資本主義社会というのは、薄氷を踏みながら、自転車操業で辛うじて前進と回転を続けている。
なぜ、自転車操業かというと、利益を正しく計上すれば、課税されて吸い上げられるが、銀行から借金して設備投資にカネを回せば、利益を最低にして、法人税課税を節約できるというメカニズムがあったからだ。
だから、企業というものは、今にも倒産しそうなほど大きな借金を背負うのが普通だった。利益を出さないほど、課税を抑えられたわけだ。
企業活動は、拡大再生産することによってしか命を生きながらえることができないのが資本主義の本質である。
それは、際限のない拡大がなければ、生きるツテを失って崩壊してしまうネズミ講のようなものだった。
借金に押しつぶされそうになりながら、全体がギリギリの余力で回っているだけだから、わずかなトラブルで回転が滞れば、たちまち、全体の歯車が噛み合わず、崩壊の連鎖が始まるのだ。
それは、個人事業主、中小零細企業から始まって、疫病のように巨大企業にも激しく影響を与える。もちろん、カネを貸している銀行も追い詰められる。
それが今回、コロナ禍という、誰もが予想もしていなかった現象として突然現れた。
誰も予想していなかったから、対策もなかった。偉そうに屁理屈を垂れるのが好きな経済評論家も、一度も経験したことのない「疫病禍」という現象の前に、いったい何が起きるのか、誰も理解も予想もできず、立ちすくむばかりだった。
信用力のある実業ならば、将来の回復を見越して銀行も金を貸して、なんとか生き延びてゆけるのだが、小泉純一郎と竹中平蔵コンビが、今世紀初頭に登場し、「日本を金融国家に変える」と宣言してから、経済界にあって実業は軽んじられ、「カネ転がし」の虚業ばかりに力を注ぐ企業経営者が激増した。
だが竹中平蔵が推進した投機ブームのなかで、歴史的な実業から、金融投機の虚業にシフトした企業は、軒並み没落して、今は影も形も失われたものが多い。
虚業に向かった企業は、世界全体がコロナ禍に押しつぶされる姿を見て、あらゆる株価が低迷し、解決の糸口も見えず、景気は凋落の一途をたどるばかりに恐怖しているが、どこに活路を求めるべきか、正しく理解できている経営者は、皆無といえるだろう。
彼らは、企業成績が低迷してくれば、「リストラ・解雇」生産縮小で、労働者に転嫁する以外の知恵を何一つ持っていなかった。
ただ、立ちすくむ以外の知恵がなかった。それは、「金儲け」以外の人生の価値を知らなかったからだ。
こんなときは、倒産を覚悟して、大衆の不便、不足、恐怖に目を向けて、「人の笑顔のために戦う」という決意で、知恵を巡らせて行動すれば、人々の賞賛を浴びて、企業活動も立ち直りの糸口が見えるはずなのだが、何せ「他人の利益を吸い上げることは大好きでも、他人の利益のために行動する」ことを知らない経営者ばかりだから、何をどうしたらいいのか、まるで先行きが理解できない、五里霧中に彷徨うしかないのだ。
もう少し具体的に言えば、これから深刻な食料危機がやってくるのが確実視されているのだから、通販による保存性食品販売や、三密のない登山のようなスポーツを振興するような、既成概念に縛られない自由な発想を考えればよいのだ。
私が繰り返し書いているように、例えば、名古屋港から御嶽山まで続くサイクリング専用ロードを作って、新しいライフスタイルの息吹に期待すればいい。
経団連が、消費に罰金を科すことで景気を悪化させる効果しかない消費税を推進した結果、日本経済は「失われた20年」と呼ばれた超景気低迷に陥った。
しかし、このことで低金利、マイナス金利が成立して、投機に使えるコストの安い資金が巨大化していった。つまり、「金融投機経済」にとっては、低金利ほど都合の良い現象はないのだから、経団連が消費税を推進するのは、そういう理由である。
これによって、小泉政権以来、わずか20年で、日本の巨大企業は、450兆円を超えるような内部留保を獲得することになった。
これが何をもたらしたかと言えば、経営幹部への法外な報酬である。20世紀には、日本人の経営者は、松下幸之助や盛田昭夫、本田宗一郎だって、せいぜい数千万円の年収しかなかった。
ところが、今、内部留保の多い、ソニーやソフトバンクあたりの経営者が持ってゆく報酬は、数十億円という単位だ。
https://toyokeizai.net/articles/-/252651?page=2
https://toyokeizai.net/articles/-/300150?page=2
これでは、経営者たちは、報酬欲しさに景気低迷=低金利というメカニズムを求めることになってしまう。
一方、その対極で、竹中平蔵は、労働者の社会保障を奪い去り、日本人の6割を派遣労働者=ルンペンプロレタリアートに貶めてみせた。
労働者の平均年収は、柳井正や孫正義など超特権組を除いた平均では700万円→400万円に凋落しているといわれる。(中央値の場合)
https://news.yahoo.co.jp/byline/fuwaraizo/20190728-00134320/
派遣労働者の場合、彼らは組織されていないから、当然、政治的な力も、組織力も失って、いわば「安上がりな飼育」対象でしかない。都合が悪くなれば、たちまち追放してしまえる、不安定な身分しか許されていない。
こうして、組織された労働者の力を削いで、経営側が儲けやすくするというのが竹中の狙いだっただろう。これで労働側、野党の力も決定的削がれていった。
人は、幼い頃のからの人間関係のなかで精神的安定を得るためには、周囲の平等、対等という関係を必要としている。「みんな対等の友達」だから、人生が安定して楽しいのだ。
ところが、小泉純一郎・竹中平蔵が日本社会に持ち込んだのは、対等の関係の真正面からの破壊だった。まるで朝鮮社会のような格差社会、差別を持ち込んだのだ。
これにより、周囲の人々が味方だったのに、すべて敵に見えるようになった。
いつでも自分が小馬鹿にされているような気分にされた。
社会における格差や差別が何をもたらすかというと、心の安定を失わせ、ネガティブな妬みや優越感、劣等感、嘲笑、見下し、羨望という社会を破壊する感情を生成するのである。
この結果、いわゆる精神異常者が猛烈に増え始めた。
相模原ヤマユリ園事件の植松や、京都アニメ放火事件の青葉のように、1938年に起きた津山事件の死者を超えるような凄まじい犯罪が頻発するようになった。
そして、心の平衡を失って、異常精神となって犯した犯罪が、毎日のように報道されるようになった。
https://www.chunichi.co.jp/article/96255
私の経験から言っても、人が苦悩を感じて、それを真正面から解決できないとき、人間は「心の離脱」(昔でいう精神分裂)を引き起こしやすくなる。
自分の本来の人格の外側に、離脱人格を作り出して、本来の自分を見失ってゆくのだ。
差別や格差の何が悪いかといえば、こうした心の負荷に耐えきれずに離脱してしまう人々を大量に作り出すことである。
人間は、「みんなが友達」である社会でしか、正常な精神性を保てないようにプログラムされている。差別のなかで理不尽な心の負荷を与えられれば、さまざまな形で、これを解消しようとして異常行動をするようになる。
その代表的な現象が「イジメ」である。イジメは格差社会の人々の心の苦悩を餌にして大増殖するのだ。
コロナ禍が何をもたらしているかといえば、まずは経済的窮迫である。
これで経営者は焦って、未来に絶望し、正常な判断力を失ってゆく。我々の時代が不幸であるのは、安倍晋三と自民党という、知的レベルの極めて低い、名誉欲だけの下劣政権が日本社会を支配しており、あらゆる対策が、安倍の周囲を肥え太らせるものでしかないことだ。
コロナ禍を収束させる方法論は、児玉龍彦や玉川徹が2月段階から正しく提唱してきたが、政府は一切耳を傾けず、PCR検査を抑制するのが正しい方策であるかのような、とんでもない誤認錯誤のなかから、未だに抜け出していない。
経営的に窮迫した中小零細企業や店舗に対しても、ろくな支援もしない。
絶望的な無策のなかで、国民は、自分の力で這い出してゆかねばならない状態だ。
誰もが追い詰められている。何をどうしたらいいのか分からない状態だ。
ごく一部の創意工夫のある人々が、店舗営業がダメなら通販にシフトして、辛うじて息をついている。
生活のツテを失った人々が数千万人に上り、家賃さえ支払えないほど追い詰められた。 あとは、苦悩のなかで精神を離脱させるしかない。
青野君のように「神になるために人殺しをする」なんて、考える人が増えてくるのも当然だ。
こんな社会が来ることを見越して、私は、共同体の結成を、このブログで何十ものコンテンツによって呼びかけてきた。
大都会でなく、深い山奥で安全な土地を見つけて共同体を結成して行かねば生き残れないと書いてきた。
私は、コロナ禍後の社会が、回復できるとは思っていない。
ますます追い詰められてゆくしかない。弱者がどんどん淘汰される苛酷なイジメ社会がやってくると思っている。
今日の食事もままならない時代が復活する。一日三食なんて食べられなくなるだろう。 こんなとき、人間性を失わずに、最低限の生活を確保するために何が必要なのか、読者に深く考えていただきたい。
なぜ、自転車操業かというと、利益を正しく計上すれば、課税されて吸い上げられるが、銀行から借金して設備投資にカネを回せば、利益を最低にして、法人税課税を節約できるというメカニズムがあったからだ。
だから、企業というものは、今にも倒産しそうなほど大きな借金を背負うのが普通だった。利益を出さないほど、課税を抑えられたわけだ。
企業活動は、拡大再生産することによってしか命を生きながらえることができないのが資本主義の本質である。
それは、際限のない拡大がなければ、生きるツテを失って崩壊してしまうネズミ講のようなものだった。
借金に押しつぶされそうになりながら、全体がギリギリの余力で回っているだけだから、わずかなトラブルで回転が滞れば、たちまち、全体の歯車が噛み合わず、崩壊の連鎖が始まるのだ。
それは、個人事業主、中小零細企業から始まって、疫病のように巨大企業にも激しく影響を与える。もちろん、カネを貸している銀行も追い詰められる。
それが今回、コロナ禍という、誰もが予想もしていなかった現象として突然現れた。
誰も予想していなかったから、対策もなかった。偉そうに屁理屈を垂れるのが好きな経済評論家も、一度も経験したことのない「疫病禍」という現象の前に、いったい何が起きるのか、誰も理解も予想もできず、立ちすくむばかりだった。
信用力のある実業ならば、将来の回復を見越して銀行も金を貸して、なんとか生き延びてゆけるのだが、小泉純一郎と竹中平蔵コンビが、今世紀初頭に登場し、「日本を金融国家に変える」と宣言してから、経済界にあって実業は軽んじられ、「カネ転がし」の虚業ばかりに力を注ぐ企業経営者が激増した。
だが竹中平蔵が推進した投機ブームのなかで、歴史的な実業から、金融投機の虚業にシフトした企業は、軒並み没落して、今は影も形も失われたものが多い。
虚業に向かった企業は、世界全体がコロナ禍に押しつぶされる姿を見て、あらゆる株価が低迷し、解決の糸口も見えず、景気は凋落の一途をたどるばかりに恐怖しているが、どこに活路を求めるべきか、正しく理解できている経営者は、皆無といえるだろう。
彼らは、企業成績が低迷してくれば、「リストラ・解雇」生産縮小で、労働者に転嫁する以外の知恵を何一つ持っていなかった。
ただ、立ちすくむ以外の知恵がなかった。それは、「金儲け」以外の人生の価値を知らなかったからだ。
こんなときは、倒産を覚悟して、大衆の不便、不足、恐怖に目を向けて、「人の笑顔のために戦う」という決意で、知恵を巡らせて行動すれば、人々の賞賛を浴びて、企業活動も立ち直りの糸口が見えるはずなのだが、何せ「他人の利益を吸い上げることは大好きでも、他人の利益のために行動する」ことを知らない経営者ばかりだから、何をどうしたらいいのか、まるで先行きが理解できない、五里霧中に彷徨うしかないのだ。
もう少し具体的に言えば、これから深刻な食料危機がやってくるのが確実視されているのだから、通販による保存性食品販売や、三密のない登山のようなスポーツを振興するような、既成概念に縛られない自由な発想を考えればよいのだ。
私が繰り返し書いているように、例えば、名古屋港から御嶽山まで続くサイクリング専用ロードを作って、新しいライフスタイルの息吹に期待すればいい。
経団連が、消費に罰金を科すことで景気を悪化させる効果しかない消費税を推進した結果、日本経済は「失われた20年」と呼ばれた超景気低迷に陥った。
しかし、このことで低金利、マイナス金利が成立して、投機に使えるコストの安い資金が巨大化していった。つまり、「金融投機経済」にとっては、低金利ほど都合の良い現象はないのだから、経団連が消費税を推進するのは、そういう理由である。
これによって、小泉政権以来、わずか20年で、日本の巨大企業は、450兆円を超えるような内部留保を獲得することになった。
これが何をもたらしたかと言えば、経営幹部への法外な報酬である。20世紀には、日本人の経営者は、松下幸之助や盛田昭夫、本田宗一郎だって、せいぜい数千万円の年収しかなかった。
ところが、今、内部留保の多い、ソニーやソフトバンクあたりの経営者が持ってゆく報酬は、数十億円という単位だ。
https://toyokeizai.net/articles/-/252651?page=2
https://toyokeizai.net/articles/-/300150?page=2
これでは、経営者たちは、報酬欲しさに景気低迷=低金利というメカニズムを求めることになってしまう。
一方、その対極で、竹中平蔵は、労働者の社会保障を奪い去り、日本人の6割を派遣労働者=ルンペンプロレタリアートに貶めてみせた。
労働者の平均年収は、柳井正や孫正義など超特権組を除いた平均では700万円→400万円に凋落しているといわれる。(中央値の場合)
https://news.yahoo.co.jp/byline/fuwaraizo/20190728-00134320/
派遣労働者の場合、彼らは組織されていないから、当然、政治的な力も、組織力も失って、いわば「安上がりな飼育」対象でしかない。都合が悪くなれば、たちまち追放してしまえる、不安定な身分しか許されていない。
こうして、組織された労働者の力を削いで、経営側が儲けやすくするというのが竹中の狙いだっただろう。これで労働側、野党の力も決定的削がれていった。
人は、幼い頃のからの人間関係のなかで精神的安定を得るためには、周囲の平等、対等という関係を必要としている。「みんな対等の友達」だから、人生が安定して楽しいのだ。
ところが、小泉純一郎・竹中平蔵が日本社会に持ち込んだのは、対等の関係の真正面からの破壊だった。まるで朝鮮社会のような格差社会、差別を持ち込んだのだ。
これにより、周囲の人々が味方だったのに、すべて敵に見えるようになった。
いつでも自分が小馬鹿にされているような気分にされた。
社会における格差や差別が何をもたらすかというと、心の安定を失わせ、ネガティブな妬みや優越感、劣等感、嘲笑、見下し、羨望という社会を破壊する感情を生成するのである。
この結果、いわゆる精神異常者が猛烈に増え始めた。
相模原ヤマユリ園事件の植松や、京都アニメ放火事件の青葉のように、1938年に起きた津山事件の死者を超えるような凄まじい犯罪が頻発するようになった。
そして、心の平衡を失って、異常精神となって犯した犯罪が、毎日のように報道されるようになった。
https://www.chunichi.co.jp/article/96255
私の経験から言っても、人が苦悩を感じて、それを真正面から解決できないとき、人間は「心の離脱」(昔でいう精神分裂)を引き起こしやすくなる。
自分の本来の人格の外側に、離脱人格を作り出して、本来の自分を見失ってゆくのだ。
差別や格差の何が悪いかといえば、こうした心の負荷に耐えきれずに離脱してしまう人々を大量に作り出すことである。
人間は、「みんなが友達」である社会でしか、正常な精神性を保てないようにプログラムされている。差別のなかで理不尽な心の負荷を与えられれば、さまざまな形で、これを解消しようとして異常行動をするようになる。
その代表的な現象が「イジメ」である。イジメは格差社会の人々の心の苦悩を餌にして大増殖するのだ。
コロナ禍が何をもたらしているかといえば、まずは経済的窮迫である。
これで経営者は焦って、未来に絶望し、正常な判断力を失ってゆく。我々の時代が不幸であるのは、安倍晋三と自民党という、知的レベルの極めて低い、名誉欲だけの下劣政権が日本社会を支配しており、あらゆる対策が、安倍の周囲を肥え太らせるものでしかないことだ。
コロナ禍を収束させる方法論は、児玉龍彦や玉川徹が2月段階から正しく提唱してきたが、政府は一切耳を傾けず、PCR検査を抑制するのが正しい方策であるかのような、とんでもない誤認錯誤のなかから、未だに抜け出していない。
経営的に窮迫した中小零細企業や店舗に対しても、ろくな支援もしない。
絶望的な無策のなかで、国民は、自分の力で這い出してゆかねばならない状態だ。
誰もが追い詰められている。何をどうしたらいいのか分からない状態だ。
ごく一部の創意工夫のある人々が、店舗営業がダメなら通販にシフトして、辛うじて息をついている。
生活のツテを失った人々が数千万人に上り、家賃さえ支払えないほど追い詰められた。 あとは、苦悩のなかで精神を離脱させるしかない。
青野君のように「神になるために人殺しをする」なんて、考える人が増えてくるのも当然だ。
こんな社会が来ることを見越して、私は、共同体の結成を、このブログで何十ものコンテンツによって呼びかけてきた。
大都会でなく、深い山奥で安全な土地を見つけて共同体を結成して行かねば生き残れないと書いてきた。
私は、コロナ禍後の社会が、回復できるとは思っていない。
ますます追い詰められてゆくしかない。弱者がどんどん淘汰される苛酷なイジメ社会がやってくると思っている。
今日の食事もままならない時代が復活する。一日三食なんて食べられなくなるだろう。 こんなとき、人間性を失わずに、最低限の生活を確保するために何が必要なのか、読者に深く考えていただきたい。