リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

障害者制度改革のシンポジウム

2011年09月21日 | Weblog
松本で2011年9月17~18日と開催された在宅ケアを支える診療所・市民ネットワークのしんしゅう大会に参加した。
近くにいるという事で今回は実行委員として一部の企画のお手伝いもさせていただいた。

多職種での雑多なテーマのコンベンションは面白い。
ただ欲張りすぎて同時に並列で進行する企画が多すぎて一部にしか参加できないのは残念だった。
メーリングリストのオフ会に参加したり、佐久病院のかつての同僚に会えたりしてとても楽しかった。

「弱者、障害者への関わり」というのは自分のテーマなので、初日は全国初の障害者差別禁止条例を制定した堂本暁子元千葉県知事らの障害者制度改革のシンポジウムに参加した。堂本暁子さんと東俊裕さんの力強いはなしは実に刺激的だった。

数年前に松川村でおこなわれた、千葉での条例づくりに携わった野沢和弘(産經新聞記者)さんの講演をおききして以来、堂本さんのお話も是非聞いてみたいとおもっていた。

堂本暁子さんはジャーナリストを30年、国会議員を12年、千葉県知事を8年間勤められた。
選挙のときも、県知事になってからも県内を歩いて歩いて歩き回った。条例へむけた集会にはのべ3万人もあつまった。

最近は東日本大震災の被災地におもむき、主体であるはずの個人が置き去りにされている災害復興計画に対して物申している。




以下、内容に関して印象にのこったところをピックアップして列挙する。

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被災地の避難所で苦労していたのは高齢者や障害者である。
「差別や排除、格差などの解消が災害に強い社会をつくる。」と確信した。
減災で重要なのはソフト対策。社会的脆弱性の克服である。

社会の進展とともに障害のあるひとが守れなくなっている・・。

「理不尽な理由で辛く悲しい思いをしている人はいないか。」

しかし、いくら理不尽な想いをしてもそれが差別とおもわないから、聞いても当事者も差別はないと言う。
国が何が差別か社会のルールとして具体的にしめしモノサシをつくることの必要がある。

(セクハラもそう。昔からあったのですがそれがハラスメントと認識されていなかった。湯浅誠さんらの訴えている貧困の問題もそうだろう。「溜め」をどう評価するか。憲法25条の生存権「健康で文化的な最低限度の生活」をどう保障するかということに関わる根源的な問題だ。)

千葉県でいろんな障害の当事者があつまり議論をかさねた。
「障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例」
難産だったが、議会には障害者の当事者や家族が連日詰めかけて成立させた。

「しかし法律を書く事は簡単なのだがプロセスが大事で、法律は政治家、県民、有権者に育てられてできていく。
法律も条例も一人ひとりが参加して自分のものだと思いをもてばもつほど活用される。」
と強調されていた。

子どもも高齢者も障害者も男も女もみんながそれぞれの持ち味を出し合っての地域づくり。
この条例は法的拘束力をもつ国と国との約束である障害者権利条約の批准をめざした一里塚で大きな前進だといえる。

障害者には社会を変える力がある。
・・千葉県のようなムーブメントが全国で巻き起これば社会は変わるとおもった。



「Nothing about us without us」
「私たち抜きに私たちの事をきめるな」

という当事者運動の流れ。

法律の制定でも、日々の支援でも本当に実感して心がけているつもりですが気付かず悪気なく押し付けたり勝手に決めたりしている事は多いだろう。

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内閣府障がい者制度改革推進本部担当室長として行政の中心で活躍されている東俊裕さんのお話も刺激的だった。




「障害」に関して医学モデルから社会モデルへの大転換がもとめられている。

つまり

「本人が悪いから、かわいそうだから、国の余力の範囲でたすけてやれ」
「医学、教育、リハで本人にどうアプローチするか」

というスタンスから

「社会に参加できるような仕組みをつくるのが国の仕事」
「社会をどうかえるか」

というスタンスへの転換だ。
障がい者総合福祉法もこういったスタンスで検討されている。

 →障害者総合福祉法のゆくえ(福岡寿死の講演)

これまでの施策はきわめて「医学モデル」的だった。
しかしこれからは「思いやり」だけではなく「人権」ということを考えなければならない。

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この話しを聞いて考えたのは医師の役割だ。
医師はいまのところ有限な医療福祉資源をトリアージ(レーショニング)する役割を本来的に担わされている。
だれに医療を配分するのか、支援の必要な障害者ということを誰が判定するのか・・。
救急医療の場面のみならず、休業の診断書や、手帳や年金の申請などのときには常に悩む。
どうしてこの人がこれだけの支援をうけているのに、こちらの人は受けられないのだろう・・・。という不条理はいつも感じている。
こういった問題意識から「医学モデルから社会モデルへの転換にあたって医師の役割は?」
いう趣旨の質問させていただいた。

明確な応えは得られなかったが、医師は役割として目の前の個人に寄り添い、医学モデルからのアプローチ(キュア、リハビリ)も考えつつ、個人や地域のエゴ、社会の理不尽、不条理とも闘っていかなければならない重要なポジションにいるのだとあらためて感じた。

できることから少しずつ手をつけ、ジワジワと前進していくしかない。

条例のある街―障害のある人もない人も暮らしやすい時代に
野沢和弘
ぶどう社


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