南九州の片隅から
Nicha Milzanessのひとりごと日記
 





 今日は私の人生にとっても、とても残念なニュースがあった。
 昨季まで横浜FCに所属していた、元日本代表MF・三浦淳宏がついに引退を決意したという…。

 私と同じ年生まれ。で、実は小学校も同じだったりする(でも、その当時以来、全く連絡を取っていないので、私のことは覚えていないだろうけど…)。
 でも、国見高校時代以来、私はずっと注目し続け、そのプレーに一喜一憂してたよ。
 そんな訳で、ここからは小学校時代のあだ名『アッくん』と呼ばせていただきます(馴れ馴れしくてスミマセン)。


 小学生時代からアッくんは文武両道の存在だった。
 もともとは桃園小の野球部にいたんだけど、明治北小が開校した時に、新庄先生に見出されてサッカー部に転部。当時はポジションはFW。サッカー部に入ってからも突出した存在で、下級生なのに6年生のチームに混ざって試合で活躍。
 キャプテンになってからは、試合に負けた時はその責任を一身に受け、日に焼けた砂利の上で正座していたのが印象に残っている。そして、キャプテンとしてチームをまとめ上げ、見事、大分県代表として全国大会にも出場を果たした。
 勉強の方も優秀。
 夏休みはサッカーで朝から晩まで忙しいのに、宿題はいつも完璧。必須の宿題以外にも自由課題の習字や絵画なんかも提出していた。
 運動会でも応援団長として活躍。女子からはもちろん、男子からも憧れの的だった。
 直接、間近で見ていたのはここまで。


 国見高校での毎年の大活躍。
 すぐにJリーグ入りすると思ったんだけど、青山学院に進学した時は「引退後の将来も考えて大卒の学歴も取っておくのか、さすが懸命な判断だ」と思ったっけ(中退しちゃったけど)。

 フリューゲルス時代は、準フランチャイズの鹿児島鴨池競技場に来る度に応援に行ったっけ。一緒に観戦に行った友達にも頼んで、小学生時代のあだ名で「アッくん。アッくん」と一緒に叫んだなあ。気づいてはくれなかったみたいだけど…(汗)
 そして、1998年にチームが解体となる最後の最後で天皇杯を制した時は、私も思わず泣いてしまった。

 ロングスローとブレ球のフリーキックはやはり天下一品。
 前園だったかな、中田ヒデだったかな、「ブレ球の蹴り方教えてくれ」といわれた時に「教えな~い」と言ってたアッくんがお茶目でした。

 日本代表に選出された時は、私も自分のように喜んだっけ。
 試合に出れなくても最年長の代表選手として、裏方に回って、精神的支えとなっていたと報道された時は、今更ながら「さすがアッくん」と改めて感服した。

 生涯ヴィッセル宣言をした時は、正直「え~っ、いつか大分に帰ってきてよ~!」と思ったけど、まあ、それもありかなと思った。
 で、監督批判をしたとか報道された時は「アッくんはそんなこと絶対する訳がない」と、私も周囲に不満をもらしたなあ。

 最近はなかなかニュースに話題が出ていなかったから「体悪くしたのかな。大丈夫かな。でもきっと復活するよね」と思ってた。
 で、横浜FCからの戦力外。私もショック…。
 年上のカズ(まあ、別格の存在だけど)がまだ活躍してるんだから、どこかに移籍して現役続行してくれると信じていたんだけど…。

 そして、今日、ついに引退。

 自分としては、地元のトリニータに帰って現役生活の最後を迎えてほしい気持ちがあったけど、まあ、こればかりはしょうがないね。



 アッくんは同期の出世頭です。誇りです。
 感動をありがとうございました。
 本当にお疲れさまでした。

 そして、いつか、指導者として帰ってきてね!
 待ってます。

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