in the heart side・・ヒトツバタコ

いつもその時の出会いを大切に・・

ヒトツバタコ

2008-06-10 10:56:12 | Weblog
先日、友人から”ヒトツバタコを検索したことあるけどはっきり言って、そんなにいいものかなって思ったよ。”と言われた。
゛ほかにもたくさんの可愛らしい花がたくさんあるのに、なぜにヒトツバタコなの?”

”可愛いじゃないの・・名前もちょっと変わってるし、面白いじゃない?”

”そうだね。ホンと十分変ってるよ・・貴女もね。”と。

先日、学生時代の友人達と食事して、そのこと話し"変わってきたのは病気のせいか?”と言うと
”変わりものは昔からだよ。なんでもかんでも病気のせいにしていかん”と、言われた。

変人・・言動、性質が他の人と変わっていること。変わり者。

どないなこっちゃ?言動、性質など同じの人などあろうはずがないのに。

まあ、変人なら変人でもいいが、異常な人間の起こす最近の特に秋葉原での事件はなんと考えたらいいのだろうか?

一見して人間性の異常がわかればいい・・とここまで書いて、私の差別的な考え方もいかがとも思われてくるが、明らかにこの手の人間は病んでいると思う。
でもこの病みを誰が気づいてやり,救えるのだろう?
自分が病んでいることに気づく人はまだ、救いもある。

普通の下に隠れた異常。
こういう類の人間に命奪われた方のご家族の心境を思うと言葉もない。

私は死刑廃止論者ではない。
罪を憎んで人を憎まずなどということは、いえない人間である。

なんの罪もなくただ健気に生きている人間の人生を自分のエゴのみで奪い去り、そのまわりの大切な人の人生をも狂わせた情状酌量のない人間が、更生の余地ありとして保護されるということはやはり、合点いかない。私はやはり死をもってしか償えない罪もあると思う。

でも、この人間が明らかに病気であること考えると、少しばかり胸がざわつくのも確かである。

私達のように不治の、進行性のそれも神経を病んでいるものにとり、健康であることは、羨ましいかぎりである。
しかし、心が壊れて、体がどこも悪くないというのもまた、厄介か・・

人の一生てなんだろ?

生きて死ぬってどんなもんでっしゃろ?

健常であれば”鼻くそ”のようなことが、とっても難儀なことになり、その中で日々落ち込みながらも健気に頑張る私達ってやはり、胸張っていいと思う。

異常の上に乗ってる普通にあぐらかいてる人間、普通のうえにのってる異常と闘っている人間・・・

一人一人個性あり、皆少なからず変人である。

出来たらそんな中でも可愛げある変人でいたいなと思う。

暇に任せてそんなこと考えている私は、十分変人かもしれない。

今日は梅雨の合間の


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