ホリデイ現役添乗員日記

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ポツダムで原爆を考える

2014-08-10 06:07:47 | デイちゃんドイツ
デイちゃんです

戦争のことはよくわからない
でも、戦争のことは知らなければならない

1945年8月6日午前8時15分広島に原爆投下
1945年8月9日日本が降伏する前に慌ててソ連が満州に侵攻
1945年8月9日午前11時30分長崎に二度目の原爆投下
1945年8月10日日本政府はポツダム宣言を受託する旨アメリカに伝達
1945年8月15日日本降伏

何故、日本に原爆が投下されたのか
何故、二回も原爆を投下する必要があったのか

デイちゃんはポツダムに行くといつも考える

これは駆け引き
これは実験
そう、第二次世界大戦が終わった後、米ソどちらが世界の主導権を握るか
これは競争

ベルリンの近くにポツダムはある
湖に囲まれた風光明媚なところ
そこのツェツィーリエンホフ宮殿でポツダム会談は開かれた
既にドイツは無条件降伏をしていて
ベルリンは壊滅状態
でもツェツィーリエンホフ宮殿は電気も電話もセントラルヒーティングも無事だったので
ポツダム会談の場所に選ばれた


1945年7月17日から8月2日
アメリカはトルーマン
イギリスはチャーチル(途中で選挙に敗れアトリーに交代)
ソ連はスターリン
フランスのシャルルドゴール将軍はソ連の反対により招待されなかった

1945年7月21日会談中のトルーマンの元へ原爆実験成功の知らせが届く
それまでスターリンに押されっぱなしだったトルーマンは人が変わったように強気になる
そして
日本への原爆投下命令がポツダム宣言発表前日の7月25日に下された
日本の返事を待つどころか、日本へポツダム宣言という降伏勧告を出す前の投下命令

これは一体どうしたことか

確かに
日本は、ポツダム宣言に天皇制維持の言及がなかったので初めから無視を決めていた
新聞も笑止千万と書き立て、それがアメリカには拒否と伝えられていた
日本が最後の一人になっても戦う気なら
何百万もの米兵が犠牲になるという恐怖もあっただろう

ソ連も不可侵条約を破って満州に侵攻するとスターリンは予めアメリカへ伝えていた
このままでは日本は戦後ソ連に取られてしまうかもしれない(北方領土は取られたまま)

アメリカとしても原爆の開発費は膨大
その効果を示さないと議会が納得しないし
戦後、原爆だけがソ連に対して有効な外交手段になると議会に説得も出来る

いろいろ理由は考えられるとしても
それでも
日本に天皇制維持を公式に保証していたなら
原爆を落とさずとも日本を降伏させることは出来たはず
広島と長崎という二つの都市を消滅させなくても済んだはず
この重大な決断が
戦後多くの日本人を苦しめた決断が
このツェツィーリエンホフ宮殿の円卓で繰り広げられたのである


去年の秋長崎へ行った時のこと長崎のブログも読んでね
長崎の空は青かった
平和公園は文字どうり平和で

浦上天主堂は近代的に建て直されていた


69年前の8月9日も
あの時のように長崎は青空だったのだろうか


旅は歴史を追いかける一つの手段にもなる
皆様もポツダムへそして長崎へ行ってみませんか

最近難しい仕事ばかり
もう何十年って同じ仕事をしているはずなのに
いつまでたっても添乗が怖いのは何故なんだろう
というわけで世間様が夏休みでウキウキしているところ
あのアサイナーでさえも地味に蝉取りにいそしんいるところ
明日からイギリスへ行ってきます
エジンバラでスカートをはいているおじさんに会えるのだけが楽しみですあとクリームティー

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