in the heart side・・ヒトツバタコ

いつもその時の出会いを大切に・・

古池や 蛙飛び込む 水の音

2008-06-29 11:20:38 | Weblog
一昨日、過日応募した、例の高齢者福祉計画策定委員会の開催資料が届いた。

正直、驚いた。

正直”どうしよう・・・?”って感じ

こんなにちゃんとしたものと分かっていたら応募などしなかった

いつもこうだ・・・ホントに学習能力がない

メンバーが某大学大学長、某短期大学教授、市の医師会、歯科医師会、薬剤師会それぞれの会長・・・等々

私の肩書・・市民代表(一般公募)である。間違いないです。一般公募に応募したものです。

どうなることやら・・・トホホ

逃げるわけにもいかず、覚悟決め出かけるしかない。

はてさてどんなことになるやらと、もう一人の私が笑っている。

と、ここまでの気持ちの綾を兄に話すと、”お前は、求めているものが何か間違っているような気がする・・”と言う。要するにそういった肩書に憧れているような、そんな人たちと席同じくしたいがためのように思えると言う。

全く私の不徳の所以だと恥じ入る。

兄曰く、”もうそんなところに目をやらず、足元だけ見ろ"ということらしい。

図書室の仕事もやめ、これからどうしようかと思ってた矢先に見つけたものだった。正直、あまり深く考えてはいなかったが、病承知で社会と接点持てるところないかと思って応募した。

身内でさえ、”家庭におさまればいいのに・・”と思うのにましてや、周りの人間をや、である。
何言われても、最大の協力者である夫さえ理解してくれればいいと思っている。

私は、夫に言わせると”唇が薄すぎる”らしい、らしいでなく実際そのとおりである。人の思惑気にして、自分の思っていることと違うことを面白、おかしく言うところがある。
ここが、誤解生む所以である。

”大人”という人がどんな人を言うのか、上手く言えないけど少なくとももう少し、口にする言葉に重みを持たせたいと思う。

池を眺めているだけなら何もおこらない。でも私はやっぱり、石を投げてもいい場所であるなら、石投げてできた波紋の形を楽しみたいと思う。くれぐれもめちゃんこ投げて水しぶきでずぶ濡れにならぬように気をつけて・・自分が濡れるならまだしも一緒に歩いてくれる人まで濡らさぬように気をつけて・・ここが一番難しいところだけれども。

兎にも角にも明日を楽しみにしようと思っている。

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パーキンソン病と共に

2008-06-27 09:33:26 | Weblog
まだまだだなあ・・とつくづく思う。

兄が“痔”の手術で大騒ぎである。
車の運転にもままならぬ様子に、とても気遣ってきたが、手術して2日めにしてもう院外の自動販売機にお茶買う姿見て、段々腹がたってきた。

何に対して・・そう、やはりパーキンソン病に対して。
・・・と、同時にまだそんなところでウロウロしている自分が情けなくなってくる

とても乱暴な言い方だけど、やはり徐々に進行していくというのはホントに辛いものがある。ある機能が失われたとしたら、その機能を補う訓練、器具をまず考えることができる。でもこの病は、ホントに厄介だ。昨日できたことが今日はできない。いや、さっきまでできたことができなくなる。そして薬の効用も日々バラバラである。

若年性の掲示板でアーモンドさんが書かれてみえるが、まだ壮年期にこの病は、正直やるせないものがある。

劣等感も屈辱もやるせなさも自分持ち、そして前向きな気持ちも好奇心もやる気も幸福感も誰も運んでくれない。今ある自分を受け入れ、日々の暮らしをいかに自分にとって楽しく暮らせるか腐心するしかなさそうである。

同病の仲間は、なにも語らずとも分かり合える・・・でもやはり”辛いね、大変だよね”だけではいけないのだろうなと思う。

私達も私達なりに日々の暮らしを楽しみたい・・そのためにはどうすべきか?

”飾りじゃないのよ、涙は~♪”という歌があったが、”飾りじゃないのよ、頭は~♪”ということで、知恵を出し合って”よく、生きる”ことについて時に話し合う場を持つことは、とてもいいことのような気がする。

そういう意味で全国若年部のなにがしというより、問題意識を強く持ったブロックごとに交流会もつことのほうが、私も意義があるように思う。

・・・でも正直皆が抱えている問題の抜本的解決策を見つけることは容易でないだろうな

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物の道理

2008-06-21 23:24:25 | Weblog
先日はホントに参りました。

一昨日から歯が痛くて痛くて・・・夕飯時など食べ物があたると”ぎゃ~~!!”という調子で・・

意を決して歯医者に行きました。

”あ~~!よく今まで我慢したね~!こりゃ、痛いわ・・”と先生の
”大丈夫・・ちゃんと治してあげるからね”と。
余程、私の顔には"不安”の2文字がたくさんあったのだろう。

でもホントに・・取り合えず、あの痛さはなくなった。

次の日、ここ数日浄化槽から“鼻もげら”の異臭があり、管理をたのんである業者の方の点検を待っていたところ、来てくれた。

”あ~~、奥さん、これはいかんわ。ポンプが壊れとる。”
どうもポンプが静止して、水が流れず、そのために”何とか菌”が死滅したせいらしい。またまたの出費


それから、初めて試みたきゅうりのこと・・
見よう見まねでネットまで買い、美味しいきゅうりを作るぞと張り切ったまではよく、花もたくさん咲いた。なのに一向に実がならぬ

どうしてだろう・・

意を決して近くの方に尋ねると”虫は飛んでるかね?雌しべに雄しべがつかなきゃ実はならんよ”・・・なるほど!
早速綿棒で人工授精である。

何にでも理由がちゃんとあるのだ。ということを痛感した出来事であった。

そして、原因が分かればその道のエキスパートにたのめば一発である。

おかしくなるには、何にでも訳があるとまた、不変の真実なるものに気づかされた
一連の出来事だった。

そして、今はすべて一件落着である。フ~~、やれやれ

”餅屋は餅屋”とはよくいったものである。

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全米オープン

2008-06-17 08:21:57 | Weblog
ちいちゃなボールを打って歩く・・ましてや電動カートに乗り移動もできるなど、スポーツと言えないとまで言い放っていた。でも最近、ゴルフって面白いと思うようになってきた。
 
昨日のタイガー・ウッズにはしびれた・・

ここで入れたら凄いだろなと、思いみているとまるでボールがピンに吸い寄せられるように入ってしまう。

本当のスターだと思う。

友人が、私に言ってくれたことがある。
”人の人生というか、運命は、生まれる前から自分自身が決めて生まれてくるんだ”
”私は、こんな病気持って生きる人生など決めた覚えない!”
”いや、違う・・君が決めてきたんだよ”

生まれながらにしての宿命みたいなものがあるかどうかなんて、私にはわからないし、深く考えてみようとまだ思わない。

でも、ウッズのような神がかり的なスターを見ていると、努力だけではどうしようもないこともあるような気がしてくる。

タイガー・ウッズにしてみれば犬小屋ほどの家でも私にとっては御殿である。
その中の一室でウッズのガッツポーズを真似してみた。
それ見た娘がゲタゲタ笑う。

いろんな世界でいろんな人生があり、いろんな幸せがある。

今日、私はささやかな幸せのため取り合えず歯医者へいき、友人とのランチに備えたいと思う。

ウッズは、プレーオフも制し、史上2人目のトリプルメジャータイトル獲得とか・・

何やかやと書きはしたものの、私達って同じ人間だよね?と自問したい気分にもなる・・

まっ、いずれにせよそれぞれに良い一日を

梅雨はどこにいっちゃったんだろな

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診察室にて

2008-06-14 00:15:56 | Weblog
病院での待合室で、久しぶりに付き合ってくれた夫との会話で自分の物忘れの多さや言葉が出てこないもどかしさに”認知症”の3文字が浮かんでは消えて・・

診察室に入り、”先生、最近言葉は出ないし、どもるし、物忘れはひどいし・・大丈夫かとすごく心配なんですけど・・”と話した。

”なんでもかんでも薬のせいにしちゃいかんよ(笑)まず、歳をとっていることを忘れていけない。その中で心配な物忘れと心配でないのがある。例えば昨夜何を食べたか忘れたとする。でもヒントで魚だったでしょ?と言われてあ~、そうだ!と思い出せればOK。魚を食べたということ含めてスコ~ンと忘れて思い出せないのは要注意だ”と言われた。

それでも心配顔の私に去年の知能テストをまたやってもらおうと思っていると、言われる。

どんな塩梅になるか甚だ心配・・というより、昨年よりもそんなことを面倒に思う自分に気づき驚く。加齢も確かにあると思うが1年でこんなふうでは先が思いやられる。

私が、今の病院にかかってから早、7年・・初めて先生に会ったときに”薬の力借りて普通の暮らしや趣味のことなど続けられるなら生活の質を落としたくない。激突して朽ちて構わない。”と言った。

それが今や”薬は出来るだけ今のままで・・我慢するところは我慢します”と・・

先生がいつも薄笑いを浮かべては”前ということが大違い。誰の入れ知恵なんだろね”とか、”人間誰しも欲でるからねえ”と言われる。

最近は、私も”そうですよ、欲の塊です”と答えている。

私の寿命まであと何年あるかは分からない。でも平均からいくとあと30年か・・

7年でこんだけ変わって、これから30年後この診察室か、あるいはどこかの診察室で私はどんな会話をしているのだろうか。

はてさて、明日もいや、今日か・・暑そうな気配。
睡眠不足は天敵・・寝ます。いい夢みられますように

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ヒトツバタコ

2008-06-10 10:56:12 | Weblog
先日、友人から”ヒトツバタコを検索したことあるけどはっきり言って、そんなにいいものかなって思ったよ。”と言われた。
゛ほかにもたくさんの可愛らしい花がたくさんあるのに、なぜにヒトツバタコなの?”

”可愛いじゃないの・・名前もちょっと変わってるし、面白いじゃない?”

”そうだね。ホンと十分変ってるよ・・貴女もね。”と。

先日、学生時代の友人達と食事して、そのこと話し"変わってきたのは病気のせいか?”と言うと
”変わりものは昔からだよ。なんでもかんでも病気のせいにしていかん”と、言われた。

変人・・言動、性質が他の人と変わっていること。変わり者。

どないなこっちゃ?言動、性質など同じの人などあろうはずがないのに。

まあ、変人なら変人でもいいが、異常な人間の起こす最近の特に秋葉原での事件はなんと考えたらいいのだろうか?

一見して人間性の異常がわかればいい・・とここまで書いて、私の差別的な考え方もいかがとも思われてくるが、明らかにこの手の人間は病んでいると思う。
でもこの病みを誰が気づいてやり,救えるのだろう?
自分が病んでいることに気づく人はまだ、救いもある。

普通の下に隠れた異常。
こういう類の人間に命奪われた方のご家族の心境を思うと言葉もない。

私は死刑廃止論者ではない。
罪を憎んで人を憎まずなどということは、いえない人間である。

なんの罪もなくただ健気に生きている人間の人生を自分のエゴのみで奪い去り、そのまわりの大切な人の人生をも狂わせた情状酌量のない人間が、更生の余地ありとして保護されるということはやはり、合点いかない。私はやはり死をもってしか償えない罪もあると思う。

でも、この人間が明らかに病気であること考えると、少しばかり胸がざわつくのも確かである。

私達のように不治の、進行性のそれも神経を病んでいるものにとり、健康であることは、羨ましいかぎりである。
しかし、心が壊れて、体がどこも悪くないというのもまた、厄介か・・

人の一生てなんだろ?

生きて死ぬってどんなもんでっしゃろ?

健常であれば”鼻くそ”のようなことが、とっても難儀なことになり、その中で日々落ち込みながらも健気に頑張る私達ってやはり、胸張っていいと思う。

異常の上に乗ってる普通にあぐらかいてる人間、普通のうえにのってる異常と闘っている人間・・・

一人一人個性あり、皆少なからず変人である。

出来たらそんな中でも可愛げある変人でいたいなと思う。

暇に任せてそんなこと考えている私は、十分変人かもしれない。

今日は梅雨の合間の


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嫌われ松子の一生

2008-06-06 08:17:00 | Weblog
娘が腸炎おこし、熱が40度でるわ、下痢がひどいはで散々な目にあっている。
進行形ではあるけれど、どうやら峠は越してヤレヤレである。

でもこうして心配も同時に峠超すと、やはり治る病気はいいなと思ってしまう私がいる。
娘の母は、いずこへ・・・

まだ相当痛いらしいが私の口からでるのは、”ピーク過ぎて後は治るんだからグチャグチャ言うな”である。

普通の母親なら言うことがもう少し違うだろう・・という思いが娘の顔に書いてある。

先日も私に会いたいというメールがあり、そのことで夫と喧々諤々であった。
相談事があるという言葉に”義を見てなさざるは勇なきなり”との立て看板を偶然見て言う私に、夫は”君子危うきに近寄らず”という。

夫はいつも私のことを危うくて心配という。
思い込んだら一直線・・人は皆善人・・思慮深さなど微塵もなくなることはたしかであるが。

でも先日耳にした話・・脳外科病棟に入院された方が言われるに”病棟にみえる方々は、失礼承知で言うと気の毒やら大変を通り越していた。目に活力がなくなっている”と。何だか明日は、わが身のような気になってきたのも事実。

私は夫に言ったものである。
”うちの中にこずんでいれば、何もことは起こらずなんの問題もおきないだろう。
でもどうせ、いつか廃人のようになるなら自分の想うとおりにある程度は生きていきたい。後悔するのはやはり嫌だ”と。

それがネット上での架空の人物との接触に即繋がるとは思わない。
が、きちんと身の保全考えてのことであれば、できるうち外に向かって生きたいと思う。

私のまわりにいる人間は大変であると思うけど・・

”嫌われ松子の一生”ふと頭にうかぶことがある。
あの本が、何故にベストセラーになり、映画化されたのかと思う。

あんな生き方が私のような小心者にできるはずもないが、どうせ進行性の病抱えての人生である。

今を、今日を自分なりに精一杯過ごしたいと思う。

とは、言いつつ私の精一杯とはなんだろう・・
喫茶店で4時間お喋りしたり、家事ほおっておいて長電話、あの店この店のランチめぐり…しょもない話です。

いつか私の夢が叶うように一歩ずつ前に進まなければ”負け犬の遠吠え”にしかならないのだろうな。

取り合えず、なんでもかんでも自分のことに置き換えるのでなくまだまだ甘えたい娘の気持ち汲むことができるくらいの技量はもちたいと、そのくらいは自分の病を受け入れていたいと、改めてチビッと反省です。

余談ですが、障子の張り替え完成です。
カンペキとは言い難いけど、真っ白な障子はなんとも気持ちいいものです。
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