先日は「今井町のまちづくり」(奈良新聞「明風清音」)のタイトルで、『交流まちづくり』(学芸出版社刊)という書籍から橿原市今井町の事例を抜粋し、紹介した。今井町町並み保存会は44年もの歳月をかけて、歴史的町並みの保存や地域おこしに取り組んで来られた。
※トップ写真は、若林稔さんから拝借した
その中心人物が若林稔(梅香)さんであることに、異論の余地はないだろう。若林さんは近畿日本鉄道在職中から、町並みの保存や地域おこしに取り組んで来られた。強い信念と独自の人生観を持つ若林さんは、時には対立する勢力と丁々発止の議論を交わされた。
そんな若林さんは最近、保存会会長を退かれ(相談役に就任)、お得意の剪定、木工、農業の技術を次の世代に引き継ぐ活動に従事されている。丁々発止の町並み保存から、後継者づくり、住みよい環境づくりへ。その思いをご自身のFacebookに書いておられたので、以下に抜粋する。
最近私のFacebookで、継承(剪定、木工、自然農法)というのが多くなっていますね。今井町で生まれ育ち、この年(81歳)になるまで、いろんなことを実体験から学んできましたが、半世紀前ごろから子供たちの行動が変わり、外で遊ぶ姿が異常に少なくなってきていることに気づき始めました。
また、庭の緑がなくなっているお家が多くなり、耕作放棄地が広がり、鉄筋コンクリート造りのお家も多くなってきました。
戦後の経済優先の突っ走りが国を豊かにしていると錯覚して緑を失い、食料自給率を失いました。薬品漬けで新建材のお家が「虫が入ってこない、空調がよく効く」といって、密封家屋(魔法瓶のような家)を喜ぶ人が多くなり、汗を流すことを喜べる人が少なくなっているのに気がつきました。
今井町の町家にはこれらの条件がいい状態でたくさん残っているからと、町家の保存活動に走りましたが、対立する人をたくさん作っていくだけだった、ということもわかってきました。
これまで趣味でやってきていた木工技術を吉野材や国産材活用に展開し、若い頃からやってきた盆栽や作庭技術を活用して荒れている庭を仲間たちと剪定・整備し、耕作放棄地に米を植え、その田畑で食事しながら、農作業をする若者たちと自前の米や野菜のおいしさを確認できる日が多くなってきました。
作業した家から新建材やプラスチックが一つずつ消えて吉野材に代わり、庭が蘇って雨の日に縁側で1碗のお茶を飲みたくなる余裕が生まれ、家の周囲の温度は打ち水で確実に1~2度下がるなど、住環境が良くなっていることが理解されてきました。
町並み保存についてはカドの立つ会話をしなければいけなかったことで、対立ばかりしてきた自分が今では恥ずかしい気持ちです。対立しなくても「感謝されながら地球を守っていることに関われる方法がこれだったんだ」と悟り、良い気分の毎日を過ごせています。
私の周りはまだ小さな輪ですが、確実に次世代に贈れる「環境づくり」の輪ができ始めています。高齢の私ができる小さな動きが、少しでも環境改善のお役に立てれば…。ちょっと時間が出来たので思いのままに書いてみました。
若林さんはご自宅の近所の古民家を購入され、長い年月をかけ手仕事で改築されて「阿伽陀屋(あかだや)若林亭」という活動拠点をオープンされた。これはもう、お見事と申すしかない。町並み保存会は、見事に次の世代に引き継がれたが、造園・剪定、木工、農業の技術は、後継者づくりの真っ最中である。
今、若林さんのFacebookには毎日のように剪定や草刈りの様子がアップされているが、少し気になることがある。若林さんのことなので、全て「無償ボランティア」でされていると思うが、果たしてそれで長続きするのだろうか。労働力は無償としても、車や草刈り機の燃料代、機器の取り替え・買い換え費用、消耗品費など、目に見えないところで費用が発生している。これをすべて無償でされるのは、あまりにもお気の毒に思えるのだが…。
閑話休題。若林さんは京都から漆の専門家を招聘して漆教室を開いたり、地域づくりの養成講座(地域プランナー・コーディネータ養成塾)などを開いて人材養成に傾注されている。ご長命家系の若林家のことなので、100歳まで残された歳月は約20年。若林さん、それまでご健康を保たれ、この新たな分野で人づくりをお願いいたします!
※トップ写真は、若林稔さんから拝借した
その中心人物が若林稔(梅香)さんであることに、異論の余地はないだろう。若林さんは近畿日本鉄道在職中から、町並みの保存や地域おこしに取り組んで来られた。強い信念と独自の人生観を持つ若林さんは、時には対立する勢力と丁々発止の議論を交わされた。
そんな若林さんは最近、保存会会長を退かれ(相談役に就任)、お得意の剪定、木工、農業の技術を次の世代に引き継ぐ活動に従事されている。丁々発止の町並み保存から、後継者づくり、住みよい環境づくりへ。その思いをご自身のFacebookに書いておられたので、以下に抜粋する。
最近私のFacebookで、継承(剪定、木工、自然農法)というのが多くなっていますね。今井町で生まれ育ち、この年(81歳)になるまで、いろんなことを実体験から学んできましたが、半世紀前ごろから子供たちの行動が変わり、外で遊ぶ姿が異常に少なくなってきていることに気づき始めました。
また、庭の緑がなくなっているお家が多くなり、耕作放棄地が広がり、鉄筋コンクリート造りのお家も多くなってきました。
戦後の経済優先の突っ走りが国を豊かにしていると錯覚して緑を失い、食料自給率を失いました。薬品漬けで新建材のお家が「虫が入ってこない、空調がよく効く」といって、密封家屋(魔法瓶のような家)を喜ぶ人が多くなり、汗を流すことを喜べる人が少なくなっているのに気がつきました。
今井町の町家にはこれらの条件がいい状態でたくさん残っているからと、町家の保存活動に走りましたが、対立する人をたくさん作っていくだけだった、ということもわかってきました。
これまで趣味でやってきていた木工技術を吉野材や国産材活用に展開し、若い頃からやってきた盆栽や作庭技術を活用して荒れている庭を仲間たちと剪定・整備し、耕作放棄地に米を植え、その田畑で食事しながら、農作業をする若者たちと自前の米や野菜のおいしさを確認できる日が多くなってきました。
作業した家から新建材やプラスチックが一つずつ消えて吉野材に代わり、庭が蘇って雨の日に縁側で1碗のお茶を飲みたくなる余裕が生まれ、家の周囲の温度は打ち水で確実に1~2度下がるなど、住環境が良くなっていることが理解されてきました。
町並み保存についてはカドの立つ会話をしなければいけなかったことで、対立ばかりしてきた自分が今では恥ずかしい気持ちです。対立しなくても「感謝されながら地球を守っていることに関われる方法がこれだったんだ」と悟り、良い気分の毎日を過ごせています。
私の周りはまだ小さな輪ですが、確実に次世代に贈れる「環境づくり」の輪ができ始めています。高齢の私ができる小さな動きが、少しでも環境改善のお役に立てれば…。ちょっと時間が出来たので思いのままに書いてみました。
若林さんはご自宅の近所の古民家を購入され、長い年月をかけ手仕事で改築されて「阿伽陀屋(あかだや)若林亭」という活動拠点をオープンされた。これはもう、お見事と申すしかない。町並み保存会は、見事に次の世代に引き継がれたが、造園・剪定、木工、農業の技術は、後継者づくりの真っ最中である。
今、若林さんのFacebookには毎日のように剪定や草刈りの様子がアップされているが、少し気になることがある。若林さんのことなので、全て「無償ボランティア」でされていると思うが、果たしてそれで長続きするのだろうか。労働力は無償としても、車や草刈り機の燃料代、機器の取り替え・買い換え費用、消耗品費など、目に見えないところで費用が発生している。これをすべて無償でされるのは、あまりにもお気の毒に思えるのだが…。
閑話休題。若林さんは京都から漆の専門家を招聘して漆教室を開いたり、地域づくりの養成講座(地域プランナー・コーディネータ養成塾)などを開いて人材養成に傾注されている。ご長命家系の若林家のことなので、100歳まで残された歳月は約20年。若林さん、それまでご健康を保たれ、この新たな分野で人づくりをお願いいたします!