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道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

母性への依存性

2025年03月21日 | 随想
私たち日本人は、いつの頃からか人格のない無生物を示す単語にの文字を冠し、母性的な存在と認識することが普通になったようである。
母性への強い依存性と過剰な思い入れが潜在しているように思えてならない。

母校・母港・母川・母船・母国・母音等々、集団とか施設や機器など、帰属先としての意味で、母子関係に擬える意味をもつこれらの単語は、どう考えても母を拡大解釈していて、ある種付会に近いかと思う。
統計学の用語のpopulationを「母集団」と訳したり、言語学の用語vowelを「母音」と訳出したりしたのも、日本人の概念理解を扶ける上で大いに効果があったことだろうが、私は特異なことに思う。明治以後の西欧文化の導入にあたって、訳語を造る際にこの母を冠する手法は、とても重宝したのだろう。

学校や港を母に擬える感覚は、他の国々でも普遍だろうか?
何故か私たちには、父に比べ母の文字を冠する言葉が多い。そこには母系社会ならではの独特の情緒性依存性が潜在していると考えられる。
同胞という言葉なども、同じ母から産まれた兄弟姉妹を強調し、母との絆を強く感じさせる字面の語である。
日本の母は、生涯に亘って日本の男児と情念で繋がっている。
 西洋の母と違って自我の主張の寡ない忍耐強い日本の母を見て育ち、母への保護意識が強い日本男児ならではのものかと思う。

子どもの自立を願って、早くから依存や執着を捨てさせようとする欧米の幼児教育とは異なり、母への依存を助長して来た日本の育児環境は今日変容しつつある。
ルースベネディクトの明察どおり、戦前戦中の日本人の母子関係は、白人社会のそれと際立った対比を見せていた。アメリカは、日本人の母子関係を研究することで、日本兵と日本人及び日本社会を分析し、戦争中には、心理戦でも優位に立った。
その後の日米関係におけるアメリカの我が国への認識には、その当時の研究の知識が色濃く残っていたはずである。
今日のわが国政治家の対米依存心の根底には、アメリカの対日戦時の研究の成果が、残存し活用されているかもしれない。

と似たキイワードにがある。こちらも、恩人・恩師・恩恵・恩顧・恩愛・恩寵・恩義など、いくらでも思い浮かぶ。「恩」の意識なしには、一歩も世を渡ってはいけないかのようである。日本社会では、つい先頃まで「恩知らず」とか「忘恩の徒」は、最も強い誹謗だった。

恩は当事者双方拘束する語である。
「恩」には無意識ながら当事者双方に貸しの意識と借りの意識が貼り付いているように感じられる。相互扶助とか博愛、自己犠牲の概念の希薄な社会では、「恩」は大きな力を振るう。恩の扱いには、特別慎重に成らざるを得ない。


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