ウォーキングカメラマン

“お歩きさん”をした時に出くわした心に残った風景、光景、人物などを撮る!!

白くなった城がある街を歩く

2015-10-05 00:53:14 | 兵庫県

2015年9月22日(火)

 姫路城は官兵衛が秀吉に譲った城で、国宝であり世界遺産に登録されている。今年3月、5年以上にもわたる平成の大修理が完了して、白くなった姫路城を見ようと姫路を訪れた。

JR姫路駅前。姫路には何回か来たことあるが、姫路城の修理工事期間中に駅前まで修理されたようで、知っている姫路駅の面影が全くなく垢抜けた駅前になった。

姫路駅から正面に姫路城が見える風景は変わりがない。新幹線からも見えるが修理期間中城を見ることができなかった。

姫路駅から姫路城まで通じる大手前通り。 平成の大修理は、昭和の大修理より50年ぶりであり、次回は50年後。屋根が白く見えるのは、瓦の継ぎ目に白漆喰を塗っているからであるが、だんだん黒くなってしまいには今までの姫路城と同じ色になる。

大手前通り。

 

大手前通りと並行している商店街も、リニューアルされた。シルバーウィークだったので人も多く活気があった。

 姫路城の堀。 今回、シルバーウィークで天守閣は大混雑し、相当な待ち時間も発生していたので、天守閣には入らなかった。

 姫路城の堀に通じている川。今まで、姫路城は何回か訪れたことがあるが、今回は姫路城のまわりや城下を歩いて、そのデカさを体感してみた。

 姫路城の堀まで400m程度あるところを国道2号線が通っているが、そこにも石垣がある。姫路城の石垣だろうか?

姫路城の城下には少し、古い街並みが残っていた。

西国街道(旧山陽道)にある重厚なうだつの家。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本陣がたくさんあったのどかな漁村を歩く

2015-10-04 16:25:06 | 兵庫県

2015年9月22日(火)

 室津(兵庫県たつの市御津町)は、西国大名が参勤交代の際に海路で上陸し、ここから陸路で江戸に向ったため、宿場町として栄え、多くの藩の本陣が置かれた。

街に入る時、瀬戸内海の家島諸島が展望できる。養殖の牡蠣イカダもたくさん浮かんでいる。

 室津港。土日には新鮮な魚が漁協で安く買える市を行っている。土、日ではないので漁協で市はなかったが、道の駅でも獲れたての魚が激安で売っていた。

街に入ると狭い路地ばっかりになる。 看板には、昭和のなつかしさを感じられる。

 

 繁栄したことが窺える古い屋敷が残る。

 

 

 参勤交代制度がなくなり、街は衰退したが、本陣が6軒もあった。本陣はひとつの宿場にひとつが原則だったので全国的にも珍しいことだそうな。

 出漁する船。朝、道の駅で売っていた魚は、カサゴ、穴子、タコ、シャコなどだった。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本時間の基準となっている玉子焼の街を歩く

2015-10-04 02:46:22 | 兵庫県

2015年9月21日(月)

明石は、日本標準時となっている子午線(東経135度)上の街。また、瀬戸内海に面し、明石海峡で獲れる海産物で名物はいろいろあるが、特にタコを使った玉子焼は、タコ焼のルーツである。

明石公園。JR明石駅の出てすぐ北にある明石城跡に作られた公園。、

魚の棚商店街。JR明石駅の南にあり、魚屋、蒲鉾屋、玉子焼(明石焼)屋、乾物屋など魚貝類を扱う店が多い。

 

 

商店街の中に多数、明石焼(玉子焼)を扱っている店があった。本場ということでどの店もメチャ混んでいた。

魚の棚商店街以外にも市内にかなり玉子焼屋が多い。昔からの店は“玉子焼”と表記していることきが多い。この写真の店ではないが老舗に行ったら2時間以上の待ち時間だったのであきらめた。夕方、別の店に行った。

子午線が通る街なので、ダジャレにして“子午セン”というセンベイを販売。

 

明石市立天文科学館。子午線が通る天文台。新幹線から何回か見たことがあるが初訪問。ここからは明石海峡大橋が見える。

交番の名前までになっている。

子午線交番は、パッと見たところ、隣の教会のような形の建物も、プラレタリウムのような建物も交番のもののように見える。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

兵糧攻めされた金物の街を歩く

2015-10-02 01:35:24 | 兵庫県

2015年9月21日(月)

三木は、神戸市の北西にある内陸の街。戦国時代、三木城は、秀吉軍に包囲され兵糧攻めにより落城した。江戸時代以降は金物の街として栄えた。

三木城跡の入口付近にある三木合戦の看板。 三木城は黒田官兵衛の作戦により包囲され、食糧補給路を断たれ、三木城主の別所長治は家臣の助命を条件に切腹した。

昭和を感じるアーケード商店街。シルバーウィークということもあり見事シャッター通り。この商店街は三木と有馬温泉を結ぶ湯ノ山街道であり、秀吉も三木合戦の際、有馬に行っている。

アーケードがとぎれたところの湯ノ山街道にある包丁屋。三木は金物で有名な街である。

 

ひめじ道にある三木で最も古い金物屋。屋根の上の飾りのようなものは、サビていたが包丁のようなものだった。三木は金物で有名な街。

 

ひめじ道。三木城を陥落させてから中国地方の毛利攻めの拠点を姫路にしたが、その時に作った道。この質屋、官兵衛と関係あるんかなぁ。

白壁土蔵。

 

ビルの上にも金物屋の大きな看板が見える。

さすが金物の街という感じでノコギリ製作所がある。

神戸電鉄三木駅(写真右)、単線だった。

市内中心部を流れる川。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

屋根に人を乗せた山車が駆け抜ける祭を見歩く

2015-10-01 00:56:35 | 大阪府

2015年9月20日(日)

岸和田だんじり祭りは、時の藩主が五穀豊穣を祈願して始まった300年の歴史を持つ祭り。だんじりを曳いて疾走する勇壮な祭りで、迫力やパフォーマンスを楽しめるが、見物する側も危険な祭りである。

だんじりに参加する女の子は皆、だんじり仕様の髪にしていた。だんじりとは山車(ダシ)と同じ意味。

南海岸和田駅前で疾走するだんじりをコーナーで方向転換することを“やりまわし”と言い、だんじり見物の人気ポイント。

駅前商店街を疾走するだんじり。狭いところなので、だんじりを最も近くで見られ迫力あるが、走ってくる人達とスレスレなので危険。

 

 駅前商店街の中にはコシノ三姉妹洋の生家である洋装店があり、だんじりに帰省され、たくさんの人を招待されるそうだ。元サッカー選手の中田、野球の星野監督も以前は招待されたそうな。右から3番目が二女のコシノジュンコさん。コシノ洋装店の向いの店屋のおじさんにいろいろとコネタを教えてもらい楽しく見れた。

 沼町交差点付近。だんじりの屋根の上の人は生でみると、メッチャかっこいい。コシノ姉妹のお母さんが憧れていたが、その気持ちがわかった。

 

 北町。有料の観覧席がある道路付近。人で大混雑している。正面は阪神高速4号湾岸線岸和田大橋。

 大北町。

 夜になるとだんじりに灯が入る。わずか15分で夜用だんじりにした。夜は灯りはきれいだけど疾走しないので迫力か欠ける。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする