ウォーキングカメラマン

“お歩きさん”をした時に出くわした心に残った風景、光景、人物などを撮る!!

豪華絢爛な幻の名城があった街を歩く

2015-10-20 23:38:20 | 滋賀県

2015年9月24日(木)

安土町は、合併により近江八幡市となったが、織田信長が1579年に建てた地下1階地上6階の豪華絢爛な安土城があった地として知られる。

JR安土駅前。信長の銅像があり、レンタサイクルの店があったり、信長で盛り上げているかと気分が高まるが観光客らしき人は見かけなかった。

 

 小さな町で少しながら古い街並みが残っている。

 

 “錠の橋”。カップルとかがかけて行くように観光用に作ったのだろうか?錠はひとつもかかってなかった。

鮒寿司の店。滋賀県名産として有名だが、リスクが高くまだ挑戦したことがない。

 合併前の安土町だった頃の思い出。

 安土城跡。本能寺で信長の死後に焼失した。

 この階段を上がった山頂に高さ43mの木造高層建築の安土城が築かれた。

 安土城の上層階の模型。、

 

 

 

 

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大手企業の礎を築いた商人の発祥地を歩く

2015-10-19 00:45:37 | 滋賀県

2015年9月24日(木)

 近江八幡は、西武グループ、高島屋、伊藤忠など多くの企業のルーツとなる“近江商人”の発祥地。琵琶湖水運を利用して商売を行い、街が繁栄し、たくさんの蔵や商家が残る。

JR近江八幡駅前。平和堂(写真左:滋賀県中心に展開するスーパー)を見て、尖閣問題の中国暴動で、被害を受けたのを思い出した。地方のスーパーが中国に進出するなんて、近江商人の血が流れてるのかと思った。

近江商人の商家が残る町並みで重要伝統的建造物保存地域となっている。近江八幡は多くの街道が通る交通の要所。京街道は中山道から分岐した街道。

 

 

 京街道は朝鮮通信使が江戸に向かう時に通った道で、朝鮮人街道とも呼ばれる。

八幡堀。商家が立ち並び、琵琶湖につながる。近江商人はこの堀を使って商品を運搬した。時代劇のロケによく使われる。NHK朝ドラ“あさが来た”でも船で大阪に嫁に行くシーンで使われていた。

鳥居の前の教会風の建物は小学校として建てられた。何となく松本の開智学校が思い浮かんだ。

明治末期にアメリカ人建築家が建てた旧八幡郵便局。市内にその建築家が建てた建造物が多数残っている。

かわらミュ-ジアム(写真中央上)前。この地の瓦は八幡瓦と言って、豊臣秀次が八幡城を建設する際、京から職人を連れてきたことから始まる。

“たねや”という老舗和菓子屋の本店。さすが近江商人、全国に展開しているようで、東京の百貨店等にもある。和菓子を購入し、内部のタイムスリップした空間でゆっくりと食べれた。

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鉄人と武将が復興のシンボルの街を歩く

2015-10-18 02:39:00 | 兵庫県

2015年9月23日(水)

神戸市長田区は、ケミカルシューズの工場が多く、震災で焼け野原になった。神戸出身の漫画家横山光輝の代表作である“鉄人28号”と“三国志”を街の復興のシンボルにしている。

地下鉄新長田駅の壁面に描かれている鉄人28号。“鉄人28号“はまだ、白黒だった頃、テレビで放映されていて好きだった。

 

 商店街アーチの鉄人28号。なぜ28号なのかな。映画化された「博士の愛した数式」でも28は美しい数ということで、阪神の28番江夏を取り上げていたが、横山光輝はそれ以前に28の完全数のことを知っていたのか?

 鉄人28号の街灯。

 危ない!!子供が・・・

 新長田駅の近くの公園の、巨大な鉄人28号のモニュメント。

 アーケード街も鉄人28号のフラグで盛り上げている。震災時、長田は大火災発生してほとんど焼け野原のような映像を見たが、そんなことがあったとは感じられない。

 まさに鉄人の街。20年の間に見事に復興している。

 もうひとつの復興のシンボルは、 横山光輝の長編漫画である“三国志“。

 

 横山光輝のタッチとは違う劇画的にビルの壁に描かれている孔明。

 商店街のスーパーの前にある孔明像。これは横山光輝の孔明かな。

 

 

 

 

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日本最古の温泉街を歩く

2015-10-16 20:40:07 | 兵庫県

2015年9月23日(水)

有馬温泉(兵庫県神戸市)は、631年に舒明天皇が訪れたと日本書紀に記されている日本最古の温泉であり、戦国時代には秀吉に愛された温泉であり、秀吉に関連した名がついたものを良く見かけた。

太閤橋。この橋の手前には寧々の像があり、橋を渡り少し歩いたところには秀吉像がある。

有馬温泉の炭酸泉を利用して炭酸センベイが名物となっていて炭酸センベイを製造する店がたくさんある。

老舗の炭酸センベイ店。

 お土産屋にもいろいろな店の炭酸センベイが置いてあった。

 公衆浴場“金の湯”の前にある足湯。この足湯も秀吉にちなみ“太閤の足湯”と名付けられている。近くには温泉水を飲める“太閤の飲泉場”がある。

 昔からの温泉街“湯本坂”

 温泉街には古くなった寺院の鬼瓦が魔除けとして配置されている。

 道端にある意味不明ボードが数か所あった。ボードを見た人は“キモイ”とか“へんな”とか大抵の人がなんかの感想を口走っていた。

 

 

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異国情緒漂う港町の山間部の宿場を歩く

2015-10-08 01:00:24 | 兵庫県

2015年9月23日(水)

 神戸市北区淡河は、神戸市北西の山間部に位置し、秀吉が整備した湯山街道沿いの宿場町。田園風景が広がり、小さな集落には茅葺き屋根の家屋があるなど、異国情緒漂う港町神戸の雰囲気を全く感じさせないところ。

淡河のメインストリート。信号もないし、交通量も少ないので車はビュンビュン飛ばしている。

バス時刻表を見たが、枠ばかりでスカスカ。朝夕に各1便があるだけだったと思う。

 本陣跡地の碑。湯山とは、有馬温泉のことであり、秀吉が三木城を攻めた時に、三田~有馬までだったが、三木まで延長し、淡河を宿場町として整備した。

淡河の街並。異国情緒は全く感じない純和風の家ばっかり。それもでかい家が多い。

 集落内に藁葺き屋根の家屋がある。

 

田園風景の中に藁屋根。のどかである。

 畦道に咲いている彼岸花。

 山の上には小さな城跡がある。秀吉によって落城させられた。

 

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