よむよま

よむ・よまない、それから。

西南戦争

2013-09-25 18:36:35 | 見る
大河「八重の桜」は明治10年、西南戦争。

蜂起した西郷たちは「賊徒」と呼ばれる。
「賊徒・・・か」とつぶやく大久保利通。
賊徒と呼ばれるのがどういうものか、わかったかね?

山川浩が、「薩摩人よ、東国武士の刀の切れ味を見よ!」みたいな歌を詠んで、
やっと薩摩と戦える、この戦で会津の名誉を挽回するのだと言うの。
会津人にとって西南戦争はやっぱりそういうものだったのか。

山川の部隊が踏み込んだ場所で、西郷と山川が対面するシーンがあって、
山川に「なぜ、恭順する会津を滅ぼしたのか?いまの世の中は、会津の流した血の上に建っている」と言わせ、
西郷に「旧時代の勢力が結集しては内戦が終わらなかったからだ。今度のこの内戦を最後の内戦にする」と言わせていた。
なんか西郷がすごくすばらしい人物になってるのが気に入らないけど、
でも、会津人の思いが出た回になってたね。

同じ薩摩の大山巌が大将となって斬り込むべく、抜刀隊を編成し、
会津の佐川官兵衛、斎藤一が一番に志願する。
斬り込み隊長となった佐川官兵衛はこの戦いで討死。
阿蘇のふもとに官兵衛の墓があるんだそうだ。

今回はまた、獅童の官兵衛の最後の見せ場でもありました。
10年前、賊軍だった自分が今度は官軍として賊徒を討っている、
官といい賊といっても時の勢い、武士はただ死にもの狂いで戦うだけだと言って、息を引き取るの。
戦場で討ち死にできて良かったと言って。
斎藤一が看取ってくれた、
官兵衛が殿から拝領した刀を持たせてやって。(ToT)/~~~

西郷も死んで、桂さんも死んで、翌11年には大久保も暗殺される。
なんか、残ったのは小物ばかり?
コメント
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