リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

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北のライオン、反骨の挑戦者

2006年06月22日 | Weblog
 2,006年7月号のドクターズマガジンのトップを飾ったのは"北のライオン"「行木紘一」先生だ。(待ってました。そういえば地域医療の雄にはヒゲが多い?)北海道の地域医療の研究会でお会いしたときはおだやかな先生だなという印象だったのだが、ドクターの肖像の記事を読むと、他のヒーローたちに負けず劣らずの挑戦の人生であった。もちまえの熱しやすく冷めにくい体質から医局解体闘争の中心メンバーとして不条理への抵抗をつづけた行木先生は、東京、北京、名寄と転々とし、厚岸で地域医療の実践をつづけた。(五十嵐先生と同時期?)しかし病院の新築移転の際の町役場との意見の対立(王道パターン)から、町をはなれ弟子屈に自身のクリニックを開業しディケアなどの介護サービス、通所授産施設にいたるまで医療にとどまらない活動を展開し、地域のかかえる問題とがっぷり四つに取り組んでいる。他のヒーローたちに負けずおとらずのかっこよさだ。 「一言で言えば行き当たりばったり。レールを敷いて、目標を定めてそれに向かっていくのではなく、その場その場で直面したことに対して、できるだけ正直に、誠実に、必死に相対するというのが自分の生き方だと思っています。」「医療と福祉の住民のニーズに応えきれていない部分でわたしのできることはすべてやろうと思っています。」と語る先生は今なお挑戦の途上である。10年前に、北海道の地域医療実践者どうしで連携を深め、あとにつづくものを育て継続できるシステムを構築しようと北海道地域医療研究会を立ち上げた。先生がつねづねおっしゃっていたことは「なぜ北海道にひとつのゆきぐにやまと病院(あるいは佐久病院)がなかったのか」という問いであった。いつかはその問いに応えなければと思う。