南九州の片隅から
Nicha Milzanessのひとりごと日記
 





 今日はいよいよ慶州を去る日である。
 だが、その前に行くべき場所があった。「市役所」である。
 一昨日、立ち寄った本屋で慶州市の地図を探したが、道路地図のようなものしかなく、市役所に行けば手に入るのではと考えたからである。先輩いわく「外国で困った時は、市役所の国際交流課へ行けばなんとかなる」とのことである。

 昨日、一昨日に比べるとやや遅いものの、朝一番で旅館を出た。
 まずちょっとした店でパンを買って腹ごしらえをする。その後、高速バスターミナルへ行った。そして釜山行きのチケットと少しばかり慶州土産を購入し、荷物をコインロッカーに押し込んで(待合室の客の視線を浴びてちょっと怖かった…)、一路、市役所へ向かった。

 10分ほど歩いて市役所に到着。
 受付で尋ねていると、奥から若い青年2人を連れて、国際交流課の日本担当の鄭(チョン)さんという方が出てきた。
 挨拶をかわし、別館にある課へ向かう。「この2人は日本の奈良市役所から研修で3ヶ月前からここ慶州に来てるんですよ」と鄭さんはおっしゃった。しかし2人は「なんでオレ達が日本を離れてこんな所にいなきゃならないの?」といった不愛想な態度で、また全然ハングルを喋ろうともせず(覚えようともしてなさそう)、やる気がなさそうだった。税金で留学してるくせに、これだから公務員は…。
 課へ着くと課長さんをはじめ、多くの方が迎えて下さった。
 しかし大歓迎なムードではなかった(汗)。というのは「今日、午後にアメリカの××市(何処だったかは忘れた)の市長さんが来るから今とても忙しいんだよ」との言葉が示す通りであった。だが、3人に1部ずつパンフレットと観光マップを下さり、また朝鮮人参茶までご馳走になった。
 で、目的の地図だが、1部しかないのでコピーという事になったが、先輩が懇願すると太っ腹にもその地図を下さった。
 マニュアル通りのサービスしかしない日本の役所よりもよっぽど温かいと感じた。しかも市民でもなく、アポなしでいきなり訪ねた外国人の私達に対してである。

 昼前、釜山行きの高速バスに乗る。
 今回は「優等」バスなので1人当たり3,600ウォンと少し高いが(日本円では約470円と安いのだが)、座席を倒してリラックスできる車内であった(運転は相変わらずリラックスできるものではないが…)。
 乗車前に屋台で買った焼きイカを食べながら、移り行く窓の外の風景を眺めて過ごした。

 釜山に着くと、今回の旅行の最後の宿を探す。
 幸い高速バスターミナルの向いに、わりと綺麗で安く、おじさんが日本語を話すことができる宿が見つかった。宿代を少しでも安くしようと、慶州の時と同じく3人部屋をお願いした。
 しかしおじさんは我々3人を見て、「先輩=引率の先生、奥さんと私=学生」と思ったらしく、「結婚してない男女が同じ部屋に泊まるなんて、日本じゃ許されても韓国人の私は絶対に許さない」と言った(じゃあ昨日までの宿は何なんだ(笑))。
 先輩も我々の関係を説明するのが面倒だったらしく、「郷に入っては郷に従え」とばかりに2部屋取る事にした。無論、私が1人部屋だけど…。まあ、最後の夜くらいはね…。

 本場(?)のロッテリアで軽く昼食を済ませて、バスに乗って南部の釜山市街中心地へ向かった。
 海沿いの市場が目的地である。道路は片側5車線くらいもある大通りなのだが、行き交う車はウィンカーすら出さずに、自分の意志に基づくまま急ハンドルで進んで行く。もう、ウンザリ…。

 市場の入口前の停留所でバスを降りる。
 釜山に行く観光客には有名なチャガルチ市場。ここは大きな魚市場で、水揚げされたばかりの海産物があちこちで売られている。
 周辺では服飾品や日用品などの店も沢山ある。その一角で私は韓国ポップスのテープを3本買った。そのうち申昇勲(シン・スンフン)の歌は、今も私のお気に入りである。

 「今晩の食事はこの市場で魚でも食べよう」と決め、取り敢えずここを一時離れる。

 我々は釜山タワーに向かうことにした。タワーは高台の上にあるため、坂を登って行かなければならない。商店街の間をなんとか抜けて(途中で私達が日本人と気づくといろいろ売り付けようとしてくる)、30分程歩いただろうか、ついにタワーの前に着いた。

 タワーの前で交代で写真を撮る。今回の旅行中で初めて観光をした気分がした。
 せっかくだから、とチケットを買ってタワーに登ることにした。展望台に出ると眼下に韓国第2の都市・釜山の町並みが広がっていた。
 残念ながら今日は快晴ではなかったので、遠くに見えるはずの対馬は確認できなかった。
 最初の方でも述べた通り、韓国ではこのような場所での写真撮影は軍事上禁止されている。だが韓国人観光客も平気で写真を撮り、ビデオカメラを回している。私達も気にせずにシャッターを押した。
 このチケットには隣接する水族館や展示場の値段も含まれていたため、そちらにも向かった。だが水族館は水槽が置いてあるだけ、展示場は受付の女性が熟睡中(!)であったため、どちらも5分も経たずに後にした(どうなってんだか…)。

 タワーの前の広場には立派な銅像が立っている。そう、豊臣秀吉軍が侵攻した時に、亀甲船を率いて日本の海軍を破った忠武公・李舜臣(イ・スンシン)将軍の像である。
 この前で写真を撮るのは、まるで歴史を知らない馬鹿な日本人の若者のような気がしたが、記念として撮ることにした。う~ん、私も馬鹿者かな?

 さて、だいぶ日も傾きかけたので、先程のチャガルチ市場へ向かった。
 大きな建物の壁に日本語で「ようこそチャガルチ市場へ」とあった…。ちょっと嫌な気分になったが、そこに入ってみた。
 入って間もなく、おじさんとおばさんは私達を見つけると、すぐに魚を売りつけてきた。「ヒラメ1匹、20,000ウォン(=約2,600円)」「高い、そのイカはいくら」「じゃあ、ヒラメにイカをつけて20,000ウォン」「高い」「じゃあ、イカをもう1匹つけて20,000ウォン」という様な会話を、少しの日本語と韓国語とジェスチャーでした。
 「まあ、調理代込みだから、それならいいか」と、それらを買うことにした(元値はいくらだよ、全く…)。すぐに2階に案内された。

 座席で待っていると、キムチに続いて先程購入したヒラメとイカの刺身が出てきた。ビールで乾杯する。
 おばさんが「ヒラメのあらの部分を味噌汁みたいなのにできるけど、要るか?」というようなことを言ってきた。「いいねえ」と、頂くことにしたのだが、それもキチンと別途料金になっていた(汗)。

 1階に降りてお土産用の干物などを買って外に出ると、辺りはすっかり夜になっていた。
 バス停を探して歩き出す。何ヶ所かのバス停に行ってみるものの、どれに乗ればいいのかわからない。また、バスもあまり来ない。

 ずっと歩き回っていたのでトイレに行きたくなって来た。
 「交番ならトイレを貸してくれるだろう」と思い、入ってみる。だが、その警官に「May I use toilet?」等と言っても全く通じない。結局「ファジャンシル(化粧室)」と書かれたドアを指差してやっと分かってもらえた。何で英語が通じないんだろう…?
 後から出て来た一番若い警官は英語を解するようだった。
 英語で「高速ターミナル行きのバス停は何処ですか?」と訪ねてみる。「OK、OK! ついて来なさい」みたいなことを言うので従う。5分程歩いたであろうか、不意に地下に降りる階段に入っていった。「あれ? ここって地下鉄の駅? 地下鉄で帰るんだったらわざわざ警官に教えてもらわなくても分かるんだけど…」。
 先輩は「地下鉄じゃせっかくの風景が見えないので、意地でもバスに乗る」という考えだったらしく、かなり不満そうだった。私と奥さんはどんなルートでもいいから早く宿に帰りたかった(沢山歩き回ったので、もうくたくた)のでこれで良かったんだけど…。しかも、もう夜だから景色はあまり見えないんだけどね。
 その若い警官は案内版を指差し、降りる駅名を語り、またご丁寧に地下鉄の切符まで買って下さった。親切で有り難いんだけど、そこまでしてもらわなくても…。ちょっと離れた所で、明らかに日本人観光客と思われるおばさんがこちらを見て笑っていた。…。

 地下鉄は降車予定駅の少し前から地上高架線になっていた。東京の営団地下鉄東西線みたいだと思った。東莱(トンネ)という駅で降車、歩くこと20分、夜食を買って宿に戻る。

 今日は最後の韓国の夜。ビールとともに、すっかり毎晩の恒例となった「UNO」をし、適当な時間をみて先輩夫妻は隣の自室に戻り、就寝。

 「次に韓国に来るとしたら、何年後だろう…? それとも、今回が最初で最後かも知れないなあ…」などと独り言を言いながら、最後かも知れない温突の温もりを全身で感じていると、いつの間にか寝入ってしまった。



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