奈良新聞「明風清音」欄に寄稿している(4人の執筆者で持ち回り)。私は原則として第3水曜日の担当だが、水曜日が5回ある場合は、第5水曜日にも書かせていただいている。そんな事情で10月31日(水)付で掲載されたのが《脱「ついでの観光地」》だ。
※トップ写真は観光客でにぎわう「おかげ横丁」(伊勢内宮前)。7月15日(日)に撮影
奈良県は宿泊者数も観光客1人あたりの消費額も少なく、滞在時間も短い。しかし日帰り観光客は、結構来てくれている。その理由が分かった。奈良は最終目的地ではなく「ついでに立ち寄る観光地」とみなされているのである。お伊勢参りをして、それに気づいたのだ。観光の仕事に関わっていて今まで気づかなかったとは、うかつだった。
そうなると戦略が変わってくる。宿泊施設を増やすとか、土産物を充実するとか、そんなことではなく「泊っても行きたい最終目的地」とみなされるための観光資源の発掘とそのPRが先決なのである。少し方向性が見えてきた。この切り口で、来年は戦略を立て直すことにしたい。では最後に、記事全文を紹介する。
※12月30日追記 この記事をFacebookにアップしたところ、以下のような貴重なコメントをいただきましたので紹介させていただきます。
1.若林梅香さん
伊勢神宮にも衰退期はありました。近鉄を中心とした奥志摩開発全盛時です。人は奥志摩の海岸美と海産物の食を求めて伊勢方面へはたくさんの人が流れました、けれど、伊勢神宮は寂れていく一方でした。
これを憂えた赤福の先代社長は3億円を寄付しておかげ横丁を確立し、お伊勢さんと「おかげ」という関係を人の心に再度植え付けを始めました 私は伊勢神宮の根本にあるのは1度だけ見に行ったではなく「何度もお参りに行きたい聖地」感を取り戻したからだと思っています。
当時近鉄が奥志摩の大繁盛の陰で伊勢神宮の衰退を調査によって知り、愕然として遷都祭(式年遷宮?)を契機に佐伯氏が大きく関わってお伊勢さん復興に再度力を入れ直されたのを目の当たりにしてきました。信仰の地は何度でも回を重ねるほど有難さを増します。観光地は1度見に行ったらなかなか再度は訪れてはくれません。このあたりのことも視野から外れてしまっている根本を正すことが繁盛のベースにあることを忘れて観光の言葉に浮かれないことが大切かと思います。
2.高田宏さん
世界遺産の春日山原始林、ここ数年海外からの「泊りがけで」のハイキング・サイクリング客が増えています。素晴らしい神社仏閣に加え、南部もふくめたソフトアドベンチャー(ハイキング・サイクリング等) のPRもありかと思います。「日本文化+自然」、海外(特に欧米豪) 向けに日本有数の観光地といえるのではないでしょうか。
3.岩本綾野さん
奈良にはまだ知られていない魅力が沢山あります。ただ、保守的(あまりよそ者に土足で入ってきてもらいたくないという意識、全くわからなくはないのですが)なのと、奈良の県民性なのでしょうが控えめで(それも美徳なのですが)PR不足もあるような。
大阪のような商売気丸出しの派手さはなく、京都のような華やかで格式高過ぎて近寄りがたいこともなく、その中間位で歴史的な社寺仏閣と慈悲深い仏教の教えが息づき、何より大和の国の発祥の地なので、もっとPRできるはず。JR西は万葉まほろば線に新車投入したし、今後もっと力を入れてもらえるよう鉄道会社との連携も必要かと。まだ時間帯によりますが、1時間に1本くらいしか走ってないですもの。畝傍駅はエレベーターもないですし。
その昔、私の亡き祖父が近鉄に勤めていた時に桔梗が丘の開発に携わっていた頃、八木にも近鉄はそのような開発を持ちかけたけれど橿原市に断られたので、近鉄はあまり力を入れなかったと聞いてます。新しい住人が流入することに地域に拒否感があったのでしょう。だから近鉄も、伊勢や鳥羽などに積極的に特急を導入したり、三重県との繋がりを深めた経緯もあります。観光としての視点ではなく、信仰としての聖地に、という視点は若林さんと私も同感です。
脱「ついでの観光地」
本年7月、旧友とお伊勢参りをした。最高気温が35℃を軽く超える猛暑日だったが、神宮の森にさえぎられて境内はさほど暑くは感じられない。参拝者の数は多かったが、境内が広いので混雑感もない。関空が冠水するより前だったが、外国人観光客の姿は、ほとんど見当たらなかった。
驚いたのは参拝者が、境内にある小さなお社(別宮や所管社など)にも、ちゃんと行列を作って厳かにお参りしていたことである。参道の細いところでは1列縦隊で並んでいる。お社に鈴が3つあれば、そこに3人が並び一斉に鈴を鳴らし、かしわ手を打つ。奈良の社寺の光景とは、あまりにも違っていた。
帰りの電車に揺られながら考えた。この違いは何なのだろう。思い当たったのは「遠路はるばる伊勢神宮に来る参拝者は、お参りするのが目的で来る。しかし奈良の社寺へは、大阪や京都に来た『ついで』に立ち寄っているのではないか」。
すると全ての疑問が一挙に氷解した。数学の図形問題で、補助線を1本引くと問題があっというまに解けることがある。ちょうどあんな感じだ。奈良(奈良市も奈良県も)は最終目的地(デスティネーション)になっていないのだ。オプショナルツアー的に「時間があればついでに立ち寄る観光地」と見なされている。だから宿泊客数も滞在時間も1人あたり旅行消費額も、伸び悩んでいるのだ。
首都圏や東海圏で旅行社の窓口を訪ねると、パッケージツアーのパンフレットで「奈良」単独はなく、軒並み「京都・奈良」で、しかも奈良の文字は一回り小さい。「奈良は『小京都』と違うぞ」と言ってやりたくなる。
奈良は「宿泊客数を増やすために宿泊施設を増やす」とか「旅行消費額を増やすために新しい土産物を開発する」という対症療法ではなく「最終目的地として選んでもらうためにはどうすれば良いのか」を考えなければならない。つまり最終目的地たるにふさわしい魅力づくりや演出・PRが必要なのである。それは自治体だけではなく、民間団体も住民も、それぞれの立場で考えなければならない。
南都経済研究所は「週末の旅行先に奈良県を選ばない理由」を大阪、京都、兵庫の3府県民に聞いた(『ナント経済月報』平成30年1月号)。上位に入ったのは(複数回答)「訪れたいと思うような観光地・観光施設が少ない」31%、「過去に訪れたことがある」29%、「観光地として新鮮味がない」26%、「なんとなく(特に理由はない)」18%と、観光地としてのイメージが確立されていないことがわかる。
先日、東京のある旅行社から「都内で奈良に関する講話をしてもらえませんか。ある程度知識を得てから現地を訪ねると、奈良の奥深い魅力がよく伝わると思いますので」、これは有り難いお申し出である。
本年9月28日、南都銀行はJR西日本と「地方創生に関する連携協定」を締結した(本紙9月29日付既報)。JRは万葉まほろば線(桜井線)や和歌山線など、中南和の歴史ロマンあふれる地域を走っているので、新たな観光開発が可能になる。ここは知恵の出しどころだ。奈良は県下各地の魅力を発掘・発信し、脱「ついでの観光地」をめざしましょう!(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)
※トップ写真は観光客でにぎわう「おかげ横丁」(伊勢内宮前)。7月15日(日)に撮影
奈良県は宿泊者数も観光客1人あたりの消費額も少なく、滞在時間も短い。しかし日帰り観光客は、結構来てくれている。その理由が分かった。奈良は最終目的地ではなく「ついでに立ち寄る観光地」とみなされているのである。お伊勢参りをして、それに気づいたのだ。観光の仕事に関わっていて今まで気づかなかったとは、うかつだった。
そうなると戦略が変わってくる。宿泊施設を増やすとか、土産物を充実するとか、そんなことではなく「泊っても行きたい最終目的地」とみなされるための観光資源の発掘とそのPRが先決なのである。少し方向性が見えてきた。この切り口で、来年は戦略を立て直すことにしたい。では最後に、記事全文を紹介する。
※12月30日追記 この記事をFacebookにアップしたところ、以下のような貴重なコメントをいただきましたので紹介させていただきます。
1.若林梅香さん
伊勢神宮にも衰退期はありました。近鉄を中心とした奥志摩開発全盛時です。人は奥志摩の海岸美と海産物の食を求めて伊勢方面へはたくさんの人が流れました、けれど、伊勢神宮は寂れていく一方でした。
これを憂えた赤福の先代社長は3億円を寄付しておかげ横丁を確立し、お伊勢さんと「おかげ」という関係を人の心に再度植え付けを始めました 私は伊勢神宮の根本にあるのは1度だけ見に行ったではなく「何度もお参りに行きたい聖地」感を取り戻したからだと思っています。
当時近鉄が奥志摩の大繁盛の陰で伊勢神宮の衰退を調査によって知り、愕然として遷都祭(式年遷宮?)を契機に佐伯氏が大きく関わってお伊勢さん復興に再度力を入れ直されたのを目の当たりにしてきました。信仰の地は何度でも回を重ねるほど有難さを増します。観光地は1度見に行ったらなかなか再度は訪れてはくれません。このあたりのことも視野から外れてしまっている根本を正すことが繁盛のベースにあることを忘れて観光の言葉に浮かれないことが大切かと思います。
2.高田宏さん
世界遺産の春日山原始林、ここ数年海外からの「泊りがけで」のハイキング・サイクリング客が増えています。素晴らしい神社仏閣に加え、南部もふくめたソフトアドベンチャー(ハイキング・サイクリング等) のPRもありかと思います。「日本文化+自然」、海外(特に欧米豪) 向けに日本有数の観光地といえるのではないでしょうか。
3.岩本綾野さん
奈良にはまだ知られていない魅力が沢山あります。ただ、保守的(あまりよそ者に土足で入ってきてもらいたくないという意識、全くわからなくはないのですが)なのと、奈良の県民性なのでしょうが控えめで(それも美徳なのですが)PR不足もあるような。
大阪のような商売気丸出しの派手さはなく、京都のような華やかで格式高過ぎて近寄りがたいこともなく、その中間位で歴史的な社寺仏閣と慈悲深い仏教の教えが息づき、何より大和の国の発祥の地なので、もっとPRできるはず。JR西は万葉まほろば線に新車投入したし、今後もっと力を入れてもらえるよう鉄道会社との連携も必要かと。まだ時間帯によりますが、1時間に1本くらいしか走ってないですもの。畝傍駅はエレベーターもないですし。
その昔、私の亡き祖父が近鉄に勤めていた時に桔梗が丘の開発に携わっていた頃、八木にも近鉄はそのような開発を持ちかけたけれど橿原市に断られたので、近鉄はあまり力を入れなかったと聞いてます。新しい住人が流入することに地域に拒否感があったのでしょう。だから近鉄も、伊勢や鳥羽などに積極的に特急を導入したり、三重県との繋がりを深めた経緯もあります。観光としての視点ではなく、信仰としての聖地に、という視点は若林さんと私も同感です。
脱「ついでの観光地」
本年7月、旧友とお伊勢参りをした。最高気温が35℃を軽く超える猛暑日だったが、神宮の森にさえぎられて境内はさほど暑くは感じられない。参拝者の数は多かったが、境内が広いので混雑感もない。関空が冠水するより前だったが、外国人観光客の姿は、ほとんど見当たらなかった。
驚いたのは参拝者が、境内にある小さなお社(別宮や所管社など)にも、ちゃんと行列を作って厳かにお参りしていたことである。参道の細いところでは1列縦隊で並んでいる。お社に鈴が3つあれば、そこに3人が並び一斉に鈴を鳴らし、かしわ手を打つ。奈良の社寺の光景とは、あまりにも違っていた。
帰りの電車に揺られながら考えた。この違いは何なのだろう。思い当たったのは「遠路はるばる伊勢神宮に来る参拝者は、お参りするのが目的で来る。しかし奈良の社寺へは、大阪や京都に来た『ついで』に立ち寄っているのではないか」。
すると全ての疑問が一挙に氷解した。数学の図形問題で、補助線を1本引くと問題があっというまに解けることがある。ちょうどあんな感じだ。奈良(奈良市も奈良県も)は最終目的地(デスティネーション)になっていないのだ。オプショナルツアー的に「時間があればついでに立ち寄る観光地」と見なされている。だから宿泊客数も滞在時間も1人あたり旅行消費額も、伸び悩んでいるのだ。
首都圏や東海圏で旅行社の窓口を訪ねると、パッケージツアーのパンフレットで「奈良」単独はなく、軒並み「京都・奈良」で、しかも奈良の文字は一回り小さい。「奈良は『小京都』と違うぞ」と言ってやりたくなる。
奈良は「宿泊客数を増やすために宿泊施設を増やす」とか「旅行消費額を増やすために新しい土産物を開発する」という対症療法ではなく「最終目的地として選んでもらうためにはどうすれば良いのか」を考えなければならない。つまり最終目的地たるにふさわしい魅力づくりや演出・PRが必要なのである。それは自治体だけではなく、民間団体も住民も、それぞれの立場で考えなければならない。
南都経済研究所は「週末の旅行先に奈良県を選ばない理由」を大阪、京都、兵庫の3府県民に聞いた(『ナント経済月報』平成30年1月号)。上位に入ったのは(複数回答)「訪れたいと思うような観光地・観光施設が少ない」31%、「過去に訪れたことがある」29%、「観光地として新鮮味がない」26%、「なんとなく(特に理由はない)」18%と、観光地としてのイメージが確立されていないことがわかる。
先日、東京のある旅行社から「都内で奈良に関する講話をしてもらえませんか。ある程度知識を得てから現地を訪ねると、奈良の奥深い魅力がよく伝わると思いますので」、これは有り難いお申し出である。
本年9月28日、南都銀行はJR西日本と「地方創生に関する連携協定」を締結した(本紙9月29日付既報)。JRは万葉まほろば線(桜井線)や和歌山線など、中南和の歴史ロマンあふれる地域を走っているので、新たな観光開発が可能になる。ここは知恵の出しどころだ。奈良は県下各地の魅力を発掘・発信し、脱「ついでの観光地」をめざしましょう!(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)