in the heart side・・ヒトツバタコ

いつもその時の出会いを大切に・・

留袖

2018-03-25 09:38:45 | パーキンソン病
先回の投稿からいつの間にか、年も明け早半年もたってしまった。
先月には娘の挙式があった。

私にこの病名がついたのは娘が6歳の時だった。
姉に電話をした。”きっとあの子の成人式は用意してやれないと思う。夫ではどうすればよいかわからないだろうから、お願いだからあの子に晴れ着を着せてやってほしい”と。姉は、”わかったよ。約束したからね、任せておいて”と答えてくれ、二人で泣いたことがあった。

病名ついて間もなく当時の主治医に”あと何年位普通の暮らしができますか?”と聞いたことがあった。困ったような表情をしながらも”あと、10年かな・・”と言われた。

あれから22年。

成人式は今から7年前。今思えば、私もまだまだ元気だった。
姉に”あの時の涙はなんだったのか?”と皮肉られた。

でもこの病気は間違いなく進行性だ。運よく進行が遅く、薬効が顕著で元気でいられたが、この2,3年オフがきつく、外出先で動けなくなることが多くなった。ジスキネジアも目に付くようになってきた。こんなふうで娘の結婚式に留袖など着られるだろうか・・そんなことばかり思っていた。

留袖・・母が私にあつらえてくれた晴れ着。娘の晴れ姿に私も正装で送り出したいと思っていた。

そんな時リハビリ入院で出会った医師から”シンメトレル”という薬を聞いた。主治医に言うと”救世主になるかも・・結婚式に合わせて使ってみよう”ということになった。あまり評判の良くない薬というイメージがあったけど、気が付くとジスキネジアがとまっている。底上げにもいい感じ。この先どうなるかは未知数だけどこの薬に救われた思いだった。主治医にも”僕が太鼓判押してあげるよ”と言われながら挙式の日を迎えた。

自宅にいるときはオンオフの繰り返しに疲れて何もできないのに、我が子の晴れ舞台という緊張感からか大したオフもなく無事に花束贈呈までちゃんとしていることができた。

”気力”ではどうしようもない病気・・でもやっぱり気持ちの持ちようってとても大切だと思った。

またしても間一髪の目くらまし戦法で乗り切れました。

同様の環境にみえる方へ・・大丈夫!大丈夫!何があっても大丈夫だからね!と言いたいです。
あとで思い返して”エライ羽目におちいった”ことになるか”大丈夫”になるかは本人の心の有り様にあるかもと思う。
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