2016年8月15日(月)
スタロドゥプスコエ(旧日本名:栄浜)は、オホーツク海に面した小さな村。宮沢賢治が妹を亡くした直後、鉄道で行ける最北の地に訪れ、「銀河鉄道の夜」の構想を練った場所と言われている。
スタロドゥプスコエの海岸。宮沢賢治のファンではないが、ガイドブックに特集がされていたので、せっかくだからと思って訪れた。波打ち際に昆布が打ち上げられていて、北にいることを実感できる。
錆ついた廃船があるし、どんよりとした空、飛ぶカモメ、もの悲しくなるような演歌の世界。
沖にゴロゴロとした岩があるかと思ったら動いた。アザラシだった。
一目でソ連製の車だとわかる。能登半島の羽咋にある海岸のように砂浜を車で走ることができる。
鮭漁を見物していたら、鮭を1匹くれようとしたが、気持ちだけ受け取った。いろいろと親切にしてもらい、雨が激しくなってきたら彼の車の中で漁を見物させてくれたり、車の中で昼食もご馳走になった。
収穫はこのバケツに5杯~6杯。漁は地引網ではなく、網にひっかかった鮭を外し、袋に入れ、袋がいっぱいになったら陸に上がりその繰り返し。浅いところにこんな大きな鮭がいるのには驚かされた。
スタロドゥプスコエの集落。北海道の海沿いの寒村という感じ。宮沢賢治の時代は栄浜駅は日本最北端の駅だったが、今は廃線となっている。
じっくり眺めさせて頂きました。
私達世代には
「樺太」という呼び方の方がなじみがあります。
日本のビルなどが たくさん残されているせいか
パッと見たら 日本の風景のように思えますね。
日本製の世界地図を見ていますが
サハリンの地名は 全て日本語とカタカナの両方書かれています。中国や韓国もそうですが~
私もサハリンというより樺太の方がなじみあります。
日本時代の名残がある建物等の写真をUPしたので日本の風景のように思われたかもしれませんね。
実際は日本時代の建物や工場がごく一部利用されているだけで、街並みはロシアでした。アパートについてはロシアというよりソ連という感じです。
人については、朝鮮系の方は、多いが日本人はほとんど引き揚げたせいか在サハリン日本人は見かけませんでした。(朝鮮系と思ったのが日本人かもしれませんが・・・)
でも、人々はフレンドリーで楽しい旅ができました。