硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

誰の為に何のために。

2013-02-22 20:42:25 | 日記
腰痛が回復しない。痛みが続くと気持ちまで滅入ってくる。じっとしていれば回復するのではないかと寝ていられる時間はずっと横になっているが思うようにならない。

僕は介護職員であるから、介助という部分は外すことはできない。鎮痛薬を飲み、シップを張り、コルセットをぎゅうと締め仕事に取り組んでいるが、時頼雑念が入る。「自身の身を削ってまで誰かの為になる働きを行うのは本当に良い事なのか。」と。

もし、症状が悪化の一途をたどったとしたら、何かを恨んでしまうのではないかと思ったりもする。怒りや恨みが心の中で根ざしてしまうとなかなか断ち切る事が出来ない。それが怖いのである。


介護現場ではサービス提供が「余計なお世話」でしかない時がある。それでもサービスを提供しなければならない時などは、サービスの押し売りでしかなく、対象者も不快であるし、介護者も不快でしかない。そんな矛盾が生じている時、これは誰の為の何のための働きなのか分からなくなる。

すると、心の葛藤が始まる。それがもう何年と続いている。それで答えが出るわけでもないのだけれど、もやもやしたまま月日が流れている感じがする。それでも、「ありがとう」という言葉を頂けると不思議と心が軽くなる。もう少し頑張ってみようと思う気持ちが生まれる。そんな状態がループ状になってぐるぐると回り続けているのである。

そこに来て、腰痛になり「自身の身を削る」という要因が入り、より複雑になってしまっているように思う。
また、宗教的な考え方もするので自分がどこを目指しているのか分からなくなる。

日々を平生に淡々と過ごす事。自身の現状を受け入れる事。頭では分かっているけれど、どこかしっくりこない。

腰痛が治れば治ったで、また余計な事を考えるのであろう。それならば、腰痛が続いたほうが様々な事に諦めがつきそうな気がするし、その方が精神にはよいのではと思ったりもするけれど、身体の自由が利かない事や痛いのは辛い。

いろいろ、気晴らしを試みるが、気がつくとまた考えている自分に気づく。

しばらくこの葛藤が続きそうである。