in the heart side・・ヒトツバタコ

いつもその時の出会いを大切に・・

いつも心傍に・・

2008-04-29 07:08:39 | Weblog
つけっぱのテレビを見るともなしに眺めていると・梅林で有名な湖の白鳥、黒鳥が誰かに殺されただとか、硫化水素での自殺者が続発、大騒動の聖火リレーも変なら北朝鮮の聖火リレーももっと変・・どうなってるんだろう???そしてガソリン代の話題やら後期高齢者云々というわけわからぬ話題・・

片や、ゴールデンウィークに出国者の楽しげな様子・・

おんなじ人間として生まれてきても色々だなあと、つくづく感無量(ほんと大袈裟でなく・・)になる。

幸せってなんだろね・・?

帰省していた長男が今朝早くまた下宿先にもどった。

いつもいつもお昼寝の時は、手をつないで眠らせたものだ。今そんな話をすると懐かしがるどころか怒り出す・・全く可愛くない。
今朝も、”お母さん、こんなふうに暮らしてるからあんまし心配いらんよ”というと、”2,3日ちょっと見ただけじゃ実際のところわからんよ”とほざく。

゛朝から喧嘩売ってんの?”と・・・”そうか・・母さんも体気をつけて楽しくやりなよ、くらいのこと言えんのか”・・とやっていると夫が”いいかげんにしろ!!”だって。

こんなおかしな親に育てられた若者たちが日本を背負うわけだから先行きも不安になるわけだ・・

でもね、やはりシャイもいいけど、自分の気持ち相手に伝えるって大事なことだと思う。いくら夫婦でも親子でも礼儀があると思う。
そういうことが、各家庭できちんとしていないから、ただ湖に泳いでいる鳥達が殴られなきゃいけなくなるのだと思えてくる。

・・・とここまで書いて夜中、目が覚め不安な気持ちをメールで送っては“人に対する思いやりとか人との付き合いのルールって考えたことある?”と何度も何度も諌められているじぶんにハタと気づいた。

誰しも綱渡りなのかもしれない・・誰がそばにいてくれているかってことかな?

自分のことホントに大事に思ってくれている人が身近にいれば、なあんにもこわくないかもしれないな・・

息子に・・有り余る気持ちでいつも応援しているからね。体にだけ気をつけ思いっきりやりたいことに頑張れ!・・多分私の気持ちは通じていると思う。

そして、私を支えてくれるすべての人にやっぱり”ありがとう!!”

なんかテレビとか、世相とか、息子の帰省とか話があちゃこちゃしたけど、要するに人間は、一人じゃ生きていけないと思う朝でした。

今日もいい一日お過ごしください。

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ゴールデンウィーク

2008-04-28 16:08:08 | Weblog
若い時や子供が小さい時には、ゴールデンウィークはホントに楽しみだった。

今年は、亭主がテレビの前で寝転んでいるのをできるだけイライラせずに過ごすという修行の時間のよう・・
そもそも私の家だけかもしれないが、何故にオジサンはあんなにテレビが好きなのだろう・・?

と言うと、日ごろ、洗濯やらはたまた料理まで作ってくれ尚且つ一輪車でもって私とこども3人養うために、どんなに暑くても寒くてもネクタイで首絞めて働いているんだよと、うるさい外野から批難轟々である

わかっておりまする。

気持ちよく体動かせ(気持ちよくでなくてもいいけど)、自分の知らないところ行ったり、やったりできるってとても幸せなのになって、最近疲れやすい体抱える身にとってはいわゆる健常者が少しばかり羨ましいのです。

今日は、コムタン飲み始めるにあたって診察日でなかったけど、主治医の方と相談に行ってきた。

何とか作戦がうまくいき、取り合えず今一番のパーキンソン病の攻略法である“目くらまし作戦”で一日一日をより快適に過ごせるようになるといいな、と思っている。

へその緒の切り損ないらしく、しっかり“出べそ”のバタコさん。後半のゴールデンウィークをどうやって楽しくに過ごすかということに今日の残りの時間あてゆっくり考えましょ!
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面接

2008-04-27 16:26:27 | Weblog
社会的デビューなどと大袈裟に言いすぎて少しばかり赤面ですが、形式だけでも面接なるものをしたのは、就活以来だからほぼ30年ぶりくらい。それだけでもドキドキ感があって楽しめたかも・・

     
応募理由とか、P病のあらましとか、委員会にちゃんと参加できるかとか、介護保険の財源についてとか質問され、自分なりに答えたつもり。終わってから“私から質問いいですか?”と前置きしてどのくらい応募された方がみえるか尋ねたところ、とっても気まずい雰囲気が・・答えは、”人数は答えられませんが、ふさわしい人に募集人員関係なくお願いするものです。”だって。娘の“定員割れ”の言葉が頭をよぎった

いずれにしても新しく事起こすのは、エネルギーいるけど得るものも多い。

結果はまだわからぬけれど、合否関係なく気持ちだけいつまでも、というよりできるうち好奇心旺盛な私のままでいたいと思った日でした

         

         
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はじめの一歩

2008-04-19 03:17:06 | Weblog
仕事でなくてもいいから、私でも何か社会につながることができないかと、市の広報をぱらぱらめくっていると、“我が市の高齢者福祉計画策定委員会委員を募集”とある。市内在住、在勤の40歳以上で、仕事の内容 5月から3月に6回開催予定の委員会に出席。募集人員は5人。もうひとつ、“障害福祉計画策定委員会委員を募集”こちらは20歳以上となって、少し若向き。どちらも一次選考が小論文。二次選考が面接。やっぱもう私は高齢者だなと、一人合点する。

兄が言う。”昔のお前なら福祉とか介護とかには目がいかなかっただろうな。”私もそう思う。おいしいものを食べ、楽しいスポットに行き、人が持っているステータスシンボルに興味を持つような人間だった。社会的弱者について話題にすることがあってもそれはポーズだったような気がする。

今回の選考の小論文のテーマは“我が市における今後の介護保険のあり方”というものだ。介護保険については、義父を介護していた時より不満はいっぱいあった。この策定委員会の委員募集は、福祉計画に市民の介護保険事業などに関する意見を反映することが目的という。

私も自分の文章をこうして公にしている手前、自分を試してみようかなとの思いもあった。もちろん、自身がパーキンソン患者であるということを記して、その目線で以て感じていること、思っていることを書いてみようと思ったことも確か。内心、一次選考だけは通るといいなと思っていた。

昨夜、一次選考が通り、面接に来てほしいという知らせがあった。

“なかなかやるじゃん”と喜ぶ私に、家人は“こんな地味なものに応募する人間などそうはいないぞ。定員割れじゃないのか”と言い放った。

“ほかっといてんか!!”

でも思うに、パーキンソン病を罹患して12年という文字から、市の職員の方々はどんな人物を想像しているのだろう。この病気を知ってもらう良い機会でないかと思い始めている。・・・ここで自分でも少し驚いた。以前なら自分の病隠すことあってもウリにするなんて思いもしなかったこと。

採用されるに越したことはないが、それよりも一週間後の面接のときには思っていることをちゃんと言ってこようと思っている。

私にとっては、今回のことはパーキンソン病患者としての社会的デビューという意味合いを持つような気が自分の中でしている。大袈裟に聞こえるかもしれぬがホントの気持ち。

とってもとっても小さな委員会への応募にしかすぎないけれど、私には大きな大きな“はじめの一歩”である。

ちゃんもちょびっとだけ大きくなれるといいなとお空の上かはたまた背後霊よろしく意外と身近で誰かが背中押してくれていそうな気がする。

“こう見えてもお母さんのこと応援してくれる人はちゃんといるんだから・・”の声に娘が”うざぁ~また母の自意識過剰の段の始まりか・・”だと

まっ、とりあえず1次選考通過ということで目標達成です。あとはおまけ・・と思っている。バタコさんしばらくワクワクドキドキです


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自灯明法灯明

2008-04-16 09:50:31 | Weblog
おはようございます。

今、コムタン飲み始めるかどうか多いに迷っている。

私が今の主治医の方に診ていただいていた当初は、”後のことはひとまず考えない・・とりあえず今有る薬で普通の暮らしできるうちその状態を保ちたい”と言ったものだ。”激突したって構わない”の言葉に先生のほうが“先はまだ長いからそんな考えよしたほうがいい”と・・

それが最近”できるだけ薬増やしたくない・・我慢するところは我慢する”と言う私に先生の方が目を白黒させている・・”どうしたの?”と。“あれだけ僕が何言っても聞かなかったくせにどういう変わりようだろう・・一体誰に入れ知恵されているんだ?”と・・・

私は、ホントに何も知らなかったと思う。病気に対する心構え、生き方の姿勢についても。

”なめたらいかんぞ、もっと真剣になれ!皆もっと真面目に一所懸命生きとるぞ!”と言われたことがあった。どこかに誰かが助けてくれるという甘えがあったと思う。

自分の足におもりつけてジスキネジアおさえようと努力される方、楽しみよりまず治療に心がけられる方,大半を家の中に過ごし尚、前向きな方・・・

自分はまだいい方だとか、あの方のほうがいいとかそんな愚はもういい・・

ただ皆さんの暮らす姿勢からたくさんの力もらっていることに素直に感謝したいと思う。

””自灯明法灯明(じとうみょうほうとうみょう)

・・・自分の力で、正しい道を生きて行きなさい・・・・

私は信心深い人間でも、人格者目指しているわけでもなんでもないけれど、以前聞いたこの言葉が、妙に最近頭にこびりついている。

コムタンから大きく横道逸れたようにもまた核心のようにも思える。

兎にも角にも何事も自己責任ということは間違いなさそうである。

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父のこと

2008-04-15 07:58:41 | Weblog
昨日のこと。父親の介護のことで相談があるという。家族会議開くので集まれという・・

日頃の傍若無人ぶりのつけがまわり、いっせいに集中砲火浴び最近小さくなった身体で精一杯虚勢張っている父の姿に、”老い”を思った。

いい知恵など浮かぶはずもなく、私も父の気持ち,兄たちの気持ち思うと無責任な言葉言えず、ただ調整役になるくらいしかできないでいた。

余程気持ちが鬱積したのだろう・・私と姉と父の三人だけになったとき”こんなものみんな壊してやりたい・・・”と言いながら杖をふりまわしにかかった。
姉が“危ないじゃない”と言いながら私を見た。
その時自分でも驚いたけど・・”やりゃあ・・こわしなよ。思いっきりこの机たたきこわせばいいよ”と、言っていた。
姉も”そうだな・・やりゃあ、いいよ”と・・

ガン・・ガン・・

そんな中ヘルパーさんがきて目を白黒。
私が“机を叩きこわしたいんだって”というと”あっ、そうなんですか”の声。
さぞ、ビックリされたと思う・・

半分ほど壊したあと、姉に抱かれて子供のようにしている父を見て、胸が詰まる思いだった。脳血栓が無数にあるという。私のオフ状態で一日過ごす父・・

何もかも嫌になるときもあるだろう。

それでも生きていかねばならない。

私は、きっとこの病持たなかったら、父の気持ちを少しでも理解することできただろうかと思った。

食卓に置かれた煮物が言うことば聞こえる人間になりたいと思う。
”一生懸命作ってもらいました。食べてね”
あるいは・・
”これでもくっとれだってさ”
あるいは・・
何も物言わぬただ置いてあるだけのもの

物言わぬものが発する言葉、目にはみえぬけど心に映るもの・・

形に現れぬもの大事にすることが大切と教えられた日だった。

何もかも本当はお見通しなのだろうか・・?いつもと同じ顔して今日もお天道様はその中で悲しみ、切なさ、喜び感じながらそれぞれの一日過ごす私達。

人の一生って・・?そんなこと思った一日でした。
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私にもできること

2008-04-11 09:39:39 | Weblog
アップルカフェのMHさんの書き込みについてずっと考えている。

MHさんのお気持ちとてもよくわかる、いやわかる気がする。

まだなんだかんだと言っても薬効あるときは好きなこと好きなようにやれる自分がいる。本当に歩行困難になったり、趣味のこともできぬようになったりした時私は今のままの自分でいられるか甚だ自信がない・・

パソコン買い換えてめちゃんこに保存してあったもの少し整理したら書きかけのこんな文章がでてきた。
ある投稿に対してのレスのよう・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

アップルカフェに投稿されたYさんにレスつけられることができる方は、少ないのではないかと思います。この病持つ人全ての人が、同じような思いされていると思うから・・・
十何万人通りそれぞれの思いで流した涙があると思う・・
幸不幸は比べられるものでなく、無くした物の大きさも比べられるものでない。
この病気得て、真に感謝できるようになるまでには、これから何度号泣せねばならぬかと思う。
得るものの対価には、あまりに失うもの多い病だと。でもやはり、今更それを言っても仕方なく時計の針を元にすることはできっこない。
泣きたいだけ泣いたらやはり、今の自分受け入れたほうが楽かもしれないと、そう思う。
先日、大切な友人から”しぶとい生き方している“と言われ、大いにへこんだ。
私の苦しみを十分理解していてくれていると思っていたから。
この病得て、私はいままで見えなかったものを、見ることができるようになったと思う。
開き直るしかなさそうだ。
私達はまだまだ、生きていかねばなりません。そしてやはり誰もこの病引き受けてくれはしないです。痛いも辛いも誰もかわってくれないです。泣こうがわめこうが動かぬ身体ほおっておかれたらそれまでです。
死ぬまで泣いて暮らすほど私には体力ありません。自分が少しでも楽になる生き方考えることに力を注ぐほうが理にかなっているように思う・・自分さらけ出す勇気持ちたいと今は強く、そう思う。

 この病を理解しようとしていただいている方に感謝します。どうぞ、“しぶとさ”の裏にある多くの苦しみや辛さにも少し思いをやっていただけるようにお願いします。当り前のことが当たり前にできなくなる病気です。生き方の選択肢が段々少なくなる病です。そんな中で気持ちのバランス保ち出来るだけ普通の暮らししたいと皆、頑張っていることわかっていただきたく思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
仕事やめ、有り余る時間だけあり、残っているのは思い通りに動かぬ体だけになったら前向くのもいやになってくる。今度こそ、ゆったり過ごそうと思っていたが、なかなか明日に繋げられる生産的なこと見つけるのは至難だ。

私のように居場所探してみえるかたと一緒に、なにかできないだろうか・・

夢のような話なのかなあ。

そんなこと思いながら今日一日の幕開けです。
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モリー先生との火曜日

2008-04-07 11:14:00 | Weblog
今朝Mimさんのブログで見つけたタイトルに目がとまった。

”モリー先生との火曜日”・・

初めて私が、パーキンソン病と向き合うきっかけつくってくれた本の題名である。
筋ジストロフィーの教授と教え子の話。

4年前義父の介護に疲れ果て、夢にまでうなされるようになっていた。もう限界と義父に施設に入ってもらうことになった。その際にとてもお世話になったケアマネージャーのAさんが私に送ってくれた本である。

義父のことは勿論だけれど私のこともずいぶん心配していただいた。
ある時私が尋ねたことがあった。

”お仕事柄多くの病気の方見てみえると思うけれど、進行性の病を受け入れるとはどういうことと思われますか?”

”とても難しい問かけに自分も一生懸命考えてみました。受け入れることと諦めることとは違うと思う。その問いかけに対する答えの糸口になればと私の愛読書の一つであるこの本を送ります”というような手紙とともに、読むこと薦められた。

私が家族、親しい友人以外でこの病について話した初めての人だった。

その時にはまだ、本を読んでも心にストンと落ちるものはなかったけれど、パーキンソン病と向き合う初めてのことだった。それから友の会に入り今に至っている。

思えば、いろんな人に助けられてきたものだと思う。

ある友人が私に言ったことがある。・・”君はお調子ものだから、きっとこの病気に出会わなかったら一生お調子者らしく人生の意味とか考えることもなくポヨ~ンと過ぎてしまったと思うよ。神様というものがいたとしたら、何かしら授けてくれたのだと思う”と・・

”ふざけていかん・・私より幸せな人間山ほどいるよ”と反論したが、この言い返す精神に根源的問題あるやもしれぬという気もしている。

人生の意味など大上段に構えて論ずる必要などないかもしれないと最近思うようになってきた。

今ある゛生”を淡々と受け入れ一生懸命生きていけばいいことなのかも・・・

棺桶に入るまで悟りなどないかもしれない・・

今日は模様・・こんな日はあまり小難しいこと考えないほうがいいかも。

点の集まりが線になることだけは確かな事だから。
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サンデーモーニング

2008-04-06 09:26:57 | Weblog
我が家の夫は相も変わらずテレビ大好き日ごろあまりテレビ見ない私も今日は鼻水かみかみサンデーモーニングである。

まず北京オリンピック。
お隣の中国のこと・・・きっと何かしらやらかしてくれるだろうと思いきや、やはり聖火リレーから大騒動。平和の祭典がどうなることやら・・
力で押し切るやり方が如何なものかを改めて思い知らされる。

そしてプロ野球の巨人のテイタラクぶり。
お金に物言わせたような選手補強のやり方は私のような素人目にも品がなく印象が悪い。”ざまあみろ!”と言うとファンの方には申し訳ないが・・
そのうち頭角現してきて蓋あけてみれば・・ということになるやもしれない、いやきっとそうなるだろうけれどこのくらいのお灸は、見ていて気味が良いというのは言い過ぎだろうか?

それにしても両者に共通するのは一体誰のせいかという、素朴な疑問である。
中国にしても格差社会は日本の比でなく、巨人にしても原監督個人の裁量とは思えない・・

”しっぺ返し”とか汚い話になるが、”吐いた唾は・・”という喩あるように正義はやっぱり勝ってもらわないと私達のような力のないものは合点がいかないというのが正直な気持ち。

と言っても尻拭いはいつも弱者ということ思うと、この先のあり様が多いに気になる。
いずれにしても嫌な画面になればチャンネル変えてそれでおしまいという無責任で平和なところにいられることは、幸せなことなのだろう。

そんなこと思ったある日曜の朝でした。
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桜 Ⅱ

2008-04-06 08:36:30 | Weblog
昨日は、最悪のコンディション枕のまわりがティッシュの山・・でもこの天気に浮かれてやはり桜見に行ってしまった。でもその美しいことったら・・とても言葉にできないほどである。

    

                  

                      


毎年毎年、同じように咲いて散るを繰り返す桜。

毎年毎年、同じようにその桜見にいく私。

今年も私の頭ん中の模様も去年とそう大差ない風情・・しょもないけど仕方ない。

難しいこと考えず、ただその美しさに見入ることにしましょう。

今朝は昨日の倍くらいのティッシュの山ヤレヤレ・・

木の芽どきの風邪は厄介とのこと。みなさんもどうぞ、お気をつけください。
   

    

       

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