキンソン病とともに生きられた方と食事したとき、書く紙がないと言っておもむろに机上の紙ナプキンに書かれた言葉。

”君 仕合せの発信人たるとも
 
 不幸の製造人になる莫れ”

みんなそれぞれに幸せになれたら、そうできたらと思う。





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久し振りの日記

2008-09-21 08:50:47 | Weblog
お母さんってツライどすえ・・これが最近の本音。

娘も18歳になり、少しは周りがみえるようになってきて、自分も頭痛持ちやらなんやらで"痛み”に関してはとても気遣ってくれるようになってきた。それは嬉しいのだが、私のボケぶりやら、夫とのやり取りから感受性強い分色々思うところあるようで・・

昨夜も夕食時、思わず”体がだるいとか、疲れぐらいなら我慢できるんだけどなあ・・”と、こぼすと、涙いっぱいためてジッとみてくる・・

”やだなあ・・そんな顔せんといて”と心底思う。

そこで”うそぴょん、何でもないよ。一人ごと”とうそぶいた。

私は、つくづく思う。この病気の辛いところは、気力でどうしようもないところではないかと。

と、ここまで書いて大間違いに気づいた。気力で何とかなるなんて病気はないか

何事においてもそうであるが、知らぬが仏・・である。

私も10年すぎ、薬効も以前のように魔法のごとくでなくなってきたり、本当にこの病気とうまく付き合っていくことの難しさと取り組んで見える方を知り得ると、今までのようにノー天気に色んなことを書けなくなってきてしまった。

少し壁にぶつかっている自分がいます。

私らしさ、自分らしさってとても曖昧な言葉と思う。問題にぶつかったときや、選択を迫られた時どういう決をとるかということが、"自分らしく”ということでないかと、友人がいっていたけど。

この壁を前に前の私なら思いっきり蹴飛ばしていたと思う。

今は、どこに流れていくのか頭使わず(使えず?)にいたいという私がいる。
何にもしたくない(できない)私がいる。

今の私の正直な気持ちです。

今日は、一日雨かな
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夜明けの空

2008-09-09 06:00:50 | Weblog
友人の言う”紫色の空”が見たいと思い、今まで思いもしなかった夜明けの空をみてみた。

グレーがかったオレンジ色にうっすらと紫がかり、本当にいろんな色が融合され、”幽玄”という言葉がぴったし!だと思う。

そして見るみる間に朝がくる・・

新しい朝・・新しい一日・・新しい私に・・”おはよう!今日も一日よろしくね!!”

そんなこと思う夜明けの空・・今日はお天道様とってもげんきそうです
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私のタラ・レバ

2008-09-04 09:08:46 | Weblog
こんなこと考えても仕様がないと言えば返す言葉もありませんが・・
ある方の投稿にたいしてのコメントで書いたもの・・私のパーキンソン病にならなかったら、パーキンソン病でなければ、つまり私の”タラ・レバ”です。

以前そう、13年くらい前、私は自分のお脳の弱さタナにあげ、ホントに上昇志向の強い人間だった。
努力すれば、できぬことないと子供に暗黙にプレッシャーかけていたと思う。
出来て当たり前・・テストも100点とってきたといってあまり褒めたことがない。
長男は所謂優等生だったので、そんなこんなが当たり前ですぎてきたが、次男は勉強が嫌いだったので家の雰囲気が嫌だったと思う。娘も斜に構えた子だった。

ところが、自分が逃れようもない病気を抱え、”生きる”ことをもう一度嫌というほど考えさせられて私自身が、変わり周りも変わった。

兄は言う・・お前が病気になってなければ付き合いたくない人間だった。きっと今のようにお前たち夫婦も仲良くなかっただろうな。と。

友人たちも言う・・あんたはこの病気になってなければ離婚してたかも・・と。

子供達も言う・・お母さん変わったよ。大らかになってアホになってきた・・と。

身体の不自由なお爺ちゃんのこと気持ちがわかるようになってきた・・

私も言う・・”これで健康になったらお母さんは、物のよくわかった天使様になれるよ”と。

ここまでわかったのだからもう、神様堪忍して下さいというのが本音。

神様はその人に持てぬ荷物は持たせぬとのこと。
そこで私は言う・・”これ以上、良い人になって神様なんかに見込まれたら大変だ。これ以上の荷物はもうごめんだ”と。でもこんなこと言ってるとまた、もうちょっと教えてやろうなんて思われてもやだしなあ・・と思う。

こんなこと言ってると、友人は”神様なんかいるもんか!"というけど・・

幼馴染も病気に感謝する貴女は素敵だと言ってくれる。

そんな言葉を鵜呑みにするお調子ものの私を、神様はどう見てるのかな?

神様がいようが、いまいが毎日過ごさねばいけません。

時にはいいけど”タラ・レバ”はやはりあんまし意味ないかもなあ、そんな気もする。
コメント (2)
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