in the heart side・・ヒトツバタコ

いつもその時の出会いを大切に・・

旅立ち

2008-03-31 17:55:45 | Weblog
この春、次男が社会人としての第一歩を踏み出した。

4年前、受験校決めるとき”学資の安い国立を・・"と言うと”望む学部だと北見工大か、あと琉球大学に・・”と言われ思わず、”北見ってどこですか?”と聞いてしまった。出来れば本土がいいなあと話したものだ。

結局九州に行くことになったが、合格者番号をこのパソコンで見つけたときの彼の複雑な顔を鮮明に覚えている。流れに流されるままという言葉がぴったりの風情で家を後にしたけれど・・引越しもすみ、福岡の駅まで見送りにきた顔の寂しげな様子に地下鉄のホームで人目もはばからず大泣きしたことがまるで昨日のよう・・年月は確実に彼を変えたように思う。

出来れば中部地方にという願いも叶わずつい、最近東京に行くことに決まってしまった。今度泣いたのは私だけだった。

”また一人になっちゃうけど前向きに頑張るから・・”との言葉残してあっという間に荷物まとめて出て行った。

”子供と一緒に暮らせるのはいくらもないよ”という母の言葉が思い出される。
母はまた口癖によく言ったものだ。”もうこの足を切っちゃってやる。この足があるから出てっちゃうんだ"表現が乱暴すぎるけれど今、気持ちがとてもよく分かる。

何事も同じところにいることはできぬようだ。

私とて同じ・・

思い出は思い出としてやはり歩き続けねばならないようだ。

今日でこのパソコンともお別れだ。オンとオフの間隔があまりに短くなってしまったから・・

色んな思い出があるパソコンである。夫に知られたら冷や汗ものの私の秘密も知っている。

年月はときに情け容赦ないこともある。

みんな新しい旅立ちと思おうと思う。
その為に、その時々を大切にしたいと改めて思う。

次男の旅たちにこのパソコンとの別れだぶらせている。

今迄ほんとに”ありがとう!!”

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お気に入りの絵

2008-03-28 09:18:02 | Weblog
おはようございます。

日々息していると色んなこと思います。
今日は御託並べるのお休みにして写真集を作ってみました。

先日見た日の出・・希望という言葉が浮かんできました。



昨日仕事の帰り少し思うとこあり、一人桜見てきました。今年の桜も私には思い出深くなりそうです。

庭のチューリップ達が我が家の息子達のようにひとり立ちのようです。
それぞれの色の花を咲かせてくれるといいな。
        

毎日いろんな思いして暮らせるって案外幸せかもしれない・・・

今日もよい時間持ちたいものです。
      

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ウグイスの声

2008-03-21 10:33:22 | Weblog
おはようございます

昨日、図書室の隣の雑木林から”ケキョ・・ケキョ・・”とふざけた鳴き声が・・同じ施設で働いてみえるおばさんに”ウグイスがいるようですね”と言うと
”聞いた話だけどウグイスの鳴き声真似する鳥がいるとか・・本物かどうかわからんよ”との言葉。思わず笑ってしまったが、あとで考えて”ほんまかいな?”
でも、鳥さんでもそんなことあるのかとナントも可笑しな話である。真似し小僧さん、どんな顔して鳴いているのだろう・・?

こんな愚にもつかぬ話でも毎日、何を話題にするかでその人の人物像が顕れるのでないか・・そんな意味で私の拙文にも多少なりとも私の個性がでていると思っている。ブログとはそんな意味で極めて私的なものと思う。

一昨日書いた掲示板での文章にタンポポさんからコメントいただいた。
私は掲示板とは、公の討論のあるいは会話のあるいはお知らせの場ではないかと考えている。もっとも目につく掲示板に書いた内容の裏話を個人的色合い濃いところで暴露するということが少しアン・フェアな印象持った・・もっと平たく言わせてもらうなら、学校の教室で学活の時間にある議題で話したことを、廊下で”ホンとはあんなこと言ったけど本心はこうだったのよ”と話し合っているような印象を持ったということです。
教室で参加された(自分は意見述べなくとも・・)人は教室での意見がその人の本心と思っているはず。廊下での話し合いのことを知らない人は、事の本質しらないままになる。少なくとも公に自分の意見述べたら責任持つべきような気がします。だったら廊下での会話に参加すればいいというのであれば、”廊下でも話し合っていますよ。”と一言お知らせするのがフェアだと思うのです・・みんなお知らせする必要はないけれどあまりに場所が違うごとに延べる内容が違うというのは、その人の信用なくすような気がします。私が他の人の文章について書くそれとは全く違う意味あいのものだと思うのですが。

人それぞれの意見があろうかと・・”ああ言った、こう言った・・”ということは議論する気なく、私の考え方書かせてもらいました。

ウグイスの鳴き声真似するも愛嬌・・ただそれをするなら本物のウグイスさんの前でするような可愛い鳥が好きです。できたら自分もそんな姿勢で暮らしていきたいなと思います。・・と言うとまたまた”嘘ばっかつくくせに!”とブーイング聞こえてきそうな気もしますが。

とにもかくにもまた今日一日無事過ごしたく思います。

皆さんも良い一日を・・
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桜 Ⅰ

2008-03-19 10:35:25 | Weblog
”春に三日の晴れなし”なんて言葉初めて知りました。

そう言われてみれば、今日も雨・・

こんな天気繰り返すうちに私の大好きな桜が満開になる。
私にとって桜が特別になったのは、いつからだろう・・?

”ああ・・綺麗!”から”こんなふうにパッと咲いて幸せ感じるうちに散りたいなあ”になり・・最近は”今年も桜が無事みられたなあ”になってきた。

自分の置かれた環境によって一つの事象の捉え方も千差万別だ。

その人にとり当たり前の常識がある人にとっては奇異なもの、あるいは耐え難いものになることもある。分かり合える時もあれば、平行線の時もあると思う。

先だって掲示板賑わしたこともそうであると思う。違うサイトにて投稿された方が真意を書かれていたが、私は少しアン・フェアな印象を持った。偶然見た内容でその事に言及する気はないけれど、私が模範とする姿ではないなと思っただけの事・・

自分自身ピーチクパーチク鳴くばかりで何か生産的で建設的なことしているわけでなくましてや人様のお役に立てるほどの人格者でないこと承知して言っている。

人の品格はどんなことで決まるか・・

病気に負けないとはどういうことを言うのか・・

その人なりの輝いた人生とはどういうものなのか・・

フツウの健常者はこんなこといつも考えていないと思う。当たり前のことが当たり前でない私達・・いつもどこか頭の片隅に客観的に自分みる癖をつけたがいいかもと思う。

桜見てただ”綺麗・・”と思える感性も大事にしたいと思う。
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柔らかい心

2008-03-17 10:07:36 | Weblog
おはようございます。

いよいよ春の到来・・梅の花がそこかしこで可愛い花を見せ、そよと咲く梅の花が終われば春本番の桜の出番。

散るは桜、薫るは梅。潔い桜をみていると、すがすがしくさっぱりしていて自分もこうありたいものだと思いつつ、なかなか思うようにはいかないのが現実で・・

ここ最近の若年性の掲示板見ていると何だか心が湿ってくるのは私だけだろうか.・・・

鬱々とした思いの中でアーモンドさんの感性に救われた思いがしました。

社会にはさまざまな人がいます。
考えの広い人・狭い人、やさしい人・厳しい人、幼い人・大人の人などなど。
この掲示板に集う人も同じです。パーキンソン患者も同様です。
・・<中略>・・
私個人は、できるだけ病的にならずにふつうの感覚を失わずにいたいとは思っていますけれど。
私たちここに集う人を”患者の集まり”として見るのではなく、たまたま病気を持っている”それぞれの人間”として見ていただきたいと思います。

・・・・・・・・・・・・
どこかでこのフツウの感性が失ってしまうのかも知れない。
毎日毎日やっとこさ過ごすうちに、人に気を使ったりゆったりと過ごすことや人を受け入れる柔軟性なくしてしまうのかも知れない。

体のリハビリも必要だが心のリハビリもとても大切のような気がする。

フツウの感性失ったほうがより社会から隔絶するのではないか・・

私は体の自由失ったとしても心の自由さは失くしたくないなあ・・といってもこれもなるようにしかならないものかもしれないが・・・

いつも外に目を向けるって私達のような病気持つ人間にはとても大切かも・・

DSさんという方の印象は多いに当たっているような気がします。

失礼ですが、この掲示板での回答のスタンスを見ている限り
私は患者さん自身が自らの殻に閉じ篭っている印象があります。

・・・・・・・・・・・・・・

柔らかで感性豊かな心を持ち続けたいものである。

余談ですが我が家のチューリップこんなに大きくなりました。
綺麗な花咲かせてね。と願う今が一番私にとって良い時かもと思っています。子育てとおんなじですね。





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生きとし生けるもの

2008-03-12 21:30:36 | Weblog
実家の母が、”ちょっと困ったものがあるから見てくれる?”と言う。

”何なの?”と物置きのドアを開けると、子供のころに見た覚えのあるような新品のネズミ捕り・・

”ゲッ!!”・・私は,生き物の中で、ヘビ・トカゲ・カエルそしてネズミが大・大・大の苦手。

”ムリ、ムリ・・・”ときちんと見もせず戸をしめた。

母曰く”二日前に捕まったけどどうしたらよいか・・近くの公園に捨ててこようかと思うが嫁さんがネズミは、臭いかぎつつ戻ってくるよと言うし。水の中に沈めたらと言うけど何か情がうつってしまい、殺生はしたくないし・・”ということらしい。

母らしいとは思うけどいかんせんネズミだけはいけない。
それよか今時ネズミのいる家があることのほうが

”何言われてもわたしゃ、ダメだから”と言って帰宅した。

高2の娘に”あんた、ホンとのネズミ初めてでしょ?見といでよ”と言うと、鳥肌立つという。こんなところにも世代の差を感じる。今の子供世代は明らかに私達のそれとは違う。

でもさすが現役だ・・・生物の時間で学習したそうな。ネズミはマークとか記号には強いが家に戻るという能力はないと言う。あり得ないと言う。

だよねっ!!

母に早速知らせると、”ありがとう!”と・・

ネズちゃん一匹で大騒動だったけれど、公園まで捨てに行った母の気持ち思うとナンカ笑える。
ホンとはよそ様でネズミ逃がすなんてことやっちゃいけないんだろな。

やはりネズちゃんも生きとし生けるもののお仲間・・ですよね?
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ピアス

2008-03-10 08:40:13 | Weblog
我が家のパソコンは、完全に私のお仲間になった風情・・

ちょっと見は一応体裁もよく(?)一見フツウそう。立ち上がりはゆっくりでもまあ、フツウにこなせる。ところが、いつフリーズするかわからぬ危険性も持っていて、一度オフにはいるとまた一からやり直し・・だからオフ出さぬために極力無理させず、休養とりつつ使っていくことに。そんなこんなでまだ修理(入院)までださなくてもいいようで様子見していくことになった。

体裁保っている分、無理きくとあてにされがちなのもよく似ている・・

と、こんなふうにあまり思い入れすぎるとこけた時にショックが大きいので、”お前もよく頑張っていてくれるね。”くらいのスタンスのほうがいいとは思うけど・・

最新式のVISTAなるものなら思いっきり走ることできるだろうにと羨まれるところまで似ているからなあ・・と一人苦笑である。

昨夜の夕食時娘が、”お母さん、変わったよねえ・・以前は、髪染めるどころかピアスなんてもってのほか、眉だってゲジゲジだったのにねえ”なんていいだした。

言われるとおりである。私がピアスあけたのは、50過ぎてから・・どうも合わないらしく一回目はどうしても膿がでて仕方なくふさがってしまった。2回目も右側がどうも具合悪く今でも血が滲み2,3日するとカサブタが出来てしまいきれいに穴があかない。”体に合わないんだよ。やめたら・・”の忠告もなんのその、我が道行きますという具合。

どうもいろんな意味で逆行しているかも・・と思うときあるけれどこの病が進行性のものであるなら余計お洒落を楽しみたいと思ってきたのも事実。

我が家のパソコンでないけど、機械でも寿命ある。ましてや生身の人間の私達・・許される範囲で好きなことしていきたいと壊れかけのパソコン前に思いも新たなバタコさんです。

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青臭いかな?

2008-03-08 21:12:01 | Weblog
どこで目にしたのか記憶にないけれど・・"恋は感情的なものである。愛は意識的なものである"という文章をよんだことがある。

恋はいつかさめるもの・・
愛は、"この人を一生愛しぬく、守り抜く”という決意がいるという意味合いのものだったような気がする。

人生も半分過ぎ折り返し点を曲がり、夫とも今年銀婚式迎える。

この病気になり何度”ごめんね""後悔してない?””私から逃げてもいいよ”の言葉を口にしただろう・・

彼の答えはいつも一緒・・”結婚式の時に誓詞を読んだ。”

”喜びのときも、悲しみの時も、病んだ時も云々・・”という例のあれである。
私はこの答えを聞くたび”ふざけてるのか!”と思ったものである。

以前にも書いたことがあるけれど愛には色んな形があると思う。が、”愛”といえるものには自分なりのポリシーみたいなものが根底にあるような気がする。

どうしてこんなこと思い出したかというと、今朝あるブログで子育てについて書かれていたものを読み、フッと”愛”という言葉が・・口の悪い友人は”その青臭さ卒業したほうがいいよ”と言ってくれるが、どうも私はいけない。朝からプンプン臭ったらごめんなさい。

でも臭いついでに言わせてもらえるなら、できたらいつも何がしかの”愛”を持つ人になりたいと思う。

根底に”愛”があるかないかでビンタ一つも”愛のムチ”にもなりえるし暴力にもなりえると思う。

愛されるべき人になりえ、愛すべく人がまわりに多くいたらそれだけで最高の人生といえるような気がする。


余談ですが・・・朝からパソコンが私状態で。つまり、機能は正常でも頭脳がおかしくて、いつリタイアするかわかりません。突然お休みになったらPCの故障かと事情お察し下さい。最近は更新も滞りがちにも関らず、来てくださっていただいて元気いただいております。ありがとうございます。

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桃の節句

2008-03-03 12:34:31 | Weblog
今日は、お雛祭り・・・

買い物に出かけ、店先に並んでいる可愛い桃の花を見ていて、つい買ってしまった。

私が子供の頃我が家にはお雛様なるものがなく、いつも立派な七段飾りのあるお友達の家にお呼ばれして過ごしたものだった。

”私に女の子が授かったら絶対七段飾りを買ってもらうんだ!”と心に決めていた。家も新築して三人目の子を宿した時、子の性別を教えて欲しいと頼みもしていないのに病院の先生が”今度は女の子だな”と漏らした。女の子が欲しくてたまらなかった私は、母に嬉し涙を流しながら”お雛様・・買ってね”と頼んだことが昨日のことのように思い出される。

子供達に”触っていかんよ!!”と怒鳴りながらお雛様飾るのがとても嬉しく幸せだった。

いつからだろう・・?

あんなに欲しかったお雛様なのに出すのもしまうのも億劫になり、いつの間にか雛祭りの一週間ほど前になると慌てて玄関にお内裏様とお雛様だけがかろうじて日の目をみることができるようになったのは・・

女官やじい様たちは、暗い箱の中で無事にいるのだろうか・・?

全く人間はどうしてこうも得手勝手にできているのだろう・・いやさ、これは私だけかぁ?

そんなこんな思うと不義理していることっていっぱいあるんだろうなと今更ながら不安になってくる。

来年こそ女官も若者もじい様たちもちゃんと出してやろうと妙な決心をした今年の桃の節句です。
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至難の業

2008-03-01 10:02:23 | Weblog
今朝は夫が珍しく新聞みながら”ああだ、こうだ・・”と話しかけてきた。そんな中で目についたのが沖縄の米兵釈放の記事。

同じ娘持つ親としてどんな気持ちかと思う。
中学生に乱暴した米兵の話・・ただでさえ好奇心あおる事件である。その上に、日米間の関係どうのこうのとか、沖縄での基地負担という重い問題の象徴のように取り扱われたらどんなかと思う。余程闘う強い意志持った戦士か使命感持った人でなければやり切れぬだろう。

被害にあって尚且つ非合理な思い味わい・・告訴取り下げは私などにはとても合点いく。これを機会に膿だせるといいだろうけれど・・・

自分も含めて言えることだけれど、世の中善意の人ばかりでないからなというのが実感。

私は病気持たなければ、こういう問題にも素通りしていたのでないかなあ・・そんな気がする。

どんなことにもいえる事と思うが、自分の人生においては、荷物は誰も変わって持ってはもらえないということ。

政治的、社会的な問題はさておき、告訴取り下げたこの女の子一家が早くこの事件から解放されたらいいなと思うというと、もっと高い問題意識持てという人もいるんだろうな・・・

何だか要領得ない文になってしまったけれど・・人の痛みが分かる・・そんな人ばかりだといいけど自分筆頭にそれがなかなか至難の業だ。
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