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南都八景「春日野の鹿」は、昔も今もアイドル!/毎日新聞「ディスカバー!奈良」第93回

2018年12月05日 | 奈良にこだわる
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は、毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「ディスカバー!奈良」を連載している。先週(11/29)掲載されたのは「愛され続ける古都の鹿 奈良市の南都八景」、執筆されたのは奈良市在住の久門たつおさんである。
※トップ写真は、昔も今も親しまれている奈良の鹿

皆さんは「南都八景」をご存じだろうか。『デジタル大辞泉』「南都八景」によると《南都(奈良)の八つの景勝。東大寺の鐘、春日野の鹿、南円堂の藤、猿沢池の月、佐保川の蛍、雲井阪(くもいさか)の雨、轟橋(とどろきばし)の旅人、三笠山の雪》とある。

さらに『世界大百科事典』の「奈良市」によると、室町時代《大和守護の興福寺は奈良においても強権をふるい,東大寺郷などにもその司法警察権を行使した。この警察権の行使に起用されたのが衆徒(しゅと)だが,1428年(正長1)正長の土一揆に対して徳政令を発するなど下剋上の勢いを示した。同じく郷民も商工業の発達によって成長して郷民自治を要求した。南都八景などが喧伝されて,旅宿が発達,酒のほか人形,墨がみやげ物となった》。

奈良の観光が活性化するほど「南都八景」は威力があったのだ。奈良はこのようなパワーのある観光コンテンツを、現代においてこそ発掘しなければいけないのではないか。ぼやくのはこれくらいにして、最後に久門さんの記事全文を紹介する。


轟橋の石碑(右)と雲居坂の石碑(左上)

南都八景とは「猿沢池月」(読みは「猿沢池の月」のように「の」を入れます)「東大寺鐘」「春日野鹿」など奈良市の奈良公園周辺の昔の名所を八つ集めたものです。室町中期、将軍・足利義政が南都を訪ねたころ選定されたようで、絵画の題材や和歌などに使われてきました。後の五つは「南円堂藤」「佐保川蛍」「三笠山雪」「雲居坂雨」「轟(とどろき)橋旅人」です。

聞き慣れない雲居坂と轟橋ですが、ともに県庁東交差点から国道369号(かつての京街道)を北へ約200メートル行った東側に石碑が並んでおり、その辺りにあったようです。京などからの旅人が京街道の雲居坂を上ってきて、かつての𠮷城川の分水にかかる轟橋の近くまで来ると、西側に眺望が広がったそうです。雲居坂が雨との組み合わせになっているのは、雲と雨の関係からといいます。

八景の元祖は11世紀、北宋時代の瀟湘(しょうしょう)八景で、江戸初期に近江八景が誕生しました。これらと南都八景は「月」「鐘」「雪」「雨」が共通します。南都八景には「鹿」が入っており、昔からアイドルだったのでしょうね。

■メモ 三笠山は春日山西峰の御蓋(みかさ)山説が有力ですが、若草山説もあります。佐保川は正倉院の北を南西方向に流れています(奈良まほろばソムリエの会理事 久門たつお)。 


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