WESTWOOD -手作りビンボー暮らし-

持続可能な社会とは、必要なものはできる限り自分(達)で作る社会のことだ。衣食住なんでも自分で作れる人が偉いのだ。

路上観察

2018年03月22日 | おもしろ博物館

洛中南西部(御池通り以南、烏丸通以西、西本願寺あたりまで)を路上観察中に見つけた面白物件です。
京都には寺社や史跡などもたくさんありますがあまり興味はありません。私の興味はあくまで私の琴線に訴えかけてくる路上の面白物件たちです。

この地域は、西陣と並んで着物に関係する業種の京町屋が多く残されていますが、業界の衰退と人口変動による街の再開発、学校統廃合などドラスティックな京都の新旧変化を目の当たりにできる地域柄でもあります。

京町屋の様式には「厨子二階(つしにかい)」、「総二階(そうにかい)」などいくつかに分類されています。

最も京町屋らしい「厨子二階(つしにかい)」の町屋、「野口家住宅」。
低い2階(中2階?)の太い格子状「虫小窓」が特徴的。泥棒などを防ぐよう格子状の窓としたそう。

「野口家住宅」とその周辺にはこんな張り紙も。再開発ラッシュの洛中を象徴している?

「厨子二階(つしにかい)」の変形?、表の店舗と奥の住宅を玄関部でつなぐ「表屋造り」の代表、「秦家住宅」。「樋屋奇應丸」の看板が「薬屋」であることを示している。

古い京町屋を改修して営業中のジビエ食堂。カンガルーにラクダのステーキ!!
2階の壁はおそらく虫小窓だったものを塗り込めたものかと思われる。

「総2階」様式(2階が普通の高さ)の町屋。現在は‶おばんざい”とお酒の店。

この辺りは祇園祭の山鉾町が並んでいる地域。
「鯉山」保存会が入居する町屋。営業物件ではないから「町家」とすべきか。

粋な格子出窓のある町家。最近、改装されたものと思われる。
壁沿いには鉄製の犬矢来。本来、犬矢来は竹製がほとんど。

「ばったん床几」
軒先に設置してある「ばったん床几」。狭いろうじの往来を妨げないよう不使用時はたたんでおく生活の知恵。江戸ならここで八っつあん、熊さん、ご隠居たちが落語のような掛け合いをしていたことだろうが、京ではもう少しお上品に茶飲み話や夕涼みをしていたのだろうか。

典型的な路地(京風には「ろうじ」)と、ろうじに並ぶ着物関連(袋物、草履)業者の家。多分、改修前は昔からの町屋(平屋様式)だったのだろう。現在は営業している様子はない。商売をやめた町屋は「仕舞屋(しもたや)」とも呼ばれる。

同じく、ろうじに並ぶ着物関連業者さんの町屋。
「湯のし」とは、蒸気をあてて反物のシワをとる仕事。今のクリーニング屋さんがもっと専門分化したような、シワ伸ばし専門の業者さん。「高級絞り手湯のし」の看板は高級品専門の証。

外国人観光客招致に躍起の京都市では、空き町家を改造して営業する、いわゆる「民泊」問題も持ち上がっている。
ここも最近開業したらしい。「小鳥遊」と書いて「たかなし」と読ませる。何でかは分かりません。



営業間近で宣伝用の写真撮影を行っていた新装「町屋ホテル」。

坊さんがバーテンの「坊主バー」!?お寺さんも多角経営しないと経営が大変?

歴史を感じさせる理髪店。

子供が減って廃校となってしまった成徳中学校。
校舎に絡まるツタが歴史と哀感を感じさせる。現在は「京都文化協会」が入居。

銅像に残された少年は何を思う...。

一方で、統廃合の末に名前を変えて再スタートした小学校もありました。
旧「京都市立淳風小学校」。創立140年(明治2年創立)の歴史ある小学校。この校区は太子山町といって祇園祭「太子山」を継承する歴史ある山鉾町です。歴史ある学校名が消滅してしまったのは、住民の方にとっても慚愧に耐えないことだったとお察しします。
今日は新生「下京雅小学校」の第一期生?卒業式。
新しい小学校名は、行政的には住民が選んで命名したこととされていますが、「下京雅小学校」?、何だかいかにもな薄っぺらい名前だなあという印象を受けてしまいました。ともあれ、森友問題」ではありませんが、完全廃校で「跡地を安く払い下げてホテルやマンションにならなかっただけ良かったのでしょう。

住宅に囲まれた市中の公園。犬猫の糞尿を防ぐためでしょうが、人間の方が檻の中に入って遊ばなければいけない、獣害?に悩む田舎の防獣柵を思わせる、何ともやるせない姿。

新しい(苦肉の?)商売、研ぎBOX。朝出しておくと夕方には研ぎあがっている。まあ、アイデアではある。ヒントはTUTAYAの返却BOXか?

植栽に埋もれ、オブジェと化した自転車。田舎都会的な!


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