バシャールも並木良和も、多くの超常的能力者が、人類は二極化すると指摘してきた。
しかし、その内容は、説明動画を見てもピンと来る人は少ない。あまりにも抽象的で曖昧なのだ。
バシャールの論理は、ゴーダマ・シッタルダに似ていると私は思う。まるでゴータマが生きていたら、こういうだろうと思うほど生き写しだ。だから、私は「宇宙人とのチャネリング」と称するバシャールを信用した。
ゴータマの論理は一貫している。それは「因果応報」であり、対象的世界を作り出しているのは自分の心(あるいはカルマ)という原理だ。
自分が対象的世界に対して抱いた感覚、なしたことは、100%寸分の狂いもなく自分に還ってくる。すべての問題は、外にではなく、自分の心の内側に存在している。
現実世界のリアル、次元、空間は、現実世界に客体的に泳がされているのではなく、映画マトリックスが描いたような「仮想空間」なのだ。我々は、それを絶対的現実と思い込まされているが、実際には3Dホログラムの世界にすぎない。
世界の変化を定めるのは自分の意思=心である。仮想空間には、ゴータマ=釈迦が言った「無量大数」のパラレルワールドが存在し、自分の心のカルマに応じて、刹那に自分の肉体や運命が、次々に別の仮想空間に移動してゆく。
バシャールも、まったく同じことを指摘している。我々は、あたかもパラレルワールドの海を泳ぐ鰯の大群のようだ。同じ場所、同じ次元にいるというのは錯覚にすぎない。真実は、自分の求めた無限の仮想現実のリアリズムを信じて、泳ぎ渡っているだけだ。
木内鶴彦は、幼いとき、河原で「危ない!」と叫んで自分を救ってくれた人が誰だったのか? 臨死体験で遡って知ろうとした。
そして「危ない」と言って子供時代の自分を助けたのは、遙か年月を経た自分だったことを知った。
https://reisikantei.com/ufo/kiutituruhiko/
そこでは時間軸でさえ絶対ではない。宇宙の始まりから終わりまで、本当の時間軸は、今の一点しかない。人間は、自由に過去にも未来にも移動できる。それは心の定める相対的現象にすぎないからだ。
相対性理論は、時間軸と質量に相関があり絶対概念ではないことを証明した。
宇宙基地に滞在していると、地上に比べて1日、100億分の数秒だけ時間が早く進むが、物理時間ですら相対的概念であり、思念の世界では、はるかに意思に依存した相対的概念である。
そこにいられるのは、「刹那」の時だけ。自分の心(カルマ)に応じて、次々に世界が変わってゆく。生死さえも無限であり、カルマに応じて、次々に新しい人生が拓かれる。
何もかも、根源にあるのは、自分の「思い」だった。
「我思う、故に我在り」。デカルトは機械的唯物論者だったが、すべての根源に「思い」があることに気づいていた。
とはいっても、この現実が仮想空間にすぎないとしても、我々にとっては死ぬほど重いリアリズムであることには変わりない。
腹が減り、エッチもしたいし、人を愛したい。「仮想空間にすぎない現実に気づけ」とかけ声をかけてみても、リアルな現実にとって何の意味もない。そこには、自分自身の全存在がある。
そんなリアリズム空間に、数万年ごとに心の基盤を左右する変化が起きるという。
並木によれば、「26000年ごとに」、人類の意識を左右するエネルギーの変化が起きるという。ちょうど、星占いが宇宙の運行を見て、人の運命を見るのと同様に、我々が無意識に引っ張られる運命のエネルギー法則があるという。
バシャールは、それが2016年から始まったと言った。2020年には、大勢が定まり、2021年の冬至を持って、もはや後戻りができないと並木が語った。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1160.html
それは人々の心が「二極化」し、互いに交わらず、融合・邂逅することもないのだという。
人々の心が交わらなくなることの意味は、二つの極=ネガティブ:ポジティブの極に分裂した人々には、対話どころか、空間を共有することさえ失われてゆくことだ。
すでに5年前から、それが起こっているといことは、多くの人が、実際に自分の行動を省みて感じ取っているはずだ。
例えば、過去に空間を共有していた人々、誰とでもフランクに縁が生まれていた集団のなかで、自分の心に適合しない人とは、会うことさえできなくなる。
心の根底を共有しない人とは、付き合いどころか、出会いのチャンスさえ消えてしまう。
そこで、二極の本質とは何か? 自分はどちらの極に属しているのか? を知りたいと思う人は多いはずだ。
バシャールも並木も「ネガティブとポジティブ」という表現を使っているが、いったい、それは何を意味するのか?
私なりに解釈すると、「ネガティブ」という心の極は、自分、また人類の未来にとってネガティブという意味だ。
例えば、人類の未来を保全することより、自分の強欲を満たしたい、蓄財や地位、権力を得ることに魅力を感じることを「ネガティブ」という。つまり、子供たちの未来など、どうなろうと知ったことか! 自分の目先の権力や蓄財を満足できれば、それが人生の目的だ。という思想・哲学を「未来に対するネガティブ」と定義していい。
反対側の「ポジティブ」は、自分を保全し、未来を保全するためには、地球環境を汚してはいけない。みんなが笑顔で、未来永劫、楽しく幸せな空間にいられるようにしたい、という思想・哲学を「未来に対するポジティブ」と定義する。
こうして考えると、ネガティブの意味は実に分かりやすい。自分の強欲=出世欲・蓄財欲・権勢欲=他人を見下したいという欲を満たすため、他人を苦しめ、搾取し、全人類の未来を売り渡す発想。例えば、原子力発電や核兵器開発は、莫大な放射能を地球環境にばらまき、子供たちの未来を閉ざすことが分かりきっていても、原発のもたらす巨大な利権に目がくらんで、どうしても止めることができない。
自分が生きているうちに欲を満たせればよく、子供たちの未来など、どうなろうと知ったことか! という利己主義こそ、まさにネガティブ極の本質である。
これに対比させれば、ポジティブの意味も浮き上がってくる。
それは、「地球と子供たちの未来を守る」ことだ。人間社会は、新自由主義が代表する「利己主義の強欲」を基準にしてはいけない。
人が笑顔で過ごせる環境。与えられた人生を全うし、他人の幸福に寄与し、子供たちの未来を豊かにするというビジョンが、鮮明に見えてくる。
大自然のなかで、たくさんの動物たちに囲まれて子供たちがワクワク・のびのびと遊び回っている。みんな笑顔で、他人の幸福のために人生と努力を費やしている。
これが「ポジティブ極」であることなど、容易に理解できるはずだ。
並木やバシャールのビジョンには、こんな風景が見えないから、みんな二極化の意味がピンと来ないのだ。
2012年12月22日をもって、人々はネガティブ極とポジティブ極に分離し、二度と融合することはない。強いて言えば、26000年後まで待たねばならない。
この意味は、両者の「縁」が途絶えるということだ。
ポジティブ側にとっては、もう、金儲けと利己主義が大好きな人たちとの縁が切れるのだ。
ネガティブ側は、今、食事が採れない子供たちが何十万人いて、飢えに苦しんでいても、「そんなの知ったこっちゃねー」と、他人を搾取して搾り取った莫大な蓄財を使って宇宙に旅立つ。
前沢友作や堀江貴文がそうだし、それを持ち上げる橋下徹がそうだし、彼らの背後に君臨している竹中平蔵、自民党議員たち、孫正義など金融資本、経団連などがそうだ。
彼らの思想は、利己的な金儲けで一致していて、子供たちの未来を破壊することなど屁とも思っていない。自分さえよければいいという連中だ。
そんな彼らの思惑に沿った社会的影響を、ポジティブ側は、二度と受けることはない。生きている位相が異なってくるのだ。出会いの縁もできない。彼らの思想に触れる機会も消える。
また、彼らと利己主義の波動を共有する、あらゆるメディアに影響されることもなくなる。彼らは、彼らの論理に従って「カラスの勝手でしょ」と、我が道を歩むのだ。
ポジティブ側は、これからメディアの影響を受ける機会が極端に減ってゆくことだろう。誰もテレビを見ない。NHKとの契約を破棄するようになる。
代わって、ポジティブ側独自のメディアが登場してくる。もう、すでに、たくさんの「子供たちの未来を保全する」メディアが登場しているはずだが、今、私は、それを具体的に挙げることができない。しかし、すぐに分かるだろう。
ポジティブ側に立つ者は、ポジティブ側のメディアしか見られなくなる。ネガティブ側の情報が入ると悪寒、不快感に苛まれて体調を崩してしまうのだ。
世界は、このようにして完全に二極化してゆく。
バシャールは、2050年頃にはネガティブ側に向かった人々は、この宇宙から消えてしまうと予言している。
まあ、強欲の慣れの果ては、想像すれば分かることだ。もうすぐ、中国共産党が、それを全世界に示してくれることだろう。
しかし、その内容は、説明動画を見てもピンと来る人は少ない。あまりにも抽象的で曖昧なのだ。
バシャールの論理は、ゴーダマ・シッタルダに似ていると私は思う。まるでゴータマが生きていたら、こういうだろうと思うほど生き写しだ。だから、私は「宇宙人とのチャネリング」と称するバシャールを信用した。
ゴータマの論理は一貫している。それは「因果応報」であり、対象的世界を作り出しているのは自分の心(あるいはカルマ)という原理だ。
自分が対象的世界に対して抱いた感覚、なしたことは、100%寸分の狂いもなく自分に還ってくる。すべての問題は、外にではなく、自分の心の内側に存在している。
現実世界のリアル、次元、空間は、現実世界に客体的に泳がされているのではなく、映画マトリックスが描いたような「仮想空間」なのだ。我々は、それを絶対的現実と思い込まされているが、実際には3Dホログラムの世界にすぎない。
世界の変化を定めるのは自分の意思=心である。仮想空間には、ゴータマ=釈迦が言った「無量大数」のパラレルワールドが存在し、自分の心のカルマに応じて、刹那に自分の肉体や運命が、次々に別の仮想空間に移動してゆく。
バシャールも、まったく同じことを指摘している。我々は、あたかもパラレルワールドの海を泳ぐ鰯の大群のようだ。同じ場所、同じ次元にいるというのは錯覚にすぎない。真実は、自分の求めた無限の仮想現実のリアリズムを信じて、泳ぎ渡っているだけだ。
木内鶴彦は、幼いとき、河原で「危ない!」と叫んで自分を救ってくれた人が誰だったのか? 臨死体験で遡って知ろうとした。
そして「危ない」と言って子供時代の自分を助けたのは、遙か年月を経た自分だったことを知った。
https://reisikantei.com/ufo/kiutituruhiko/
そこでは時間軸でさえ絶対ではない。宇宙の始まりから終わりまで、本当の時間軸は、今の一点しかない。人間は、自由に過去にも未来にも移動できる。それは心の定める相対的現象にすぎないからだ。
相対性理論は、時間軸と質量に相関があり絶対概念ではないことを証明した。
宇宙基地に滞在していると、地上に比べて1日、100億分の数秒だけ時間が早く進むが、物理時間ですら相対的概念であり、思念の世界では、はるかに意思に依存した相対的概念である。
そこにいられるのは、「刹那」の時だけ。自分の心(カルマ)に応じて、次々に世界が変わってゆく。生死さえも無限であり、カルマに応じて、次々に新しい人生が拓かれる。
何もかも、根源にあるのは、自分の「思い」だった。
「我思う、故に我在り」。デカルトは機械的唯物論者だったが、すべての根源に「思い」があることに気づいていた。
とはいっても、この現実が仮想空間にすぎないとしても、我々にとっては死ぬほど重いリアリズムであることには変わりない。
腹が減り、エッチもしたいし、人を愛したい。「仮想空間にすぎない現実に気づけ」とかけ声をかけてみても、リアルな現実にとって何の意味もない。そこには、自分自身の全存在がある。
そんなリアリズム空間に、数万年ごとに心の基盤を左右する変化が起きるという。
並木によれば、「26000年ごとに」、人類の意識を左右するエネルギーの変化が起きるという。ちょうど、星占いが宇宙の運行を見て、人の運命を見るのと同様に、我々が無意識に引っ張られる運命のエネルギー法則があるという。
バシャールは、それが2016年から始まったと言った。2020年には、大勢が定まり、2021年の冬至を持って、もはや後戻りができないと並木が語った。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1160.html
それは人々の心が「二極化」し、互いに交わらず、融合・邂逅することもないのだという。
人々の心が交わらなくなることの意味は、二つの極=ネガティブ:ポジティブの極に分裂した人々には、対話どころか、空間を共有することさえ失われてゆくことだ。
すでに5年前から、それが起こっているといことは、多くの人が、実際に自分の行動を省みて感じ取っているはずだ。
例えば、過去に空間を共有していた人々、誰とでもフランクに縁が生まれていた集団のなかで、自分の心に適合しない人とは、会うことさえできなくなる。
心の根底を共有しない人とは、付き合いどころか、出会いのチャンスさえ消えてしまう。
そこで、二極の本質とは何か? 自分はどちらの極に属しているのか? を知りたいと思う人は多いはずだ。
バシャールも並木も「ネガティブとポジティブ」という表現を使っているが、いったい、それは何を意味するのか?
私なりに解釈すると、「ネガティブ」という心の極は、自分、また人類の未来にとってネガティブという意味だ。
例えば、人類の未来を保全することより、自分の強欲を満たしたい、蓄財や地位、権力を得ることに魅力を感じることを「ネガティブ」という。つまり、子供たちの未来など、どうなろうと知ったことか! 自分の目先の権力や蓄財を満足できれば、それが人生の目的だ。という思想・哲学を「未来に対するネガティブ」と定義していい。
反対側の「ポジティブ」は、自分を保全し、未来を保全するためには、地球環境を汚してはいけない。みんなが笑顔で、未来永劫、楽しく幸せな空間にいられるようにしたい、という思想・哲学を「未来に対するポジティブ」と定義する。
こうして考えると、ネガティブの意味は実に分かりやすい。自分の強欲=出世欲・蓄財欲・権勢欲=他人を見下したいという欲を満たすため、他人を苦しめ、搾取し、全人類の未来を売り渡す発想。例えば、原子力発電や核兵器開発は、莫大な放射能を地球環境にばらまき、子供たちの未来を閉ざすことが分かりきっていても、原発のもたらす巨大な利権に目がくらんで、どうしても止めることができない。
自分が生きているうちに欲を満たせればよく、子供たちの未来など、どうなろうと知ったことか! という利己主義こそ、まさにネガティブ極の本質である。
これに対比させれば、ポジティブの意味も浮き上がってくる。
それは、「地球と子供たちの未来を守る」ことだ。人間社会は、新自由主義が代表する「利己主義の強欲」を基準にしてはいけない。
人が笑顔で過ごせる環境。与えられた人生を全うし、他人の幸福に寄与し、子供たちの未来を豊かにするというビジョンが、鮮明に見えてくる。
大自然のなかで、たくさんの動物たちに囲まれて子供たちがワクワク・のびのびと遊び回っている。みんな笑顔で、他人の幸福のために人生と努力を費やしている。
これが「ポジティブ極」であることなど、容易に理解できるはずだ。
並木やバシャールのビジョンには、こんな風景が見えないから、みんな二極化の意味がピンと来ないのだ。
2012年12月22日をもって、人々はネガティブ極とポジティブ極に分離し、二度と融合することはない。強いて言えば、26000年後まで待たねばならない。
この意味は、両者の「縁」が途絶えるということだ。
ポジティブ側にとっては、もう、金儲けと利己主義が大好きな人たちとの縁が切れるのだ。
ネガティブ側は、今、食事が採れない子供たちが何十万人いて、飢えに苦しんでいても、「そんなの知ったこっちゃねー」と、他人を搾取して搾り取った莫大な蓄財を使って宇宙に旅立つ。
前沢友作や堀江貴文がそうだし、それを持ち上げる橋下徹がそうだし、彼らの背後に君臨している竹中平蔵、自民党議員たち、孫正義など金融資本、経団連などがそうだ。
彼らの思想は、利己的な金儲けで一致していて、子供たちの未来を破壊することなど屁とも思っていない。自分さえよければいいという連中だ。
そんな彼らの思惑に沿った社会的影響を、ポジティブ側は、二度と受けることはない。生きている位相が異なってくるのだ。出会いの縁もできない。彼らの思想に触れる機会も消える。
また、彼らと利己主義の波動を共有する、あらゆるメディアに影響されることもなくなる。彼らは、彼らの論理に従って「カラスの勝手でしょ」と、我が道を歩むのだ。
ポジティブ側は、これからメディアの影響を受ける機会が極端に減ってゆくことだろう。誰もテレビを見ない。NHKとの契約を破棄するようになる。
代わって、ポジティブ側独自のメディアが登場してくる。もう、すでに、たくさんの「子供たちの未来を保全する」メディアが登場しているはずだが、今、私は、それを具体的に挙げることができない。しかし、すぐに分かるだろう。
ポジティブ側に立つ者は、ポジティブ側のメディアしか見られなくなる。ネガティブ側の情報が入ると悪寒、不快感に苛まれて体調を崩してしまうのだ。
世界は、このようにして完全に二極化してゆく。
バシャールは、2050年頃にはネガティブ側に向かった人々は、この宇宙から消えてしまうと予言している。
まあ、強欲の慣れの果ては、想像すれば分かることだ。もうすぐ、中国共産党が、それを全世界に示してくれることだろう。