2025年に向けて

2020年に自分の目標を達成した私が、新たな人生に向けて頑張るブログ

久しぶりに・・・

2021-10-28 20:29:52 | 日記
 久しぶりに投稿してみます。
 2020年に人生の目標を達成し、新たな目標に向けて頑張ろうかと思っています。
 ブログのタイトルも、2020年に向けて…を改め2025年に向けてに変更しようかと思っています。
 やりたいこととやらなければならないことがあります。
 やりたいことは、今までは人が作ったものをクリアーすることが人生の目標でしたが、これからは自分が作っていく立場になりたいと思います。つまり、資格試験の合格だったり、就職だったり、与えられたハードルを越えるのではなく、自分で描いた漫画が社会で認められたり、自分の研究活動を発表したり、クリエイティブなフィールドを目標に頑張りたいと思います。
 そしてやらなければならないことは、結婚です。正直、一生独身でもいいのではと思っていたのですが、このコロナ禍で、一人で暮らし続ける厳しさと、社会的な責任として子供を育て命をつなぐ大切さを思い知りました。
 2025年末までに、漫画家としての基礎を作ること、研究者としての下積みをすること、そして結婚をすること。この三つを新たな目標に、スケッチや目標への達成具合を、できれば毎週日曜日に更新していきたいと思います。
 正直、そこまで暇ではないので、どこまでできるかわかりませんが、できる限り頑張って更新したいと思います!
 2020年に向けて改め2025年に向けてをよろしくお願いします。

あったかもしれないはなし

2020-07-20 00:41:36 | 日記
武漢に非常に優秀な行政官がいて、新型ウイルスの危険性をすぐさま察知して、感染者が数百人の段階で抑え込めたとしたら、どれだけ世界は平和だっただろう。
きっと今頃オリンピックに向けて盛り上がって、誰もマスクなんかしなくて、普通に夏休みもあって、消毒液が常に入り口に置かれている世界なんて想像もできなかっただろう。
でも仮にそうだったとしても、その優秀な行政官のことなんて、誰も気が付かないし褒めたたえもしない。当たり前の日常を当たり前と思って過ごすだけだろう。
もしかしたらそういう人たちによってこの世界は作られているのかもしれない。堤防が崩れて初めて堤防の偉大さを知るけれど、堤防が崩れなければそのことを気が付くこともない。
本当に大切なことは何なのかを、少し知った気がする。

第三百九回目のブログ

2020-06-21 22:18:53 | 日記
釧路市 湿原の風アリーナ

 ニートを社会復帰させるにはどうしたらいいのか。難しい問題ではある。しかし、そもそもニートを社会復帰させる必要性などあるのだろうか。私が常に思うのは、人間は死んだら終わりである。どんなに頑張って社会的に評価される足跡を残しても、大量殺人をして社会から散々非難されようと、死んだらそれで終わりである。もちろん宗教的観点から、前者は天国へ、後者は地獄に落ちて死んだ後も苦しみ続けるのだということもできるのかもしれないが、それを本気で信じられるほど、現代社会は宗教的ではない。
 例えば、親が生きている間は脛をかじり、死んだあとは生活保護に頼り、その後何も残せず死んでいく。それが、絶対的に間違っているとどうしていえるのか。もちろん、自分の子供がそうなったら嫌だろう。それは、自分が横柄な寄生虫に取りつかれたようなものだからだ。しかし別にそれでもいいという宿主に取りついたのなら、別に問題はないだろう。親子間ではそうかもしれないけれど、社会においてはそうではないという人もいるかもしれない。しかし、社会的な制度として生活保護が確立し、日本国民である以上、文化的な最低限度の生活を送る権利があると憲法に書かれているのなら、それを否定するには憲法を改正するしかない。そして、自分も何かしらの原因で、生活保護になりうるリスクがあることを考えると、そのような制度を否定しようとは思わない。
 つまり、一生ニートで生きると決めてそれが本人にとって幸せならば、私もそれを否定するすべはないのである。そしてそれはそれであり得る人生だと思うのだ。しかし、問題は、本当はニートではいたくない、例えば理想の自分は大企業で幹部候補生なのに、それがかなわないから逃げとしてニートをしているとか、そういう類の人物だと思う。それをどうすべきかは、次回考えたいと思う。

第三百八回目のブログ

2020-06-07 01:06:18 | 日記
釧路市 釧路センチュリーキャッスルホテル

 コロナウイルスの感染拡大が止まらない。しかし大阪のようにほぼ感染拡大を抑え込んだ地域がある一方、北海道や東京のようにくすぶり続けている地域もある。原因は何なのだろう?民度の違い?私は無症状感染者の割合の違いだと思う。ここまでコロナウイルスに警戒している現在では、意識の低い何らかの症状がある人があえて外出して感染を広げるということは考えにくい。しかし自分に症状がなく感染を疑わないなら、普通に外出や仕事をするのが当然だろう。そういう人が多いと、結果として感染拡大が止まらなくなる。
 よって、本当のその地域の警戒レベルを測るのに必要なのは、発症者の数よりも、潜在的な感染者の数も含めた感染者の割合だと思う。例えば都道府県ごとに無作為に一万人抽出して簡易検査をして、その割合をもとに警戒レベルを判定した方が、より実効性のある対策ができると思う。この検査も、別に感染者を発見することを目的としているのではなく、単純に感染割合を割り出すためのものなのだから、簡易的なものでよく、むしろ低コストで早く結果のでる物の方が望ましいだろう。

第三百七回目のブログ

2020-05-30 21:37:27 | 日記
釧路市 湿原展望台

 緊急事態宣言が解除され、街に賑わいが戻ってきた。めでたしめでたし・・・、とはなりそうにありません。というか、日本人のおかしさがここに如実に現れている気がします。個人的には、みんなが自粛して人のいなかった緊急事態宣言の時こそ、感染リスクがすくない状態で出歩けるチャンス、今はむしろ感染リスクが極めて高くなっている状況ではないかと思うのです。純粋な感染リスクと言うよりは、周囲の目とか世間体を気にして自粛している気がします。
 政府の方針とか安倍政権に批判的な人が多い一方、きちんと指示されたことは守るという奇妙な国民性はどこから生じたのでしょうか。しかし逆にアメリカのような世界も困るなぁと思います。コロナ関係なしにデモ活動が広がっているうえ、一番のトップもめちゃくちゃなことばかりしています。しかし恐らく世界で最初にワクチンを開発するのもこの国でしょうし、何が正しくて何が間違っているのかは本当によくわからないなぁと思います。
 さて、今回のスケッチは釧路市湿原展望台を描きました。駐車場には普通に札幌や滋賀、長崎などの車が停まっていました。うーん、どうなることか。しかし、この建物、何を表現しているのでしょう?ザクかな?