ウォーキングカメラマン

“お歩きさん”をした時に出くわした心に残った風景、光景、人物などを撮る!!

大正時代に開園した遊園地のあじさい

2017-06-30 23:54:00 | 東京都

2017年6月10日(土)

 "としまえん"は大正15年(1926年)に開園した歴史ある人気の遊園地であるが、あじさいの名所としても知られる。

西武豊島園駅側の入口。たまたまキャンペーン料金が適用され半額で入場できた。ラッキー。

150品種、10,000株のあじさいが植えられている。

  

 

 

 モコモコしたあじさい。 

としまえん内のあじさい園。蕾がたくさんあり見ごろはまだまだ。

 

 としまえんのあじさい園の中を走るの模型列車"あじさい号"。列車が走る沿線にはライオンや像などの動物の模型がある。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白壁土蔵と九つの寺が連なる城下を歩く

2017-06-26 00:28:10 | 鳥取県

2017年6月5日(月)

 米子は、城下町であり、市内を展望できる山の上に城跡の石垣が残る。城下には9つの寺が連なっている寺町や、白壁の蔵や、古い商家が残る。

湊山にある米子城跡から見る大山。帰省するとなぜか普段よりたくさん食べる。昼食後にカロリー消費を兼ねて観光客気分で米子の散策コースを歩いた。

 向こうは島根半島、日本海、手前は中海。

 米子の中心部。子供の頃は高島屋(写真中央)の大食堂での食事が楽しみだった。今は、百貨店自体の客が少ない。また高島屋の近くの地元で有名な甘党の店のかき氷や大判焼が美味しいので、食べに行こうと思っていたが、昨年廃業したとのことだった。自分が暮らしていた頃の中心部が寂れていくのは寂しい。

 米子城跡から街へ下りたところにある市内を流れる加茂川の橋から見た大山。

加茂川沿いには古い商家がある。

 米子では有名な商家の横から米子城跡を望む。

 加茂川沿いには白壁の蔵が立ち並んでいる。米子の隣の境港出身の水木しげるの"カッパの三平"の像がいつの間にか設置されていた。

 

 寺町。写真左側に9つ連続して寺が立ち並ぶ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天皇が流刑地から脱出時に到着した港街を歩く

2017-06-25 00:22:31 | 鳥取県

2017年6月5日(月)

鳥取県大山町名和地区(旧鳥取県名和町)は、倒幕に失敗した後醍醐天皇が島流しになっていた隠岐から、再び倒幕をしようと脱出を図った際、到着した港がある。

大山をバックにした御来屋港。漁協直売所で生シラスが70円/100g(シラス丼3杯分はできる。)と激安なので実家での昼メシ用に購入。実家で生シラスを食べたことなかったし、採れることも知らなかった。安さ、新鮮さ、美味さに感激。昨年、静岡で生シラスを購入したがその半分以下の価格。山陰で生シラスを食べる文化がないからか?

後醍醐天皇の歌碑。後醍醐天皇は倒幕を失敗し隠岐の島へ流刑になったが、再び倒幕のため隠岐を脱出し、御来屋港に到着した。

御来屋港から少し歩いたところのある展望台からの風景。向こうに見えるのは島根半島。隠岐は島根半島の右にあるが、距離があるので見えない。

大山町御来屋の街並み。後醍醐天皇が御来屋に到着した時に、助けたのは名和長年。そのためか、今は平成の合併により大山町となったが、かつては名和町だった。 

 御来屋の街から少し坂を上ったたら国道9号線があり、それに平行してJR山陰本線がある。

名和公園付近から見た御来屋の街と島根半島。

高台から見ると青い海と青い空に黒瓦が映える。

 名和神社。後醍醐天皇を助けた名和長年を祀る。実家からも近いが、訪れた記憶がない。

 JR御来屋駅。建物もそうだが、駅舎内に入ると更に昭和を感じられる懐かしい駅。国の有形文化財に登録されている。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

柳がある川沿いに白壁の蔵屋敷が密集する街を歩く

2017-06-23 21:43:39 | 岡山県

2017年6月3日(土)

 倉敷の美観地区は、天領に定められて、代官所が置かれ、物資の集散地として倉敷川沿いに蔵屋敷の街並みが形成された。全国から多くの観光客が訪れる”The観光地”。

美観地区入口付近にある明治時代の建物を利用した高級レストラン。昔、ボーナスが出た時にステーキが有名だったので食べに来たが、無理したなぁという記憶がある。

大原美術館の隣にある蔦に覆われたカフェ。大原美術館の設立者”大原孫三郎”の事務所だったが昭和34年喫茶店に改装。友人や親類の人が来て美観地区観光した時は雰囲気がいいのでたいていここに入って休憩した。

 大原家別邸。大原美術館の川を挟んで向いにある。大原美術館設立者”大原孫三郎”が病弱な妻のために建てた。

白壁の蔵屋敷と有隣荘の路地から見る大原美術館。誰が撮ってもいい絵が撮れる。

 倉敷観光は、柳の葉が川沿いに垂れているこの時期がベスト。

 左の洋館(観光案内所)の前付近には、いつ来ても絵描きの名物オジサンがいたが、どうしてるかな??

 アイビースクエア(旧倉敷紡績)の赤煉瓦と白壁の街並み。

 アイビースクエア。旧代官所跡に建てられた倉敷紡績の工場だったが、ホテル、レストランなどになっている。赤煉瓦の外壁は蔦に覆われ、甲子園球場を思い出す。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天領と童話の国があった街を歩く

2017-06-22 00:57:45 | 岡山県

2017年6月3日(土)

 倉敷は、江戸幕府の直轄領”天領”となり、物資の集散地として栄え、白壁の蔵屋敷が立ち並んだ。なぜか、1997年には、アンデルセン、デンマークをイメージした”倉敷チボリ公園”を開園したが、2008年に閉園した。

JR倉敷駅南口前。昔、倉敷で暮らしたので、買物や、遠方から来た友人等を案内し懐かしい。写真のアパホテルは、昔は違ったホテルだったが外見は全く同じで懐かしい。倉敷では妻もいろいろと行きたいところがあり別行動。

 三越も天満屋になってしまった。南口の駅前周辺が中心部。岡山県では岡山に次いで賑やかで発展している。

  

今はどうか知らないが、製菓会社が倉敷名物”むらすずめ”のTVCMをしていたので懐かしかった。TVCMの製菓会社ではないが伝統がありそうな店構えに惹かれ”むらすずめ”をこの店で食べたかったが、休業だった。

 南口の駅前から美観地区まで続く商店街。うす暗く、寂れそうな商店街だったと思ったが、整備され明るくなった。他の地方都市の商店街と比べたらシャッターの率は低く活気がある。

 商店街の中にも白壁の倉敷らしい建物がある。

 商店街を抜けたところにある重厚な中国銀行(写真左)。

  商店街を抜けると白壁の蔵屋敷の密度も濃くなってきた。

 アンデルセン像とJR倉敷駅北口駅舎。駅北口からすぐのところに倉敷チボリ公園というテーマパークがあったが、2008年閉園。倉敷を離れてから倉敷チボリ公園に家族全員で訪れたが、また行きたいとは思わなかったし、家族からのリクエストもなかった。

 JR倉敷駅北口駅前。倉敷チボリ公園にあった塔がそのまま残っている。跡地は、アリオと三井アウトレットとなっている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする