リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

レタスの村で中国語

2006年08月24日 | Weblog
若月俊一先生がなくなって患者さんともその話題になることが多い。

「私は病院が畳敷きだったころからお世話になっていたものよ。」
「わたしゃ土地っ子だもの、若月先生はうちの店にもよく来てたよ。」

なんて話もでてくる。
患者さんから昔の佐久病院や生活を教えてもらう。

当然、後を引き継ぐ人のことの話にもなる。
将来の病院像の話にもなる。
厳しい話もでてくる。
みんなが病院の動きに注目している。
現リーダーたちの動きにも注目があつまっている。

さて、週一回、診療所にいかせていただいている南佐久南部の高原野菜の村では夏季はアルバイトの人の入り込みで人口が倍増する。
若い日本人の学生や、若者は減ってきており、代わりに研修生の名目で労働に来ている中国からの方が増えている。
朝暗いうちから畑に入り収穫。貴重な労働力だ。
シーズン中、彼らは集団で生活し、自炊する。
評判もよいようだ。

診療所にも蜂に刺された、マムシにかまれた、体調が悪いなどしばしば受診する。

看護師さんの中ですこし中国語をちょっと勉強した人がいるの人がいて助かる。
[痛不痛?」
簡単なやりとりだが、少しでもぜんぜん違う。
自分も大学のとき中国語を第二外国語でかじったが、とっさにでてこなかった。

世話人の通訳の人も来るが、筆談となることが多い。
まとめて保険には入っているようだが、ちょっとしたことは自費だ。

隣の隣の村の診療所の先生は中国に何年も東洋医学の修行にいっているので、中国語を話せる。
「こんな山の中に来て、中国語をつかうことになるとはおもわなかったよ。」
とはその先生の弁。

長野オリンピック前に道路や新幹線をつくるためにやってきた労働者、歓楽街などでもタイからの人も相当多い。
そこからのHIVの広がりも問題となっているようだ。

農家の嫁としてタイやフィリピンから来ている人もいる。
こんな山の中でも国際化は確実にすすんでいる。

診療所はよろず相談所。彼らの文化をしらず、コミュニケーションができなければ深いところでの医療は難しい。

オーストラリアやニュージーランドから来た人の多い北海道、ニセコ(倶知安)の病院は病院をあげて英語の勉強をやっているそうだ。
中国語を勉強しなおさねばなるまいか。

佐久病院でも外国語を話せる職員リストをつくって備えている。
手話も含めたボランティアも登録されているようだ。
国際協力の経験のある職員も結構いるので意外な人が意外な言葉をはなせたりして驚きだ。自分は日本語と、せいぜい英語が少しくらいのものだが・・・・。

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