前のエントリーで、外国語にあって日本語に翻訳できない言葉というものに触れたので、当記事では日本語にあって外国語に翻訳できない言葉というものを考えてみた。
すぐに「文士」という言葉が頭に泛かんだ。文学者、作家、小説家などとはひと味違う言葉の響きが、昔から気になっていた。
作家・小説家の家(か)は、一廉の人の意味だが、その人たちとも一線を画している。詩人は有りだが文人では納得できない微妙な心情、部外者にはわからない。
昭和も30年代になると、文壇というところに蟠踞して、文士風を吹かす人たちが増えた。時代の寵児となった新進作家に多い。著書がよく売れ、出版社やマスコミ、銀座のクラブ女性たちに煽てられ、舞い上がったのだろう。
中国の士大夫の士は、支配階級の下位にあって庶民の上に立つ階層だという。庶民は科挙の試験に合格しないと士になれなかった。士は被支配階級の憧れであったことだろう。
中国文化の流入以来、この国では士を語尾にもつ連語は、中国語からの借用語のほかに和製の語も多く造られた。文士は明治の和製漢語のひとつだろうか。文人でありながらも、支配階級に属しているという妙な気概がこの言葉から伝わって来る。それまでの小説家は、肩身が狭かった。
平成11年頃に出版された「文士とは」(大久保房男著)によると、教養としての文士と天然の文士とがあって、教養としての文士には阿川弘之、天然の文士には志賀直哉・室生犀星・正宗白鳥・永井荷風・佐藤春夫などの名を挙げている。違いは歴然としている。元文芸誌編集者だった著者の基準で、文士というものの性質がなんとなくわかる気がする。教養としての文士に阿川氏ひとりだけを挙げたのは、そのような文士は彼くらいしかいないということになろうか。文士に当たらないと婉曲に云っている。文士の本質を見抜いていた。
若い頃の私は、粗忽にも立原正秋を文士の典型と思い込んでいた。彼が剣士であったことも影響している。この人ほど、文士の気風を持ち、文士らしく生きた作家はいなかったのではないか?
もともと文と士とは意味に於いて反りが合わない。武士で勝れた作家もいたが、江戸期を通じて戯作者は町人(武士を罷めた者も含む)が質・量共に圧倒している。
文士なる言葉からは、明治という文芸近代化の時代を担った作家達の自負が感じられる。士を付けなければ、アイデンティテイーを確保できない時代だったのだろう。
文士は昭和まで存在していた。平成の時代は文士を必要としない。今の作家たちは、よかれあしかれスマートになっている。
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