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競争に勝ちたい人たちの行末

2022年06月14日 | インポート
 私は、現在は100パーセント自炊だが、若いころ、稼ぎのよかった時分は、ほぼ外食だった。夜は近所の居酒屋に行くことが多かった。

 ずいぶんたくさんの店に入り、さまざまな経営者を見てきた。

 そうして、飲食店の栄枯盛衰を間近に見ながら、共通する法則を考えていた。



 長続きしている店の共通点から挙げると、経営者は穏やかな性格の人が多く、金儲けは二の次で、客を喜ばせることを大切にしていることが多かった。

 逆に短い期間で経営をやめてしまう人の場合、「一旗揚げよう」という類いの気負いが強くて、経営を通じての金儲けが人生の課題であるかのように考えている人が多かった。



 そこで、飲食店が長く続くために、経営者としては、「金儲けではなく、客を喜ばせる」ことに喜びを感じるという姿勢が、店を支える原動力なのだと感じていた。

 短期間(1~2年)で経営を放棄してしまう人には、きちんと修行して、腕の立つ人も少なくなかった。しかし、その分、自分に対する気負いが強すぎたのだ。

 経営の目的を、金儲けや名前上げに置いている人で、事業がうまく続いている人は見たことがない。



 日本社会には、二つのタイプの人がいる。

 それは、競争主義に煽られて、ガツガツとした強迫観念のなかに閉じ込められ、他人を出し抜いて、自分が先頭に躍り出ないと気が済まないタイプの人と、人の笑顔に癒やし癒やされ、「ゆっくり、我が道をゆく」タイプの人だ。

 どちらが成功するかといえば、上に書いたとおりだ。



 目標を小さくして、「ただ客の笑顔を見て、店が続いてゆけば十分」と穏やかに構えている人だけが、生き馬の目を抜くような競争社会のなかで成功していたのだ。

 背伸びするタイプの人は、飲食店経営には向いていない。ガツガツとした競争心に煽られているような人もダメだ。人生の幸せを、対面する客の笑顔に感じている人だけが成功するのだと私は悟った。   



 それでは、事業に失敗する可能性の強い、名誉欲の強い、ガツガツ競争のなかにいる人は、どうしてそうなるのかといえば、日本社会全体が、競争主義の呪いにかけられて、幼い頃から競争に煽られて生きてきたことが大きいのだろう。



 大半の教育体制のなかでは、保育園・幼稚園の時代から、競争を主題にした教育が行われる場合が多い。

 私の幼稚園時代でも、言葉を覚えたり、絵を描いたりするときも、必ず、その出来映えに成績、序列をつけて、子供たちに序列の圧迫感、コンプレックスを与えるような教育体制だった。



 運動会でも、かけっこで他人を出し抜いて一番になれば褒めてもらえるわけで、こんな教育なら、子供たちには「競争と序列」という精神的脅迫の洗脳が与えられることになる。

 私の子供時代は、幼稚園から高等教育に至るまで、徹底した競争と序列の価値観に支配されていた。



 こんな競争主義教育のなかでは、序列に目の色を変えるような、他人を出し抜いて自分が一番になることを目標にするようなガツガツした差別大好き人間になるしかない。

 こんな序列洗脳に固められた人は、誰かと出会っても、「こいつは俺より上か下か?」という序列の視点にしか興味がなくなってしまう。



 そんな人が、飲食店を経営したなら、思い通りに金儲けができなければ、すぐにフラストレーションが溜まって、経営を投げ出したくなるだろう。

 客の顔が札束に見えるような価値観で経営するようになり、そうなれば、儲からないときは「仕事がうまくいかない」と思い込み、自分に対して怒りが湧いてくるわけだから、ゆとりを持って経営が続くわけがない。



 こうした問題は、飲食店だけではなく、ほぼすべての経営事業に共通するもので、ガツガツした競争意識の強い経営者が長続きした例を知らない。



 現在、私の住む中津川市は、リニア岐阜県駅計画のために、全国から、一攫千金を狙う業者が参入し、人口増加、活性化を当て込んだ事業が急拡大している。

 中津川市は、名古屋市の63分の1の人口密度しかなく、人間よりも鳥獣のはるかに多い土地であって、消費ニーズは小さい。

 リニア計画にもかかわらず過疎化が進み、私の住む旧蛭川村などは、20年前に一日8本あった定期バスが、廃止されてゼロになってしまった。



 私など、遠方から交通機関で帰宅するとき、最寄りのバス停から2時間かけて熊の出る山道を歩かなければならない。

 人口も、移住当時3000名を超えていたものが、現在は2000名に減っている。地場産業である石材業も衰退の一途だ。林業も、大切なヒノキを安価に中国に売り飛ばしているだけで、未来を見据えた計画が実行されているとは言いがたい。



 それなのに、この五年ほど、大規模小売業が凄まじい勢いで拡大し、少ないパイを分け合って青息吐息の経営が続いている。

 私は、ダイエーやユニーが、競争主義に煽られて、無謀な拡大路線に走り、結局自滅していった経過を、最初から最後まで見続けていたので、現在、中津川市で店舗拡大しているバロー・オークマ・ゲンキーなどが同じ轍にはまって衰退消滅路線をひた走っているのを見て、「なんて懲りない奴らなんだ」と呆れかえらざるをえない。



 「雉や狸や狐やイノシシに何を売ろうとしているんだ?」と言いたい。

リニアが来れば、本当に人口が爆発するのか? 私は、リニアの開通も疑わしいと思っている。それは日本最大級の中央構造線、南アルプス破砕帯を通過しなければならないからで、日本最強の土木技術を注ぎこんでも青崩峠や兵越峠でさえ開通できなかったことを思えば、仮に、貫通できたとしても持続的な営業は困難と考えている。



 私には、中津川における現在の大規模小売業が、リニア開通予定の2030年になって、存続可能かを考えると、とうていうまく生き残れるとは思えないのだ。

 ちょうど2年くらい前に、似たようなことを自分で書いていた記事を見つけた。



 もう資本主義のメカニズムは再生できない 2020年08月09日

 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5827513.html



 こうした馬鹿げた企業進出は、何によって煽られていたのかといえば、日本の経営者たちが、幼いころから競争主義の薫陶を受けて、「他人を出し抜かねばならない」という精神的脅迫に洗脳されているからとしか思えない。

 企業を立ち上げたなら同業者から抜きん出て成功を収めなければならないとする経営者の新自由主義的価値観が問題なのだ。



 私は、すべての業種において、「客の笑顔を見て、生きる喜び、事業のモチベーションを見いだす」という人生観、価値観でなければ、一時的に成功できても、長い歴史のなかで地域社会を支えてゆくもの=「われらの企業」という地元民の支柱になることはできないと考える。

 新自由主義競争社会のなかで、札束だけに価値を見いだしているような経営者では、日本の歴史の一部に刻まれるような会社にはなれない、藻屑のような存在だと思う。



 我々日本人は、少なくとも2000年近い悠久の歴史に生きている。一時的な流行りものがもてはやされることがあっても、長い歴史のなかで、みんなが大切にしてゆくものは、「人の笑顔を大切にする」という思想だけなのだ。