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2025年に向けて

2020年に自分の目標を達成した私が、新たな人生に向けて頑張るブログ

第二百九十一回目のブログ

2019-10-22 18:07:54 | 日記
 一度崩れたものを取り戻すには、簡単なところから始めるのが一番です。
 例えば、せっかく続いていたダイエットが崩壊したら、毎日食べる食事を一品だけ減らすとか、ちょっと家の周りをウォーキングしてみるとかから始めれば、少なくとも崩壊したまま放置しているよりはましでしょう。
 このブログも同じで、すっかり崩壊していましたが、いきなり以前のパーフェクトな状態に戻すのはハードルが高いので、一先ず毎週定期的に思ったことを適当に書くからREスタートしたいと思います。
 さて、今日即位礼正殿の儀がありました。たぶん私の人生で見れたとしてもあと一度ぐらいの儀式でしょう。え、それだけ?というぐらい驚きのないものでしたが、これで新しい時代の幕開けだ、と改めて思うことができました。つらい今だからこそ、新しい時代に期待をかけるしかありません。来年こそは、来年こそは必ず受かる。間違いなく受かる。絶対に受かる。もう自己暗示以外の何物でもありません。しかし、客観的なデータとして、勉強を始めたこの三年で、間違いなく点数は上がってきているのです。その事実は、自分の能力のため受からないのではなく、受かるための時間が足りなかっただけなのだ、という仮説を裏付けるものです。あとテストまで10カ月という時間が残されています。
 やるしかありません。これからのこのブログは、私の残り一年の挑戦の記録です。

第二百九十回目のブログ

2019-10-19 01:44:00 | 日記
またしても不動産鑑定士試験敗退。
悔しさと虚しさと、諦めきれなさ。
このブログのタイトルである2020年まであと一年。

「おかれた場所で咲きなさい」という言葉がある。
その言葉が強く突き刺さる瞬間である。
幸せになるには、自己実現だけが方法ではない。
今の自分の実力を認めて、その中で全力で生きることも一つの方法だ。

しかしそれでも私はもう一年やってみたいと思う。
なぜならこの資格を取って、やってみたいことがあるから。
それに試験に受からなかったということは、やっぱり見落としているところがあるということだ。
去年一年勉強していて、勉強って観光旅行に似ていると思った。
世界中の世界遺産のような知識の数々を見て回り、それを自分の言葉で紹介するのが試験だと思う。
今回受からなかったということは、そんな世界遺産のような観光地で、何かを見落としていたり、見たとしてもすっかり忘れているということなのだ。
それはあまりにもったいないではないか。もう一度、知識の世界遺産巡りに出かけてもいいと思うのだ。

確かに楽なことだけではない。暗記はつらいし、睡眠時間も削らなきゃならないし、職場での人間関係もきつくなることもある。
でももう一年。どうしてもやってみたい。ぼんやりだが成功への道が見えている。やらなければならないことは分かっている。そして、受かった後なにがしたいのかも。

やるしかない。

第二百八十九回目のブログ

2019-09-02 20:31:46 | 日記
網走市 網走監獄
 
 最近、私は車に乗っているとラジオをよく聞くのだが、新学期、NHKが無理して学校に行くなというキャンペーンを大々的にはっている。私は明確に反対する。どんなにつらくても、どんなに苦しくても学校に行け。二学期の初日の今日学校にいかなくては、明日はもっとつらくなる。そして数日重ねているうちに、それが当たり前になり、二学期ずっといかないことになる。学校程度のことで逃げていたら、今後も、就職や社会人生活で失敗した時点でひきこもるだけだ。
 自殺するよりはましではないかという意見もあるかもしれないが、私はまったくましだとは思わない。他人のせいで自分から自分の利益になることを放棄する人生を選んで満足しているのなら、それは、いじめられた相手に殺されたに等しい。殺されるよりは自殺の方がまだましだ。そして殺されるよりは、自分から負けない人生を歩むことがもっと大切だ。
 世の中、そんな強い人間だけではないというのもその通りだと思う。しかし、弱い人間だからこそ、こんなところで逃げていてはだめだ。より辛くならないために、今戦うべきなのだ。自分が登校していじめられるとしたら、その非は自分ではなくいじめる相手やそれを放置している学校職員にある。

第二百二十八回目のブログ

2019-06-02 19:46:38 | 日記
釧路市 釧路崎灯台
 随分久しぶりの更新で英語でブログを書く元気もないので、日本語で書きます。最近の日本を見ていて危機感を感じるのは、自己責任と他人の責任をあまりに短絡的に振り分ける傾向です。
 ニートやひきこもりが殺人事件を起こすと、単純な自己責任論に飛びつく人がいますが本当にそうでしょうか。よくオリンピックで金メダルを取った人が、これは自分の力じゃない、周りで支えてくれたみんなのおかげです。というのが常套句のようになていますが、その反対のことが彼らにも言えるのではないでしょうか。
 最近本当に思うのは、時代によってその障害の定義が変わる現実です。恐らく一昔前の工業化時代には、体力のある男性が一般的な労働者像だったんだと思います。しかしポスト工業化時代になって、製造業よりもコミュニケーションが求められるサービス業が社会の中心となると、今まで障碍者とも等しい扱いを受けていた女性が、社会の中心に躍り出るとともに、逆にコミュニケーションの劣る人たちが発達障害という括りの中で障碍者となったわけです。
 つまり社会とは可変的なわけです。この社会の可変性の中で、ある人の能力を一方的に自己責任として貶めるのはあまりにむなしい行為です。今、日本が考えるべきことは、単純な自己責任論に議論を矮小化するのではなく、可変的な社会に生きる可変的な個人という視点を持つことだと改めて思いました。

第二百二十七回目のブログ

2019-02-17 21:17:20 | 日記
Nemuro city Old cottage in Nemuro port


Nemuro is the good old town. There are so many old buildings in the town. But almost of those are nearly falling down. I think some of those will break in a decade so I sketch it for the memory of history. Nemuro was the forward base against Russia emperor in early Meiji period. Meiji government decided that Nemuro is the central town in east Hokkaido area. But this position shiffted to Kushiro. Now, Kushiro has 7 times much population than Nemuro. But Kushiro has declined every year. Has someone any ideas to stop this trend?