癒しの庭Ⅲ

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史談会総会!

2008年04月16日 | Weblog

 

    今日は当地区の史談会総会と懇親会です。

    年1回の総会、総会の前、午後1時半からまずは3時まで古文書読みです。

    

   今日はここから5ページから、「秋田十二所弥市より御取上げの弥兵衛本町裏丁共にこの度御済屋敷に・・・・・などと書いてあります。午後3時までみんなで読みました。

   3時10分から総会、4時から懇親会です。13名の参会者でしたが、一番若い人は私と私と同期の仙台から月1回のこの会に通っておられる方で、その他は全て先輩です。最年長の方は90才の方で、私の中学校の音楽の恩師です。

   その先生に子どもの頃のオジナオバナの様子をお聞きするととても詳しく教えて下さいました。その上、弟さんにに問い合わせて近くの(地域)の昔の様子も調べてあげましょうと、手帳に小さな字で丁寧にメモをして下さいました。

   本当に有り難く、たくさんの事を教えて頂こうと思います。

   できれば今は途絶えている市内の全地域のオジナオバナの様子の聞き取り調査をしたいと思います。誰もしていなかった悉皆(しっかい)調査です。

   市内の自治会長さん名とその方の電話番号を市の担当から教えて頂き、根気よく、順に、昔オジナオバナがどのように行われていたのかを、知っている方を教えて頂いて問い合わせ続けます。そして、その答えの中から一定の傾向を導こうと思うのです。

    きっとこういう結論になるだろうという仮説が私にはありますが、調べて見ないことには分かりません。せっかく市の無形文化財調査員をおおせつかったのですから、本格的な調査を行い、研究調査の楽しさを味わおうと思います。

    さてさて、どんな結論が出るのでしょうか、楽しみ・・・

 

                  

 

    史談会にお集まりの先輩諸氏にお聞きしました。

  何故私の菩提寺の梵鐘に「戒名(亡くなった人の名前)」がたくさん刻まれているのでしょうかと。

   先輩のお答えは「亡くなった人の供養を願って寄進(お金などを寄付する)し」寄進した人の名前ではなく、亡くなった人の戒名を刻んでいるということでした。これは納得です。だからこそ「○○童子」とか「○○信女」という戒名が彫られていたのですね。

   納得、先輩諸氏は素晴らしいです。

 今後も教えを乞うていこうと思います