マクロ経済そして自然環境

経済的諸問題及び自然環境問題に感想、意見を書く事です。基本はどうしたら住みやすくなるかです。皆さんのご意見歓迎です。

“イデオロギー的“には正反対だと思いますが。

2008-07-12 21:17:36 | 地球環境問題
何もしなかった=サミットを酷評-石原都知事(時事通信) - goo ニュース
イデオロギー的には正反対だと思いますが、地球環境問題に付いての都知事の姿勢は基本的に支持します。その意味でサミットが一体何をやったのか極めて問題だと思います。それをしっかり追求していないマスコミも問題が有ると言わねば成らないでしょう。

このまま中期目標も決めずに推移するなら、全く“最悪の“事態はありうるといわねば成らないでしょう。その責任はF首相に有る事は論を待ちません。

涼しい所でおいしい食事を取りながら、全く一体何を考えているのでしょうか?

いや、考えていれば未だいいのですすが、実は・???

すぐにでも着手出来る物。

1、夜間のネオンの廃止。
2、コンビニの深夜営業の制限
3、一定金額以下の売り上げしかない自動販売機の制限

上記、“影響が有る“とするなら段階を追って追求すべきです。

中期的には、

イ全体としての縮小的成長、(無駄なエネルギー、産業部門の縮小)と
ロ一人の労働時間の短縮による完全雇用、
ハ競争力過大な産業部門からの適正な徴税による社会保障の充実による必要的労働時間の短縮等

国の“優秀な“官僚の皆さんに“期待します“。
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景気政策史-14  1837-39年恐慌とその対処-2

2008-07-12 20:15:08 | 景気政策史

1837年の下半期にイギリスに於ける恐慌は底を付いた。その後イギリスに於いては1838年はあきらかな好転を示したが、1838年を通じて一般的取引はやや不活発であった。その中、1838年2月にはイングランド銀行割引率は5%から4%に引き下げられ、金属準備は約950万ポンドになっていた。1838年末に960万ポンドあった金属準備は1839年になってからその年の農業の不作から小麦の輸入が増加すると伴に減り始め、又、アメリカ証券の購入や、1838年末に起きたフランスとベルギーでの銀行破産等にもより流出が起きた。(ホートレー)

その間、バンクレートは5月16日に4%→5%
           6月20日に5%→51/2%に引き上げられた。

(尚、前稿で金利引き上げが対外金利均衡を考慮した可能性について述べましたが、当時の交通等の事情では、電信については前にも述べましたが、英欧間でも1843年にロスチャイルド家で使われたのが初めてとされ、又運輸について言えば、19世紀初頭は帆船が主流であり、大西洋横断“汽船“は1838年4月が初めてとされその定期航路は1840年にイギリスの船会社が始めたとされ、帆船の場合には大西洋の往復には恐らくは数ヶ月を要したと見られ、(世界海運史:黒田英雄)果たして
そのような状態で対米金利が考慮されたかは些か疑問の余地があります。

又流出が続く中、7月にはパリで200万ポンド、ハンブルグで90万ポンドのクレジットを得たとされます。

又更にバンクレートを51/2%から6%に引き上げますが金属準備は9月には240万ポンドになりました。

又、手形満期の限度をそれまでの95日から60日としました。(ホートレー)

尚、参考までにフランス銀行は1820.2~1847.1までその利率は変更がありませんでした。(ツウーク)
これについてホートレーはイングランド銀行により割引政策が真剣に頼りにされたのはこれが始めてとし、フイーヴイヤーは“1839年の恐慌は異常な商業上の破綻や銀行業上の破綻をいっさいもたらさなかった“としています。

又イングランド銀行理事のノーマン(後述する“通貨論争“では“通貨主義者“という分類がされていますが)は、“金属流出時に証券の販売により市場から貨幣を取り去るべきであったと後日述べています。  

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