in the heart side・・ヒトツバタコ

いつもその時の出会いを大切に・・

子供達へ

2008-08-27 14:36:03 | Weblog
都会で一人住む息子が、先日、こちらで頑張っている意味が分からなくなったという。自分のことタナの上に置き、体壊すまで頑張ってはそれこそ本末転倒だけど、甘えてはいけないと伝えた。

我が家の前と後の家にはまだ小さな子供がいて、毎日何かしら叱られては大きな声で泣いている。きっと自分もそうだったのだろうけれど、子育てから少し離れると何をそんなに怒鳴り散らして、傍からみて虐待と見間違うほどに躾けなければならぬことがあるのだろうと思ってしまう。

親が子にしてやれることってなんだろう。

私は、本当に大事に育てられ幸せだった。でも自立ということに欠けているため、この病持ってホントに周りのひとに面倒かけてきたし、今もそう・・
親の責任とは言わないが、多分に影響あると思う。

今回息子が、泣きごと言ってきたのに対して偉そうに言えるほどの人間ではないこと百も承知。
でも私が、順風満帆の人生歩むはずがこうして試練受けたのと同じように、我が子達もどこでつまづくかわからない。
その時にこそ、負けない強い”生きる力”を身につけてほしいと心から思う。

夫は全盲の義父の面倒見ることを、心に決めて破談になったことがあるという。

苦労知らずの私は、そんな彼をカッコいいと思い結婚を決意した。

私の宝物達も私という荷物をいっしょに背負ってくれる伴侶を得るにどんな葛藤が、この先待っているかと思うと胸がつぶれる思いだ・・

長男が言う。”付き合うにお母さんは、なんの障害もないけど、結婚相手を決める時には障害になるかもしれないな。でもお母さんの病気を僕という人間の判断材料にする人はいいや。そういうことを言う人は、きっともっと違うことでもイケてないと思うし・・”と。

嬉しい反面とても切ないというのが本心。

子であっても私の人生ではない。
三人の子供達には本当に幸せになってもらいたい。

次男が、”もう少し頑張るよ。考えてみたらこの会社決めたのは自分自身だってことに気づいたよ。自分が決めたことを他人のせいとかまわりのせいにしていた。本当にやれるかやれないかわかるまでもう少し頑張る”と言う。

私も子離れしなければと思った。
彼が帰ったら、また面倒だと思ったのも事実。彼の気持ちより自分の身にかかる・・たとえば彼の将来の心配とかをまたしなければいけないのかという、自分勝手な不安が大きかったことに気づいた。
世間体も気になったし、経済的なことも・・

私が、親としてやってやれることはもうないやと気づかされた。
あの子の自立を邪魔すまいと思った。

私は、私なりの暮らしをしてあとはおまけ。

あ~~あ・・でもやっぱし強くばっかしでもいられないからなあ。
どんな人生が待ってんのかなあ・・というのも本音

息子に言った言葉。

・・・・

お母さん達の病気の辛いところは、逃げることも避けることもできず、ただ進行するのを受け入れそんな中でも前向きに生きていかねばならないところ。リセットできるところにいるからこそ余計に、すぐに安易なところに行ってほしくないと思う。

自分のために何か得てから帰っておいで。
こうしたら帰ろうという目標つくってみなよ。
これだけはやってきたというものを自分の中に残しなよ。

明日からまた頑張ろうぜ!

目的持てばまわりの景色も変わっていくと思うから。

あ母さんいつも、嫌なことあっても毎日仕切り直して新しい一日と思うようにしてるんだ。
毎日は繰り返しでないから。
同じことしかやってなくても新しい一日だと。

・・・・・・・・

自分のために書いたようなもの。

子供達と一緒・・まだまだ先は長い。強くならねば・・フ=ッタメ息です。





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ラヴェルのボレロ

2008-08-17 08:51:57 | Weblog
もう、30年も前の話・・

鼻っ柱の強い小娘が自信満々で会社に入り、案の定色々と壁にぶつかり落ち込むといつも傍で励ましてくれた後輩がいた。

髪の長い、少し翳のあるとても綺麗な子。
フランス語が堪能で、クラシックバレエをたしなみ、元気だけが取り柄の私とは正反対の子で、私のやりっぱなしの仕事をいつもホローしてくれていた。

その彼女がとても好きだったのがこの曲・・ラヴェルのボレロ

題名は忘れてしまったけれど、ロシアが舞台の映画の主題歌か、挿入歌だったと思う。

12年前私がこの病持った時“大変じゃないですかあ・・”と言って部屋着を縫い送ってくれた。
今、彼女は物言わぬままベッドに寝ている・・

見舞いに行ったとき”いつまで寝てる気なの?”と問いかけたけど・・

私のことが大好きと言ってくれていた貴重な子だった。
私の中では、彼女は昔のままであり、それ以上でも以下でもない。

この曲聴きながら、改めて病気に負けたくないと思った。
彼女が好きと言ってくれた”私”があるならそれを大事にしたいと思う。

でも今の私見て彼女はナンテいうかしら・・?

”人間っていくつになっても変わんないものですね”とやっぱり少し困った顔で言うかなあ・・

ラヴェルのボレロ・・この曲を聴くと何故か涙がでてきてしまう。でも大好きな曲・・・
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何にこだわっているのか・・?

2008-08-15 22:34:21 | Weblog
ここ3週間以上お腹の調子がずうっと悪くて・・

朝がいちばん悪くて、夜寝る前にひと騒動ありの繰り返し・・ただ昼間はどうにか普通にやれるので市販の整腸剤をたまに飲むくらいにしていた。あまりお布団とトイレを行ったり来たりしていたので、夫が”医者にも行かぬならトイレで寝ろ”と。私も意地になりヨガマットをトイレの前に敷いて寝たこともあった。

”何故医者に行かんのだ?"という夫に上手く説明できないけど、なんかわだかまりがあった。
この病気抱え、尚且つ余分な治療したくないというか、もうお薬飲んで自分の体と向き合いたくないようなそんな気分だった。
結局、今朝あまり腹痛ひどく、体もだるくなってきたので医者に行き、やはり”餅屋は餅屋”らしくとても具合良くなってきている。

常日頃”前向き"とかなんとか言っちゃっているけど、要するにそんなものだと再認識である。

そんなこんなを思うと長い間、この病抱えているというだけでそれだけで凄いことだと思う。

夫がいつも”人生なんか。待っているもんか・・自分で切り開くものだ”というけれど私は、やっぱり口にしてしまう・・

”私の人生って何が待ってるんだろ”って。

今日は、やけに弱気です。
まっ・・こんな日もありかな・・?

最近知り合った方の言葉・・”明日のためにもう寝ます”。言い得て妙だと思う。
  

余談ですが、北京オリンピックのこと。
期待どおりの活躍で金メダルの北島康介さんも体操の内村くんも、あと11秒で逆転負けした塚田さんもみんなみんな立派だと思う。
それぞれに頑張ってそれぞれの結果・・それぞれの人生。いろんなドラマがあるもんだ・・
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"生きる”ということ

2008-08-08 12:46:17 | Weblog
またまた重たいタイトルをつけてしまったと苦笑い・・・

我が家の老犬サチは、獣医さん曰く、年齢のこともありホルモンの関係ということらしいが、毛が薄くなり皮が黒ずんでいる。おまけに食欲は十分にあり、とてもよく食べているのだがちっとも肉にならず、ガリガリである。
もとは、父親はどっかのなにかのチャンピォンという血筋でれっきとした血統書付きの柴犬である。今やその面影は微塵もない

ちょうど通りに面して飼っているので、道行く小学生など”ここの犬,かわいそうやなあ・・"などと言ってくれる。

あれやこれや考え、”安楽死”という言葉が頭にちらついた。
とても悩んだ。ネットで同じようなこと考えている人いないかと探しているうちにある文章が目に入った。

”動物は決して自ら死を選ぶことはない。安楽死なるものは、人間のエゴだ。自分が楽になりたいがために、自分の視界から遠ざけるためにいうに他ならない"と。家のサチは痛みに耐えているわけでも何かの苦痛に苦しんでいるわけでもない。私はなにをもってサチ・・16年もこの家にいた家族を殺すこと考えたのか・・

ただ涙が出てきた。自分の傲慢さを思い、汚くなったから、歳とったからだけで"生きる”ことやめさせられるなら自分はどうだ?と、トコトン恥じた。

そして昨夜、義父が39度の熱をだした。とても心配したけど今朝、平熱近くまで下がったので予定通り見舞いは明日にした。

暗闇の世界に住み、痴呆も進み、89歳である。
私にはもう”頑張れ”なんてとても言えない。
ただ淡々と生きているお爺ちゃんに苦痛がありませんようにと祈るだけである。

話は飛ぶがいよいよ北京オリンピックである。聖火を間近に見たくるくる坊主の子供が本当に目を輝かしていた。片や今だに震度6ほどの余震に怯える被災地の子らの焦点定まらぬ目を見てホントに複雑な気持ちになった。

”生きる”って考えて行きつけることでないのかも・・・

ならば毎日を”のほほん”と過ごしたほうがやはりよさそうだ。

それも口で言うほど容易くなさそうだなあ・・そんな気がする。

ここで天の声・・下手な考え休むに似たり・・掃除してまたまた日にち変更した歯医者にもいかにゃ。

そうなんだ!・・・私も毎日"生きている”んだ。・・
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人間いたるところ青山あり

2008-08-05 10:34:00 | Weblog
“人間 いたるところ 青山あり”

ナンカ知らないけれど昔・・20代の頃よりこの言葉が何となく好きだった。
と、言っても私の勝手な思い込みで意味は・・”人間がいるところはどこも、青々としていいところだ”要約すると”人は、みないい人なんだよ。どこに行こうとどこに住もうとそれなりに良い人達に囲まれ幸せに暮らせるもんだ”ということになるかと思う。

後日これが全くの我流の思い込みだと知った。

本来の意味は中国の古い詩の一節。

是処青山可埋骨

「青山(せいざん)」とは骨を埋める場所、墓のことだそうな。
そして「人間」は、にんげん、または、じんかん、と読むそうな・・

つまり人が住みついて活動するところはどこにでもあり、ふるさとだけとは限らない。ということだそうだ。

これも我流に言うと、たとえどこで倒れたとしても墓はどこにでも作ってやるから思う存分に生きなさいということになろうかと・・

本来の意味を知った時は自分の無知さに、驚くとともに解釈の仕方がいかにも私らしいと苦笑いだった

何故に急にこんなことを思い出したかというと、先日母が泊まりに来た折、”何としてでもお前の病気を治してやりたい。どうしてお前が・・という気が拭えん"という。私は”この病気になったから今ここでこうして母さんとまともに話ができる人間になったような気がする。そうでなかったらきっと、親まで馬鹿にする人間だったよ。"といった。
思い当たる節があるのだろう・・母は何も言わなかった。

ただ一言”この病さえなかったら言うことないのになあ・・”と。

私は、つくづく甘やかされ、我儘のまま、それがどういうわけか許されそのまま歳をとってきてしまったらしい。

そんなことボーッと思いめぐらしていてフト、この言葉を思い出した。

昨日はまた最高気温更新して、今日もそれに負けず劣らずの様相・・

水分の補給忘れず、少しでも良い時間持ちたいものです。

私は、今日はこれから、先日私の顔の上をシャカシャカと跨いで殺されたムカデくん家族の復讐に備え、ムカデバルサンすなわち”いや~な虫バルサン”をたこうと思います。・・・悪いけどムカデさんとはどうしても共存できません

みなさんもムカデにはご注意を
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