先日(9/22)「地元民からの反論」(観光地奈良の勝ち残り戦略 108)という記事を書いたところ、2日間で5,000人以上の方からアクセスをいただき、恐縮している。Facebookにも、数え切れないほどのコメントをいただいた。今日は故岡潔氏の「奈良の良さ」という文章を紹介する。NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」のYさんからご教示いただいた。素晴らしい文章なので、講演などでよく紹介させていただいている。
※写真は、すべて奈良公園。2008.11.15撮影
岡氏は紀見村(現・和歌山県橋本市)のご出身だ。《数学者。京都大学理学部数学科を卒業 (1925) 。母校および広島文理科大学助教授を経て,奈良女子大学教授となる (49) 。同大学名誉教授。理学博士。数学に関する初期の研究は,有理関数についてのものであったが,1929年から4年間パリへ遊学し,その後多変数解析関数論の研究に着手,「岡の原理」「はり合せの原理」を立てて,そこで未解決であったクーザンの問題第1,第2,近似問題,レビーの問題を決定的に解決し,世界の数学界に大きく貢献した》(『ブリタニカ国際大百科事典』)という方である。では、全文を紹介する。
古い奈良の良さが次々と失われてゆくという状態に対して、「これでは困る」ということはいいやすいが、「それならこうしたら・・・」とはなかなかいいにくい。しかしそれにこだわらずに感じたままを話すと、奈良の良さといってもわからない人が政治をやっているといえる。
だいたい、ことばを聞いてわかるというが、それで内容までちゃんとわかるということはない。たとえば秋の日射しと言っても、秋の日の射し方ということではないが、それは自分が本当に秋の日射しの深さがわかるようにならなければ、ことばでいってもわかりはしない。
してみると本当にわかるのは簡単なことではない。私の好みをいえば奈良の築地塀のこわれた所など、世の移り変わりに超然としているようなのがいいと思うが、こういう奈良の良さというのも秋の日射しというのと同じで、わかる人にしかわからないだろう。
秋の日射しがわかるといったわかり方はだんだんと少なくなって来ているのではないだろうか。金の時代、銀の時代という考え方があるが、明治からこちらの日本文化をみると、漱石の全盛時代は金の時代で、その弟子の寺田先生あたりは銀の時代だった。そうして私たちの世代はもう銅の時代で、日没前という印象はぬぐえない。
こうしてだんだんと秋の日射しもわからなくなって来ている。特に、あまり強くないニュアンスというものがわからなくなっている。奈良に限らず、本当の良さがわからなくなって、形式的に大切にしているだけだという気がする。そうしたところで国が貧乏するわけでもないから、軽くみているのではないだろうか。
しかし、これはたとえば皮膚が傷ついて損なわれるようなもので、心臓や肺のような内臓部でないから構わないように見えるけれども、皮膚から細菌がいくらでもはいり、ついには内臓を侵すようになる。映画や小説を通じて悪質の趣味が侵入すると人の心は腐敗し、それは死に直結する。
奈良の良いものを保存したいが、本当に良いものはちょっとしたところ、何でもないところにある。これを守るには良いとする人に政治をやってもらわねばならないが、それには、良いもののわかる次の時代の人を育てるのが一番近道で、また確かな方法だと思う。
そこで現状ではそういう世代にそっくりそのまま残してやるのが一番大切だということになる。いまああすれば良い、こうすれば良いというのは危険で、良いものがわかっていないのだからいじり回すのはむしろ破壊に通じ、だんだん悪いほうへ行ってしまう。破壊がひどくならないうちに良いものがわかる人たちが出てきてやってほしいと思う。
奈良は日本文化の発祥地で、民族としてインフェリオリティ・コンプレックスを持たない時代の文化が栄えた所だけに、本当に良い所だと思う。だからこういう所を保存しておくのは良い趣味をつちかい、新しい文化を興す元になるのではないだろうか。観光観光というけれども、もちろん見に来たい人は来ればよいが、それよりもこの町を中心に日本らしい文化を興したいものだ。そんな夢を私は持ち続けている。
これは素晴らしいお話である。とりわけ
●奈良の築地塀のこわれた所など、世の移り変わりに超然としているようなのがいいと思うが、こういう奈良の良さというのも秋の日射しというのと同じで、わかる人にしかわからないだろう。
●奈良の良いものを保存したいが、本当に良いものはちょっとしたところ、何でもないところにある。
●観光観光というけれども、もちろん見に来たい人は来ればよいが、それよりもこの町を中心に日本らしい文化を興したいものだ。そんな夢を私は持ち続けている。
というところには深く頷いた。
奈良の観光振興はもちろん大切なことではあるが、「奈良は、大仏を拝んで鹿にせんべいをあげて40分の観光地」などと揶揄されると、そんな観光客には来てほしくないと思う。おそらく東大寺も望んではいまい。
奈良は安物の観光地をめざすべきではない。「修学旅行生が減って困っている」というが、おそらく奈良の良さは子どもには分かるまい。奈良に来るなら、きちんと事前学習してから来てほしい。
志賀直哉は「奈良は名画の残欠(ざんけつ=切れ端)のように美しい」と書いた。岡潔は「奈良の築地塀のこわれた所など、世の移り変わりに超然としているようなのがいい」とする。このような「奈良の良さ」の分かる人にこそ、奈良に来ていただきたいものだ。
※写真は、すべて奈良公園。2008.11.15撮影
岡氏は紀見村(現・和歌山県橋本市)のご出身だ。《数学者。京都大学理学部数学科を卒業 (1925) 。母校および広島文理科大学助教授を経て,奈良女子大学教授となる (49) 。同大学名誉教授。理学博士。数学に関する初期の研究は,有理関数についてのものであったが,1929年から4年間パリへ遊学し,その後多変数解析関数論の研究に着手,「岡の原理」「はり合せの原理」を立てて,そこで未解決であったクーザンの問題第1,第2,近似問題,レビーの問題を決定的に解決し,世界の数学界に大きく貢献した》(『ブリタニカ国際大百科事典』)という方である。では、全文を紹介する。
春宵十話 (角川ソフィア文庫) | |
岡 潔 | |
KADOKAWA/角川学芸出版 |
古い奈良の良さが次々と失われてゆくという状態に対して、「これでは困る」ということはいいやすいが、「それならこうしたら・・・」とはなかなかいいにくい。しかしそれにこだわらずに感じたままを話すと、奈良の良さといってもわからない人が政治をやっているといえる。
だいたい、ことばを聞いてわかるというが、それで内容までちゃんとわかるということはない。たとえば秋の日射しと言っても、秋の日の射し方ということではないが、それは自分が本当に秋の日射しの深さがわかるようにならなければ、ことばでいってもわかりはしない。
してみると本当にわかるのは簡単なことではない。私の好みをいえば奈良の築地塀のこわれた所など、世の移り変わりに超然としているようなのがいいと思うが、こういう奈良の良さというのも秋の日射しというのと同じで、わかる人にしかわからないだろう。
秋の日射しがわかるといったわかり方はだんだんと少なくなって来ているのではないだろうか。金の時代、銀の時代という考え方があるが、明治からこちらの日本文化をみると、漱石の全盛時代は金の時代で、その弟子の寺田先生あたりは銀の時代だった。そうして私たちの世代はもう銅の時代で、日没前という印象はぬぐえない。
こうしてだんだんと秋の日射しもわからなくなって来ている。特に、あまり強くないニュアンスというものがわからなくなっている。奈良に限らず、本当の良さがわからなくなって、形式的に大切にしているだけだという気がする。そうしたところで国が貧乏するわけでもないから、軽くみているのではないだろうか。
しかし、これはたとえば皮膚が傷ついて損なわれるようなもので、心臓や肺のような内臓部でないから構わないように見えるけれども、皮膚から細菌がいくらでもはいり、ついには内臓を侵すようになる。映画や小説を通じて悪質の趣味が侵入すると人の心は腐敗し、それは死に直結する。
奈良の良いものを保存したいが、本当に良いものはちょっとしたところ、何でもないところにある。これを守るには良いとする人に政治をやってもらわねばならないが、それには、良いもののわかる次の時代の人を育てるのが一番近道で、また確かな方法だと思う。
そこで現状ではそういう世代にそっくりそのまま残してやるのが一番大切だということになる。いまああすれば良い、こうすれば良いというのは危険で、良いものがわかっていないのだからいじり回すのはむしろ破壊に通じ、だんだん悪いほうへ行ってしまう。破壊がひどくならないうちに良いものがわかる人たちが出てきてやってほしいと思う。
奈良は日本文化の発祥地で、民族としてインフェリオリティ・コンプレックスを持たない時代の文化が栄えた所だけに、本当に良い所だと思う。だからこういう所を保存しておくのは良い趣味をつちかい、新しい文化を興す元になるのではないだろうか。観光観光というけれども、もちろん見に来たい人は来ればよいが、それよりもこの町を中心に日本らしい文化を興したいものだ。そんな夢を私は持ち続けている。
これは素晴らしいお話である。とりわけ
●奈良の築地塀のこわれた所など、世の移り変わりに超然としているようなのがいいと思うが、こういう奈良の良さというのも秋の日射しというのと同じで、わかる人にしかわからないだろう。
●奈良の良いものを保存したいが、本当に良いものはちょっとしたところ、何でもないところにある。
●観光観光というけれども、もちろん見に来たい人は来ればよいが、それよりもこの町を中心に日本らしい文化を興したいものだ。そんな夢を私は持ち続けている。
というところには深く頷いた。
奈良の観光振興はもちろん大切なことではあるが、「奈良は、大仏を拝んで鹿にせんべいをあげて40分の観光地」などと揶揄されると、そんな観光客には来てほしくないと思う。おそらく東大寺も望んではいまい。
奈良は安物の観光地をめざすべきではない。「修学旅行生が減って困っている」というが、おそらく奈良の良さは子どもには分かるまい。奈良に来るなら、きちんと事前学習してから来てほしい。
志賀直哉は「奈良は名画の残欠(ざんけつ=切れ端)のように美しい」と書いた。岡潔は「奈良の築地塀のこわれた所など、世の移り変わりに超然としているようなのがいい」とする。このような「奈良の良さ」の分かる人にこそ、奈良に来ていただきたいものだ。
自分の場合は、小学校での修学旅行以来、ずっと一つのスナップショットが頭の中にありました。深い緑のなかからにゅっと突き出た大仏殿です。引っ越してきてから、地図で奈良坂からの眺めと推測し、確かめに行き、記憶の風景と再会を果たしました。二十数年が経っていました。修学旅行では、京都からの日帰りのお定まりの観光でしたが、それでも、人によっては、子どもであっても、心に深く刻まれる「なんでもない風景」を持ち続けているのが奈良の力だと思います。それで人生だって変るのです。
> うちだって、二人とも、それぞれ修学旅行での印象が
> あったからこそ奈良に来たという要素もあるのです。
これは失礼!しかし世間には、松永さんや寮さんのような感性の持ち主は、圧倒的に少ないのではないでしょうか。奈良の社寺で修学旅行生が詰まらなさそうにしている姿を見て、いつもうんざりしています。
> 人によっては、子どもであっても、心に深く刻まれる「なんでもない風景」
> を持ち続けているのが奈良の力だと思います。それで人生だって変るのです。
平城遷都1300年祭で、たまたま中学生を案内することになって、大いに落胆したことがあります。
奈良に来る修学旅行生には、きちんと事前学習をしてから来る学校と、してこない学校があります。してこない学校の生徒は「早くUSJに行きたい」と、そればかり考えています。その証拠に、興福寺の築地塀にはこれら生徒たちの落書きが随所にあります。
奈良に来る修学旅行生は、すべからく事前学習を徹底し、その値打ちを知ってからて来てほしいと願うばかりです。
すぐに思いつくモデルとしては、以下の2冊があります。
どうでしょう。こんな本を奈良でも作ってみませんか?
▼『新・沖縄修学旅行』高文研
https://www.amazon.co.jp/dp/4874985297/harmonia-22
ここには「内地人の思いこむ/押しつける沖縄」ではなく、「沖縄が見てもらいたい沖縄」が、これでもかというほど、誤解の余地なく書かれています。
▼『もっと知りたいしまねの歴史』島根県教委
https://www.amazon.co.jp/dp/4864560420/harmonia-22
小学生の副教材なのですが、島根の歴史の価値と魅力がオールカラー64ページにみごとに凝縮されています。各項目には、実際のフィールドへの誘導も。
鉄田さんの出身地の者です。
私が中学校1年生の時 講演にお見えになりました。
先生がお話しなさったお言葉をおぼろげながらに覚えています。
「ここは大変景色の良いとことだと思います。
こういうところで勉強できる皆さんは幸せだと思います。
皆さんは 尊敬という言葉をしっていますか?」
で始まったと思います。今でもはっきりと覚えています。
何年かまえに 春宵十話の中で私たちの学校を名指しで書かれていたことにショックを受けて それからは岡潔先生を尊敬することができなくなりました。
なるほど、私たちの町は保守的なのどかな環境の中でのんびりが身についているのでしょうが、それではだめなのでしょうか?
> 修学旅行生に、少しでも奈良の本質に触れてもらおうと思うなら、たぶん、
> 『決定版 奈良県修学旅行ガイド』とでもいうような本が必要なのです。
この沖縄と島根のガイド本は、よくできていますね。これは奈良でも必要でしょう。昨年、新潟のある高校に奈良のプレゼンで訪ねたことがあります。私の話は初めて聞くことばかりのようで、先生方は目を白黒させていました。そのとき、こんな本があれば良いなぁと思いました。
> ブログに添付の写真が素晴らしいですね・・・
恐縮です。8年前の写真ですが、現役時代のその頃の方が、よく写真を撮り歩いていました。
> 春宵十話の中で私たちの学校を名指しで書かれていたことにショック
> を受けてそれからは岡潔先生を尊敬することができなくなりました。
私は九度山中学の出身です。玄関前に「ここは大変景色の良いところ…」という長い文章が書かれた大きな額がかかっていました。
『春宵十話』に九度山中学は出てこなかったと思います。岡潔氏の出身中学であるK川中学は出てきますが、悪口は出てこないと記憶していますが…。
顔と動物性 P94の10行目から読んでみてください。私たちのことだと思います
> P94の10行目から読んでみてください。
おお、ホントですね、角川ソフィア文庫版にちゃんと出ていました。しかしまあ、当たっています(笑)。良くも悪くも、田舎ですから。
動物性(獣性=人間にとって害悪な性格)はあまり入っていない、と書いてくれているのは、まぁ喜ぶべきでは、と楽観的に考えています。
令和6年4月に、「岡潔数学体験館」が、オープンするのに、自然数の[1]のキューレーション的な催しがあるといいなぁ~