tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

奈良は「ついでに立ち寄る観光地」のままではいけない!(奈良新聞「明風清音」第11回)

2018年12月29日 | 明風清音(奈良新聞)
奈良新聞「明風清音」欄に寄稿している(4人の執筆者で持ち回り)。私は原則として第3水曜日の担当だが、水曜日が5回ある場合は、第5水曜日にも書かせていただいている。そんな事情で10月31日(水)付で掲載されたのが《脱「ついでの観光地」》だ。
※トップ写真は観光客でにぎわう「おかげ横丁」(伊勢内宮前)。7月15日(日)に撮影

奈良県は宿泊者数も観光客1人あたりの消費額も少なく、滞在時間も短い。しかし日帰り観光客は、結構来てくれている。その理由が分かった。奈良は最終目的地ではなく「ついでに立ち寄る観光地」とみなされているのである。お伊勢参りをして、それに気づいたのだ。観光の仕事に関わっていて今まで気づかなかったとは、うかつだった。

そうなると戦略が変わってくる。宿泊施設を増やすとか、土産物を充実するとか、そんなことではなく「泊っても行きたい最終目的地」とみなされるための観光資源の発掘とそのPRが先決なのである。少し方向性が見えてきた。この切り口で、来年は戦略を立て直すことにしたい。では最後に、記事全文を紹介する。

※12月30日追記 この記事をFacebookにアップしたところ、以下のような貴重なコメントをいただきましたので紹介させていただきます。

1.若林梅香さん
伊勢神宮にも衰退期はありました。近鉄を中心とした奥志摩開発全盛時です。人は奥志摩の海岸美と海産物の食を求めて伊勢方面へはたくさんの人が流れました、けれど、伊勢神宮は寂れていく一方でした。

これを憂えた赤福の先代社長は3億円を寄付しておかげ横丁を確立し、お伊勢さんと「おかげ」という関係を人の心に再度植え付けを始めました 私は伊勢神宮の根本にあるのは1度だけ見に行ったではなく「何度もお参りに行きたい聖地」感を取り戻したからだと思っています。

当時近鉄が奥志摩の大繁盛の陰で伊勢神宮の衰退を調査によって知り、愕然として遷都祭(式年遷宮?)を契機に佐伯氏が大きく関わってお伊勢さん復興に再度力を入れ直されたのを目の当たりにしてきました。信仰の地は何度でも回を重ねるほど有難さを増します。観光地は1度見に行ったらなかなか再度は訪れてはくれません。このあたりのことも視野から外れてしまっている根本を正すことが繁盛のベースにあることを忘れて観光の言葉に浮かれないことが大切かと思います。

2.高田宏さん
世界遺産の春日山原始林、ここ数年海外からの「泊りがけで」のハイキング・サイクリング客が増えています。素晴らしい神社仏閣に加え、南部もふくめたソフトアドベンチャー(ハイキング・サイクリング等) のPRもありかと思います。「日本文化+自然」、海外(特に欧米豪) 向けに日本有数の観光地といえるのではないでしょうか。

3.岩本綾野さん
奈良にはまだ知られていない魅力が沢山あります。ただ、保守的(あまりよそ者に土足で入ってきてもらいたくないという意識、全くわからなくはないのですが)なのと、奈良の県民性なのでしょうが控えめで(それも美徳なのですが)PR不足もあるような。

大阪のような商売気丸出しの派手さはなく、京都のような華やかで格式高過ぎて近寄りがたいこともなく、その中間位で歴史的な社寺仏閣と慈悲深い仏教の教えが息づき、何より大和の国の発祥の地なので、もっとPRできるはず。JR西は万葉まほろば線に新車投入したし、今後もっと力を入れてもらえるよう鉄道会社との連携も必要かと。まだ時間帯によりますが、1時間に1本くらいしか走ってないですもの。畝傍駅はエレベーターもないですし。

その昔、私の亡き祖父が近鉄に勤めていた時に桔梗が丘の開発に携わっていた頃、八木にも近鉄はそのような開発を持ちかけたけれど橿原市に断られたので、近鉄はあまり力を入れなかったと聞いてます。新しい住人が流入することに地域に拒否感があったのでしょう。だから近鉄も、伊勢や鳥羽などに積極的に特急を導入したり、三重県との繋がりを深めた経緯もあります。観光としての視点ではなく、信仰としての聖地に、という視点は若林さんと私も同感です。


脱「ついでの観光地」
本年7月、旧友とお伊勢参りをした。最高気温が35℃を軽く超える猛暑日だったが、神宮の森にさえぎられて境内はさほど暑くは感じられない。参拝者の数は多かったが、境内が広いので混雑感もない。関空が冠水するより前だったが、外国人観光客の姿は、ほとんど見当たらなかった。

驚いたのは参拝者が、境内にある小さなお社(別宮や所管社など)にも、ちゃんと行列を作って厳かにお参りしていたことである。参道の細いところでは1列縦隊で並んでいる。お社に鈴が3つあれば、そこに3人が並び一斉に鈴を鳴らし、かしわ手を打つ。奈良の社寺の光景とは、あまりにも違っていた。

帰りの電車に揺られながら考えた。この違いは何なのだろう。思い当たったのは「遠路はるばる伊勢神宮に来る参拝者は、お参りするのが目的で来る。しかし奈良の社寺へは、大阪や京都に来た『ついで』に立ち寄っているのではないか」。

すると全ての疑問が一挙に氷解した。数学の図形問題で、補助線を1本引くと問題があっというまに解けることがある。ちょうどあんな感じだ。奈良(奈良市も奈良県も)は最終目的地(デスティネーション)になっていないのだ。オプショナルツアー的に「時間があればついでに立ち寄る観光地」と見なされている。だから宿泊客数も滞在時間も1人あたり旅行消費額も、伸び悩んでいるのだ。

首都圏や東海圏で旅行社の窓口を訪ねると、パッケージツアーのパンフレットで「奈良」単独はなく、軒並み「京都・奈良」で、しかも奈良の文字は一回り小さい。「奈良は『小京都』と違うぞ」と言ってやりたくなる。

奈良は「宿泊客数を増やすために宿泊施設を増やす」とか「旅行消費額を増やすために新しい土産物を開発する」という対症療法ではなく「最終目的地として選んでもらうためにはどうすれば良いのか」を考えなければならない。つまり最終目的地たるにふさわしい魅力づくりや演出・PRが必要なのである。それは自治体だけではなく、民間団体も住民も、それぞれの立場で考えなければならない。

南都経済研究所は「週末の旅行先に奈良県を選ばない理由」を大阪、京都、兵庫の3府県民に聞いた(『ナント経済月報』平成30年1月号)。上位に入ったのは(複数回答)「訪れたいと思うような観光地・観光施設が少ない」31%、「過去に訪れたことがある」29%、「観光地として新鮮味がない」26%、「なんとなく(特に理由はない)」18%と、観光地としてのイメージが確立されていないことがわかる。

先日、東京のある旅行社から「都内で奈良に関する講話をしてもらえませんか。ある程度知識を得てから現地を訪ねると、奈良の奥深い魅力がよく伝わると思いますので」、これは有り難いお申し出である。

本年9月28日、南都銀行はJR西日本と「地方創生に関する連携協定」を締結した(本紙9月29日付既報)。JRは万葉まほろば線(桜井線)や和歌山線など、中南和の歴史ロマンあふれる地域を走っているので、新たな観光開発が可能になる。ここは知恵の出しどころだ。奈良は県下各地の魅力を発掘・発信し、脱「ついでの観光地」をめざしましょう!(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)



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6 コメント

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ついで、で終わらせない!! (金田充史)
2019-01-01 21:50:39
tetsudaさん、あけまして、おめでとうございます。昨年は、ひとかどならぬお世話になり、ありがとうございました。今年も、よろしくお願いいたします。

なるほど・・、「ついでの観光地」は、言い得て妙ですねぇ。私的にも、「奈良は、ついで」と、思いたくは無いし、またねそんな考え方は、サラサラ有りませんでした。しかしながら、以前に、サンケイ新聞が、「奈良は3時間で終わる」などと、論調した訳ですが、私は、違和感を感じましたし、鉄田さんも然りだつたと思います。ただ、それが現実でも有る訳です。

結果的に、その見解が、「ついでの観光地」となる訳ですねぇ。しかしながら、奈良県は・・って、仮に、奈良市であろうと、「ついで」ではありません。「ついで」どころか、何日もかかる訳です。ただ、今の外国人の動向を見ていると、事実上の「ついで」になつているのが、よくわかります。

外国人は、大仏殿しか行きません。よく行って、興福寺と春日大社をプラスするだけ。だから、これでは、3時間で十分収まる訳です。郡山や天理、また、南部の明日香でさえ、ほとんど外国人が居られない現状では、「ついで」と言われても、仕方ない話だと思います。

それに対して、京都は、左側の端っこの金閣寺や、大原などの距離でも、外国人の姿が有ります。金閣は、奈良市と桜井位の距離ですし、大原は、奈良市から吉野位の距離に該当しますが、それでも行くのは、少なくとも、「距離」は問題ではないと云う事です。

そら、こんなに距離の有る場所を移動してって事ですから、京都は、宿泊地になりますよ。京都市内は、距離的には、奈良市・天理市・郡山市全て、位の広さなんですから。

そしたら、少なくとも、天理・郡山に外国人の姿が有るかと言えば、全くありません。そこが問題点だと思いますが、大過去から、その件を解決出来ていない訳です。

まずは、京都市内なら、市バスは全て均一料金。左京区の端の金閣、右京区の端の銀閣までをも、乗る事ができます。また、一日券も有ります。市内全てをパスで乗る事が出来る京都に対して、奈良市は、それが出来ません。

それだけでは無いですが、奈良市は、今まで、奈良市だけしか見せていませんでした。奈良市だけになるなら、大仏殿のインパクトが大きすぎて、他を圧倒してしまいます。それに、他の市町村の財源の問題で、南部が疎かになっていて、この大仏のインパクトに耐えられなかったとも言えます。

南部を見せていくと言うのは簡単ですが、それを、どう見せていくのか、その手法が問われていると思っています。ただ、外国人にではなく、まずは、日本人に見せていって、外国人は、その先ではないでしょうか。今は、日本人ですら、見えていないと思います。
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脱「ついで」の仕掛けが必要 (tetsuda)
2019-01-02 10:02:40
金田さん、あけましておめでとうございます。早々に賀状、深謝です。「げすとはうす はる・きたまち」も、もう3年目に入りましたか。いまだに「魚佐の金田さん」という人がいますので「はる・きたまちの金田さん」と訂正させています。

四季彩 鮨楽(一条通)の森村さんが「昨年、初めて金田さんが来てくれました」と喜んでおられました。

> 外国人の動向を見ていると、事実上の「ついで」になっているのが、よくわかります。

はい、外国人も日本人にとっても「事実上のついで」になっています。法隆寺だけでも、まる1日かかるはずなのですが。

> こんなに距離の有る場所を移動してって事ですから、
> 京都は、宿泊地になりますよ。京都市内は、距離的には、
> 奈良市・天理市・郡山市全て、位の広さなんですから。

はい、まさにその通りです。「距離を感じさせない」という仕掛けが見事にできています。また金閣寺も大原三千院も、砂利道以外の道をつけ、車椅子で参拝できるようになっています。若林さんがお書きの通り、伊勢神宮だって相当努力をされています。

> 南部を見せていくと言うのは簡単ですが、それを、どう見せていくのか、
> その手法が問われていると思っています。ただ、外国人にではなく、
> まずは、日本人に見せていって、外国人は、その先ではないでしょうか。

はい、まずは日本人、次に外国人ですね。実はこの記事には続編がありまして、それを12月に書いています。知人(上海に住む日本人医師)によると、「初心者でなくリピーターは、大仏殿ではなく『皆の知らない穴場』を探します。ここに奈良県の活路があるのではないでしょうか」。近日中にこの記事をアップさせていただきます。
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参拝の意味と、更に、新素材 (金田充史)
2019-01-02 19:38:58
tetsudaさん、訂正頂いて恐縮です。ご配慮ありがとうございます。ただ、「魚佐旅館の金田」ってのは、皆さんの感覚からすれば、ものすごく重たいんです。私も、未だに言われます。

ちょっと説明させて頂きますが、閉鎖した時は、もぅ嫌だって嫌悪感しか無く、肩の荷が降りた感だったんですが、時を経ると共に、これがまた、物凄い重くなって、何やら、伝説みたいになって来た感がするんです。だから、そぅなったら、毒を喰らわば皿までって感じで、キチンと調査してやろうって気になりました。

魚佐を閉館するまでにも、沢山の旅館が閉館されました。それらを調査すると、第二次対戦や、災害に関わる閉館も有りました。

これらは、経営者の子孫が口伝えで伝えていて、文字で残っていない訳です。私も、沢山の方にお会いして、その確認をしていますが、その中のお一人が、「私が他界すれば、こんな話は消える」と仰っていました。

これを聞いて、これは、各人にお会いして、文字で残さねば・・、と感じた次第です。この案件は、近世の奈良の歴史と重なり、奈良の特性上、近世の史実に目が向けられていない傾向に有ります。近世は、日本が近代化を進めた時期と重なり、明治期の経営者の気質も垣間見えます。

で、当初は、魚佐の資料を収集していたのが、他の館の資料までをもが、目に付く様になり、それで、近世の奈良が、おぼろげ乍ら、見える様になってきました。

これらの資料を、原簿を出すと、印刷が古いので、退色したり、紙が破損したりしますから、内容は、分かって頂けますので、カラーでプリントアウトして、皆さんに公開すべく、計画をしています。、

幸いな事に、別の不動産物件を所有していますので、そちらで、「ならまち 旅と旅館の資料館」的な名を、頭でイメージしました。

この資料から察するに、奈良は、「観光地」な訳です。東大寺大仏殿に来たかったんでしょうか、大仏を全面に出したパンフレットが多数有ります。ただ、大仏を「拝みに」では無かった感はしますねぇ。但し、大仏だけではなく、県内各所を訪問されているのも興味を引きます。

鉄道も完備されていない明治時代に、徒歩で来られていて、遠距離だと、東北地方からの方も居られます。

だからこそ、奈良県内各所に、旅館が林立していた訳で、その意味を、旅館をしている者・・また、していた者は、祖先の足跡を研究して、今、ナニが出来るのかを、もっと突き詰める必要が有りますね。
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お伊勢参りの「ついで」 (tetsuda)
2019-01-03 07:43:17
金田さん、コメントありがとうございました。

> 魚佐を閉館するまでにも、沢山の旅館が閉館されました。それらを
> 調査すると、第二次大戦や、災害に関わる閉館も有りました。これらは、
> 経営者の子孫が口伝えで伝えていて、文字で残っていない訳です。

なるほど、その通りです、良いところに目をつけましたね。

> カラーでプリントアウトして、皆さんに公開すべく、計画をして
> います。幸いな事に、別の不動産物件を所有していますので、そちらで、
> 「ならまち 旅と旅館の資料館」的な名を、頭でイメージしました。

これは貴重な史料です。江戸時代の「お伊勢参り」の流行で、奈良にもたくさんの参拝客が立ち寄りました。明治以降もその流れで東大寺に来られたのでしょう。大阪万博の「太陽の塔」を見に来るようなノリですね。

> 鉄道も完備されていない明治時代に、徒歩で来られていて、遠距離だと、東北
> 地方からの方も居られます。だからこそ、奈良県内各所に、旅館が林立して
> いた訳で、その意味を、旅館をしている者…また、していた者は、祖先の足跡
> を研究して、今、ナニが出来るのかを、もっと突き詰める必要が有りますね。

御所まちの民家で、江戸時代のお伊勢参りの「ついで」(こちらも「ついで」でした)に御所に立ち寄った人々の宿帳のようなものを拝見しました。関東とか東北が多く、伊勢→奈良→四国(こんぴらさん)→姫路、といった具合に周遊されたようです。明治にもこの名残があったのでしょうね。史料、いつか拝見したいです。
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奈良は奈良市だけか? (若林梅香)
2019-01-06 22:42:49
北の奈良市を中心に奈良を語り、案内している限り奈良県という規模の観光はありえないでしょう
中部に居住していて北部の特に奈良市の観光施設、案内所には怒りを通り越してあきれてしまっています
口では中南部開発と言いながら奈良市の案内所には市の観光資料しかなく、また県全体を案内できるスタッフも居ません
既に奈良市に入っている人になぜ中南部をPRしようという積極性が出せないのでしょうか
放っておいても大仏さんや春日大社さんに来られるようになったのなら次は奈良市内に中南部の資料や案内できる人を増やそうとしないのでしょうか
資金の少ない中南部では作られる資料の数や種類にも限界があります 奈良市内に宿泊客を増やしたければ奈良市がもっと積極的に中南部の勉強をして案内に力を注いでいくことはきっと宿泊客の増加につながると確信します
急がば回れ! 奈良に泊まってほしければ奈良市へ来たお客さんに一人でも多く声掛けして中南部のPRに精を出してください
来られたお客さんを私は必ず満足させて帰っていただき再度来たい気持ちにさせますから!

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タテ割りの弊害 (tetsuda)
2019-01-07 10:17:29
今井町町並み保存会の若林会長、コメントありがとうございました。

> 奈良市の案内所には市の観光資料しかなく、また県全体を案内できるスタッフも居ません
> 既に奈良市に入っている人になぜ中南部をPRしようという積極性が出せないのでしょうか

確かにパンフレットはほとんど奈良市のものばかりです。ただ中南部の市町村も、奈良市観光協会にパンフレットを送れば、市内の観光案内所に置いてもらえると思います。双方の意識改革が必要ですね。

> 奈良に泊まってほしければ奈良市へ来たお客さんに一人でも多く
> 声掛けして中南部のPRに精を出してください 来られたお客さんを
> 私は必ず満足させて帰っていただき再度来たい気持ちにさせますから!

「奈良市の次は●●●はいかがでしょう?」というセールスは大切ですね。特に吉野は「神仏に抱かれた聖地」ですから「奈良市内の社寺の次は吉野の社寺へ」という紹介ができるはずです。

奈良県内のボランティアガイドも、ソムリエの会以外はすべて「市町村単位」です。そのような「タテ割り」の弊害を改めなければいけませんね。
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