2025年に向けて

2020年に自分の目標を達成した私が、新たな人生に向けて頑張るブログ

第三百九回目のブログ

2020-06-21 22:18:53 | 日記
釧路市 湿原の風アリーナ

 ニートを社会復帰させるにはどうしたらいいのか。難しい問題ではある。しかし、そもそもニートを社会復帰させる必要性などあるのだろうか。私が常に思うのは、人間は死んだら終わりである。どんなに頑張って社会的に評価される足跡を残しても、大量殺人をして社会から散々非難されようと、死んだらそれで終わりである。もちろん宗教的観点から、前者は天国へ、後者は地獄に落ちて死んだ後も苦しみ続けるのだということもできるのかもしれないが、それを本気で信じられるほど、現代社会は宗教的ではない。
 例えば、親が生きている間は脛をかじり、死んだあとは生活保護に頼り、その後何も残せず死んでいく。それが、絶対的に間違っているとどうしていえるのか。もちろん、自分の子供がそうなったら嫌だろう。それは、自分が横柄な寄生虫に取りつかれたようなものだからだ。しかし別にそれでもいいという宿主に取りついたのなら、別に問題はないだろう。親子間ではそうかもしれないけれど、社会においてはそうではないという人もいるかもしれない。しかし、社会的な制度として生活保護が確立し、日本国民である以上、文化的な最低限度の生活を送る権利があると憲法に書かれているのなら、それを否定するには憲法を改正するしかない。そして、自分も何かしらの原因で、生活保護になりうるリスクがあることを考えると、そのような制度を否定しようとは思わない。
 つまり、一生ニートで生きると決めてそれが本人にとって幸せならば、私もそれを否定するすべはないのである。そしてそれはそれであり得る人生だと思うのだ。しかし、問題は、本当はニートではいたくない、例えば理想の自分は大企業で幹部候補生なのに、それがかなわないから逃げとしてニートをしているとか、そういう類の人物だと思う。それをどうすべきかは、次回考えたいと思う。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿