気ままな旅


自分好みの歩みと共に・・

労わる気にならなかった白内障を患う

2017-07-01 17:53:08 | エッセイ

 明日は台風3号が日本列島を縦断するニュースを報じていた。         考え方として、足元が不安定な悪い日は簡単に外出を控えると決めていたので天気情報は被害をもたさらない限り余り気にしてはいない。ところが、明日の台風の進路だけは気になった。何としても病院に行きたいのだ。何をしに無理してまで・・・?   

 ここ一年程視力に悩まされてきた。                     やっと、原因が判明し眼瞼下垂手術が初秋に決まった。まだまだと言われていた白内障も手術が必要と判明。メガネを作らせられたばかりなのに・・。4つもあるメガネはどれも拡大鏡を使っても字がかすみ、溶けたりと判読ができない。それが、このブログを200%で拡大して印字している始末である。 

 遠近が良く見えないとこんなに不自由するものかと大いに自戒している。    横道にそれるが、私にはこれっと言って自慢するものがないが、強いて言えば眼と歯ぐらいだ。傘寿を超えれば白内障は100%,歯に至っては全てが自前の歯は厳しいと言う。しかし、私は初めて白内障の手術を受け、歯に至っては、まだまだ自前100%だ。亡くなった先輩が「濡れせんべい」を口にしながら羨むやんでいたのが懐かしい。 

 白内障にまつわる門外不出だった嫌な思い出がある。私は還暦を迎える直前の歳で眼は現役並み若々しかったがために、老いてる母の眼の老化に心遣いをする心配りがなかった。老人の眼の白内障の知識がなかったのだ。当時横浜港に世界最大の客船「クインエルザベス二世号」が入港していた。船内観光、昼食会のツアーに行きたいと赴任先に電話が掛かって来たので実家に前泊して連れていった。事故は下船の時に起きた。 岸壁に立ち船体に触れようとして実態は遠く離れていて海に転落した。偶然にも、脚の悪い両親を迎えに車で傍にきて遭遇。運転していた理髪師の方が埠頭の下に吸い込まれると判断し、飛び込んでくれた。その後は船員の応援もあり助かった。その後、白内障手術ををした。

 眼瞼下垂は父が患い苦しんでいた。孫たちには片目が瞑っていたお爺ちゃんだったようでここでも理解が乏しかったと思う。 やはり、同じ歳を迎えて初めて知るのですね。

 早く眼を直してアメリカの大きな孫たちと遊んだ幼い頃の写真を観ながら楽しかった想い出を懐かしみ、穏やかな時間を過ごしたいと思う。9月入学する大学の受講が早くもロンドンであると言う。爺の手を離れてどんどん羽ばたいて行く寂しさを感じてている。 

 少し落ち着きながら、のんびりと、眼を労わりながら、ゆっくりと、当分の間は楽しみたいと思います。

台風よ! あまり荒れなくて、病院に行かせて呉れ! でないと、計画が狂う。

終わり