2025年に向けて

2020年に自分の目標を達成した私が、新たな人生に向けて頑張るブログ

第三百七回目のブログ

2020-05-30 21:37:27 | 日記
釧路市 湿原展望台

 緊急事態宣言が解除され、街に賑わいが戻ってきた。めでたしめでたし・・・、とはなりそうにありません。というか、日本人のおかしさがここに如実に現れている気がします。個人的には、みんなが自粛して人のいなかった緊急事態宣言の時こそ、感染リスクがすくない状態で出歩けるチャンス、今はむしろ感染リスクが極めて高くなっている状況ではないかと思うのです。純粋な感染リスクと言うよりは、周囲の目とか世間体を気にして自粛している気がします。
 政府の方針とか安倍政権に批判的な人が多い一方、きちんと指示されたことは守るという奇妙な国民性はどこから生じたのでしょうか。しかし逆にアメリカのような世界も困るなぁと思います。コロナ関係なしにデモ活動が広がっているうえ、一番のトップもめちゃくちゃなことばかりしています。しかし恐らく世界で最初にワクチンを開発するのもこの国でしょうし、何が正しくて何が間違っているのかは本当によくわからないなぁと思います。
 さて、今回のスケッチは釧路市湿原展望台を描きました。駐車場には普通に札幌や滋賀、長崎などの車が停まっていました。うーん、どうなることか。しかし、この建物、何を表現しているのでしょう?ザクかな?

第三百六回目のブログ

2020-05-17 08:12:11 | 日記
釧路町 岩保木水門

 北海道は緊急事態宣言継続と言うことで、鈴木知事の独自の緊急事態宣言から考えると、かれこれもう3か月近く通常ではない状況に置かれています。それでも北海道は感染拡大に歯止めがかかりません。私もスケッチするのも、遠出するわけにはいかないし、あんまり人の多いところではできないので、以前スケッチして雨のため上手く描けなかった岩保木水門を再チャレンジしてみようと今回描きました。
 想定外だったのは、周囲に思ったより人がたくさんいたこと。何をしているのかと言うと、釧路川で釣りをしています。どうもここら辺は釣りスポットらしいです。といっても、それぞれの距離は1.5メートルは愚か、30メートルぐらい離れていたので感染リスクはほとんどないでしょう。というより、北海道と言ってもそれぞれの管内で一つの県ぐらいの面積はあるので、管外移動を制限すれは、それぞれの管内で制限緩和してもいいような気がします。しかし今日は寒かったです。本州なら真冬並みの7度前後で、スケッチしていて凍死するかと思いました。

第三百五回目のブログ

2020-05-12 20:38:11 | 日記
弟子屈町 弟子屈町役場

 超高層ビルに旅客機が突っ込み、原発が爆発し、新型ウイルスが蔓延する。正直、映画のような世界が21世紀になって立て続けに起きています。時代が動いているのかなぁという気はします。こういう大事件があると、その後の世界は今までと同じ世界ではなくなってしまいます。でもどうせ変わるのなら少しでもいい世界にしたいなぁというのは本心です。今までのように満員電車に揺られて都心のオフィスにいくのではないライフスタイル。オンラインでも遠くの友達と会える仕組み。そういうものが、これを機に劇的に発展したら、ポストコロナ時代もそう暗いものではないのかもしれません。
 ただそこに至るまでは、やはり多くの犠牲を強いることになるでしょう。それが少しでも少ないことを祈るばかりです。しかしどうしても時代の大きな胎動の中では、多くの犠牲者がつきものです。無意識ながらその一人は自分ではないと思ってしまう危うさ。そんなことを自宅にいると考えてしまいます。

第三百四回目のブログ

2020-05-06 23:44:44 | 日記
北見市 旧武華駅逓

 こんにちは。緊急事態宣言は延長され、自粛ムードは続くようです。確かに新型コロナウイルスは恐ろしいし私もかかりたくはないですが、あまり過度に恐れすぎても仕方がないと思っています。そんなこと言ったら本当に外に出られないですし、ドアノブやエレベーターのボタンでさえ触れなくなってしまいます。公園で遊ぶなとかマラソンするなとかいう人もいますが、私はそのレベルで感染するなら諦めるしかないだろう・・・と思ってしまいます。新型コロナウイルスがどこかにある以上、一切の社会生活を送れなくなってしまいます。また、マスクとかフェイスシールドとかコンビニやスーパーの変なビニールシールドだって、意味はなくはないのでしょうが、どちらかと言うとパフォーマンスという気がします。
 よく出口戦略という言葉を耳にしますが、どうも我々はコロナ前の世界には戻れないようです。それならば出口戦略より、社会で妥協できる生活様式はどこなのか、それを探る方がいいのかもしれません。感染をゼロにするのではなく、感染のリスクを例えば普通に生活したら100として、それを10ぐらいに減らす生活様式はどういう生き方なのか。その生活の中でかかってしまう10の人を重症化させず救うにはどうしたらいいのか。そういう段階に入っているのでしょう。
 悲しいですが、それがコロナの時代と言うことでしょう。

第三百三回目のブログ

2020-05-01 03:20:52 | 日記
釧路市 旧音別町役場

 お久リぶりです。コロナ危機で色々思うこともあり、このブログの「2020年に向けて」という目標年自体が崩壊しつつあるので、どうしようかと不安に思っている限りです。
 今回のスケッチは、今は釧路市に合併した音別町の役場跡。来月取り壊すという噂を聞いたのでスケッチしてきました。雪国からぬバルコニーが南国チックな一昔前の田舎の役場という感じです。
 さて、9月入学への移行が叫ばれていますが、個人的に一番疑問なのは、どの年齢で区切るかです。救済策としてやる以上、4月2日生まれから4月1日生まれまでという区切りは変えないと考えるのが妥当でしょう。これを9月2日から9月1日までに変えると、救われるのは4月2日から9月1日生まれの人だけで、9月2日から4月1日生まれの人は、いきなりもう一つ上の学年ということになり、一年半も失われる期間が延びてしまいます。逆に、9月2日から4月1日までを一つ前の学年に戻すという考えもありますが、中学校卒業した高校生が、やっぱり中学校3年生もう一年やってね・・・というのはちょっとありえないでしょう。
 つまり、会計年度と入学年齢は合わせたまま、単純に学期を9月からの一年に変えるというのがすべての前提のように思えます。ただそうすると社会全体で約半年分の学習の遅れは生じるわけです。長期的にみるとそういう点も考慮してカリキュラムを再構成していかなくては、時期的に留学しやすくなっても、能力的には海外の学生についていけないということにもなりかねません。個人的にはやってみる価値はあると思いますが、実施後色々な調整が必要になるのは間違いないでしょう。