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菊池(藤本)事件とは?

2019年12月22日 | 未分類
 戦後の死刑執行事件のなかで、九州では二つの死刑執行が、極めて冤罪の疑いが強い殺人処刑と指摘されてきた。

 一つは、1992年に起きた「飯塚事件」で、犯人とされた久間三千年氏は、2008年10月8日、有力な冤罪証拠(当時のDNA鑑定の杜撰さが、足利事件によって明らかにされた)があったにもかかわらず、2006年の死刑判決から、わずか2年後に、森英介法相によって処刑された。(通常は、確定後、執行まで5年以上、しかも再審請求中だった)
 https://www.excite.co.jp/news/article/Tocana_201706_post_13587/

 もう一つが、世間からほとんど忘れ去られた菊池事件である。

 事件の概要(ウィキより転載含む)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E6%9C%AC%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 熊本県菊池郡水源村(現在の菊池市の一部)の村役場衛生課職員(当時50歳)の自宅にダイナマイトが投げ込まれたのは1951年8月1日のことであった。
 ダイナマイト自体は完全には爆発しなかった。衛生課職員とその子供が軽傷を負った。

 警察は「ハンセン病患者だと県に通報した元職員を逆恨みした」として、患者とされた当時29歳の藤本松夫を容疑者と決めつけて逮捕した。
 藤本は、この職員によって、ハンセン病に罹患しているとして、ハンセン病施設国立療養所菊池恵楓園への入所を勧告されていたとされた。

 藤本はこのダイナマイト事件で逮捕された後、恵楓園内の熊本刑務所代用留置所(外監房)に勾留され、裁判は熊本地裁菊池恵楓園出張法廷で行われた。
 裁判ではダイナマイトの入手先が解明されなかった。藤本に対して1952年6月9日に熊本地裁は、殺人未遂と火薬類取締法違反で懲役10年の有罪判決を宣告した。藤本は控訴・上告したが、1953年9月15日に最高裁で上告が棄却され、有罪が確定した。

 このとき、容疑者とされた藤本には、ダイナマイトを扱った経験も、知識もまったくなかった。当時、熊本の多数の炭坑では、ダイナマイトが多用されていたが、藤本は、そうした仕事に携わったこともなかった。

 第二の事件

 藤本はダイナマイト事件一審判決直後の1952年6月16日に恵楓園内の菊池拘置所から脱獄した。
 ところが、3週間後の7月7日午前7時ごろ、村の山道でダイナマイト事件の被害者職員が全身20数箇所を刺され惨殺されているのが登校中の小学生に発見された。

 その6日後、山狩りをしていた警官や村人らによって発見された藤本は、誰何されて崖の上の小屋から飛び降り、畑を通って逃げようとした際に拳銃で4発撃たれ、右前腕に貫通射創を受けて逮捕された。
 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/560735/

 警察官は、藤本を逃げ場のない場所に追い詰め、激しい抵抗をしたわけでもないのに、4発の銃弾を発射、うち1発が藤本の右腕を貫通、粉砕骨折を起こした。
 藤本は、逮捕後、手当もされないまま、激痛に耐え、警察署で苛酷な取り調べを強要された。

 藤本は逃走罪及び殺人罪で追起訴され、公判は熊本地裁菊池恵楓園出張法廷で行われた。検察はこの犯行を「執拗に殺害を計画し、一回目は失敗し、二回目に達しており、復讐に燃えた計画的犯行」であるとした。
 1953年8月29日に熊本地裁は藤本に死刑を宣告した。藤本は控訴・上告したが、1957年8月23日に最高裁が上告を棄却し死刑が確定した。

 懲役刑および死刑の確定後も藤本は通常の刑務所や拘置所に移送されることなく、恵楓園内の菊池医療刑務支所に収容されたまま3度の再審請求を行った。いずれも棄却された。
 1962年9月14日午前中、藤本は福岡拘置所へ移送となり、同日午後1時ごろ死刑が執行された。3度目の再審請求が棄却となった翌日のことであった。

 捜査および裁判では次のような疑問点が指摘されている。

(爆破事件について)爆破に使われた導火線や布片が被告人の家から発見されたとする。だが、当時は衣料切符による配給制度がとられていたため、同じ生地はどの家にもあった。

 取調べは、銃弾が貫通した腕の痛みを無視し、手当もさせないまま、拷問に等しい激痛と、威圧的な決めつけのなかで行われた。
 後に、藤本は「供述調書には、自分が言っていないことまで勝手に書かれていた」と述べた。

 藤本のの逮捕時に着ていた上着に血痕がなかった。事件後、着替えた証拠もなかった。

 タオル1本からA型の血液が検出された。藤本も被害者もA型である。
凶器とされた短刀が、現場付近からではなく歩いて10分も離れた農具小屋から発見された。
 当時の技術では短刀から血痕が検出されなかった。それは農具小屋の傍らの池で被告人が洗ったためだとされた。

 最初の調書では凶器は鎌とされていた。しかし、検死の結果、短刀に切り替えられた。

 【ここが重大!】
 藤本の逃走中に、藤本に罪を着せれば逃げられると考えて窃盗事件を起こした者がいた。衛生課職員は、村では少なからず恨まれていたので動機のある者は他にもいる。

 第一の事件と同様、第二の事件も、最高裁判所の決定に基づき、審理は裁判所ではなく療養所内に設置された特設法廷で行われた。
 そのうえ裁判官、検察官、弁護人らは感染を恐れ、白い予防服とゴム長靴を着用し、ゴム手袋をはめた手で証拠物を扱い、調書をめくるのには火箸を使っていたという。

 なお国の委託を受けた日弁連法務研究財団は、2005年3月、調査報告書で「手続的保障が十分に尽くされ(ていた事件かという)視野に立った場合、藤本事件は、到底、憲法的な要求を満たした裁判であったとはいえないだろう」と指摘した。

 この事件に取材して、冬敏之が『藤本事件』という小説を書いている。(『民主文学』掲載)
 この事件を基にして、中山節夫が『新・あつい壁』という映画をつくっている。
 この事件をモデルにして、木々高太郎が「熊笹にかくれて」という小説を書いている。(桃源社)

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九州では、極めて冤罪が多いことが知られている。
 最近では、鹿児島県警が、志布志事件で大規模な冤罪を行って自殺者まで出したが、意図的に冤罪を演出した担当警察官は、処分らしい処分をされなかった。
 飯塚事件も同じだが、九州の警察官は、「疑わしければ被疑者の命を奪っても許される」という、絵に描いたような人権侵害の傲慢な思い込みに支配されている。

警察国家への道 その5 微罪逮捕・長期実刑による政治弾圧 (2010年05月17日)
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-40.html

志布志事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E5%B8%83%E5%BF%97%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a169126.htm

 そもそも、菊池事件の取り調べも裁判も、刑事訴訟法を完全に無視して行われただけでも、再審の理由になり、最高検は、この手続き上の重大な瑕疵について公式に謝罪しているにもかかわらず、冤罪再審をのらりくらりと逃げ続けている。

  https://mainichi.jp/ch160609528i/%E8%8F%8A%E6%B1%A0%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 最高検、ハンセン病元患者側に謝罪 特別法廷関与
 https://www.nikkei.com/article/DGXLZO14802090R00C17A4CC1000/

 菊池事件で処刑された藤本氏の無実を確信する声は多数存在している。
 http://ootorilaw.com/fujimotocase.html

  https://blog.goo.ne.jp/kurukuru2180/e/4c97e21a75980d9990819747ab492115

  http://www5b.biglobe.ne.jp/~naoko-k/kkchmailmagagine.html

 https://www.kben.jp/681/

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菊池事件訴訟 2月に判決、熊本地裁で結審
 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO52393800Q9A121C1ACYZ00/

ハンセン病患者とされた男性が特別法廷で死刑判決を受けて執行された「菊池事件」を巡り、検察が再審請求しないのは違法だとして元患者6人が国に1人当たり10万円の損害賠償を求めた訴訟は20日、熊本地裁で結審した。判決は来年2月26日。

事件ではハンセン病療養所への入所を通告された男性が1952年、熊本県内の村職員を殺害したとして殺人罪に問われた。同県合志市の療養所「菊池恵楓園」などに設けた「特別法廷」で審理され、無実を訴えたが死刑が言い渡された。

原告側は憲法違反の手続きで審理されたと主張。国は「個別の国民には法律上の利益がない」として、請求を退けるよう求めている。

再審請求は有罪判決を受けた人や遺族のほか、検察にも認められている。男性の遺族が請求をためらっていることから、原告らが検察に再審請求を要望したが、最高検は「事由がない」と回答し、請求しなかった。〔共同〕

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以下のグラフは、2006~2018年の日本の死刑執行者数だが、昨年は、実に15名を殺害している。 世界で死刑執行を行っている国は、下の地図の通り、中国や中東など独裁国家ばかりである。つまり、日本も地球上有数の独裁国家であることを示している。

sikei10.jpg

 日本の場合、法務省は冤罪死刑執行はゼロと真っ赤なウソをついているが、現実には、日本国内だけで、戦後、冤罪が明らかになり救済された死刑囚が4名存在している。
 https://matome.naver.jp/odai/2139580959957165101


 また、処刑されてしまった冤罪死刑囚も飯塚事件・藤本事件だけでなく、はるかにたくさんあるように思える。
https://matome.naver.jp/odai/2144930437464306401

  https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191006-00203211-hbolz-soci

 私は、何度も書いてきたが、今や、世界の先進国で死刑執行を行っている国は、存在しない。自称先進国では、日本と米国だけだ。
 死刑は、人々の心をネガティブで陰惨な世界に誘う愚行である。それは復讐と報復の愚かな精神しか存在しない。
 日本が、死刑制度を放棄するとき、はじめて先進国の精神に達することができるのである。

追記 実は、書いていて初めて気づいたのだが、私の東海アマブログのなかで「志布志事件」を詳しく紹介した項目があったのだが、これも無断削除されていた。 他にも、いくつかの削除があった。これについてブログ運用側から一切の通告がない、完全無断削除である。